オーフ・ザ・レコード物語;20XX年のゴッチャ その108

エスコート

 
 
 チャーター機の客室に明かりが再び灯り、全ての窓のブラインドが開けられた。キャビン・アテンダントによる機内アナウンスが軽食を供する旨を伝えた。
 
 次いで機長もアナウンスを始めた。
 
「皆さん、よくお休みになられましたか?こちらは機長のジョシュア・プリチャールです。現在、当機はベーリング海の上空を南西方向に向かっています。飛行は順調でスケジュール通りです」
  
「お気付きの方もいらっしゃると思いますが、当機の近くを現在アメリカ軍のF35ライトニングが飛行しております。哨戒飛行のついでに当機のエスコートをしていると無線で言っております。どうかご安心ください。それでは残りのフライトを存分にお楽しみください」
 
 患者は声を上げるのを抑えながら思わず高笑いをした。
 
 間違いなく、誰が乗っているか知っているぞというシグナルだったが、そんなことはどうでもよかった。宿敵・アメリカの最新鋭戦闘機が自分を警護しているのだ。まるで番犬のように…。これ程愉快なことはかつて無かった。
 
 間もなく患者には粥が運ばれてきた。中華風なのは少し気に入らなかったし、食欲も大して湧かなかったが、供された軽食をすべて平らげた。そうしないと他の誰も手を付けないからだ。そんな風に常にしてきたから健康管理が難しくなったのだが、仕方ない。
 
 患者はお付きを呼び、全員に飯を食べ少し仮眠するよう命じよ、と伝えると、シートを倒し自分も睡眠体勢に入った。
 
 しかし、全く眠れる気がしない。愉快で堪らなかったからだ。だが、これはまだ始めの一歩に過ぎない。このような状態を核兵器を保持したまま恒久化させることこそが自分達の最終目標だった。

 
 
「ニューヨーク・チャンネルの接触で先方は来週早々にもジュネーブで局長級の会合を開き、来るべき二国間交渉の議題を話し合いたい意向です」
 
 その少し前、ホワイト・ハウスで安全保障問題担当のアマール補佐官がベン大統領にそう告げた。ニューヨーク・チャンネルとは北朝鮮の国連代表部を通じたコミュニケーションを指す。
 
「まあ順当なところか…彼らがジュネーブにしたい理由は?」
 
「これもまあ順当なところかと…ただ、WHO本部のあるジュネーブでなら、ADE株対策を名目にした支援問題を前面に打ち出すには好都合なのだろうと思われます。もっとも我々にも、その点は都合は悪くありません」
 
「それはそうだな」
 
 その昔、国際連盟の本部があった永世中立国・スイスのジュネーブには今も国連機関や各国の代表部が置かれていて、第三国同士の二国間交渉や国際交渉の場に選ばれることは多い。かつて米朝が北朝鮮の核開発をめぐる枠組み合意に至った交渉もジュネーブが主な舞台となった。
 
「先方の準備が順調に整えばという前提はまだ付いておりますが、その線で話を進めて宜しいでしょうか?」
 
「OK。順調に整えばというのは予定通り帰国すればということか?」
 
「多分、そうだと思われます」
 
「で、そちらは順調なのか?」
 
「今のところは…ロシアも特に目立った動きは見せておりません。数時間もすると、チャーター機は日本の上空を抜けて日本海上空に入ります。中国が何か動きを見せる可能性は残されておりますが、計画通りエスコートを続けます」
 
「わかった。ミサイルをぶっ放すような真似を誰もする筈はないが、我々の動きは彼らに対するシグナルにはなる。北朝鮮にも中国にも我々の姿勢を示すには良い機会だ。何かあったらすぐに報告してくれ給え」
 
「承知いたしました」
 

スクランブル


 
 青森県三沢市にある三沢飛行場は在日米軍と航空自衛隊、それに民間機の三者が共用する日本で唯一の飛行場である。
 
 火曜日の夜明け前、そこをアメリカ空軍のF35戦闘機の編隊が順次飛び立った。その少し前には山口県岩国市のアメリカ海兵隊基地から空中給油機とF35戦闘機が相次いで離陸していた。日本上空を横切るIAEAのチャーター機をエスコートするのだ。
 
 暫くすると吉林省長安にある空軍基地を飛び立ったと見られる中国軍機が日本海上空に入るのを日米両軍は確認した。石川県にある小松基地から航空自衛隊のF15戦闘機もスクランブル発進した。
 
 このまま放置すると日本海公海上のチャーター機の航路で三か国の軍用機が接近することになる可能性があった。チャーター機と中国軍機の間に入るべくアメリカ空軍のF35と航空自衛隊のF15が最大速度で航行する。
 
 勿論、チャーター機には知る由もない。がしかし、暫くしてF35がチャーター機に幾分近づき、再びエスコートする旨を伝えた。中国軍機をインターセプトするのは一義的には自衛隊機の役割のようだ。
 
 中国軍機はF15が近付いてくるのを確認すると、それ以上接近することなく旋回し、チャーター機のかなり先で予定航路と並行するように飛行する。チャーター機に誰が乗っているのか知っているぞ…という中国政府の明確なシグナルであった。そのシグナルは北朝鮮政府にも確実に伝わる筈だ。
 
 やがて中国軍機は翼を返して帰途に就いた。それを確認して間もなく自衛隊機も踵を返した。北朝鮮の旧式のミグ戦闘機の編隊が近付いてくるのを覚知したからでもある。
 
 間もなくアメリカ軍機も順次帰路に就いた。この先のエスコートは北朝鮮空軍の役割だ。暫くして患者は自国のミグが遠巻きにチャーター機をエスコートするのを視認した。
 
 夜は既に明け始めている。地表は雲海に覆われていた。
 
 エール・フランスが運航するIAEAのチャーター機は、ほぼ予定通り火曜朝に平壌空港に無事着陸した。
 
 朝鮮中央放送のカメラ・クルーがその模様を撮影する。
 
 査察団一行と北朝鮮側の随行員達が空港を出立すると暫くして周辺の警備が強化され、総書記専用とされる黒塗りのマイバッハの車列が機体に横付けされた。白い防護服に身を包み、マスクをした患者らが乗り込んだ。出迎えは無い。
 
 上空は厚い雲に覆われていたが、アメリカ政府のSAR衛星と呼ばれる合成開口レーダー衛星がそうした動きを逐一捉えていた。
 
 マイクロ波を利用するSAR衛星は雲を通して地上の動きを監視できる。中国も、精度は兎も角、同様の能力を既に保持していると考えられていた。
 
 衛星は車列も追った。
 
 車列はやがて平壌市内の北朝鮮政府中枢エリアに入り、姿を消した。建物の中や地下の動きまでは把握できないが、患者が無事「帰宅」したのを見届けたのだ。
 
***

これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。 
 
©新野司郎

本連載の複製・蓄積・引用・転載・頒布・販売・出版・翻訳・送信・展示等一切の利用を禁じます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?