オーフ・ザ・レコード物語;20XX年のゴッチャ その111

 鑑定作業

 
 
 翌朝、IAEAの査察団一行は3台のミニバスに乗り込み、寧辺の核関連施設に向かった。この日は、プルトニウムの生産に使われてきた黒鉛原子炉や実験用軽水炉、すぐ近くの放射線研究所などに監視カメラを取り付け、封印作業をする予定だ。可能であれば、過去の活動を記録した申告書を一部だけでも受け取りたかったが、期待はしていなかった。サンプルの収集などは予定に入っていない。
 
 防護服に身を包んだIAEAのベテラン査察官・高橋達彦は同僚と共に担当の放射線科学研究所に向かった。白衣を着ただけの現場職員の出迎えを受け、簡単な挨拶を済ませるとすぐに作業に入った。足を引っ張ろうとする気配は全くない。

 査察官達は、使用済み燃料棒からプルトニウムを取り出すシステムの電源スイッチや操作パネルを確認しながら、一つ一つ丁寧に封印を施し記録に残す。また、出入り口や資材搬入口、燃料棒の操作アーム等を俯瞰できる場所にカメラを順次設置していく。

 カメラは最新ではなく、頑丈だが、二世代は古いものだ。かつて起きたように、後で北朝鮮が一方的にカメラを撤去し接収した場合軍事転用される恐れがあるからだ。最新機器だと北朝鮮を一層利することになる。

 出入り口の監視カメラ設置作業は朝鮮中央放送の取材クルーが映像に収めた。査察開始のニュース映像として使用するのだろう。
 
 午前の時間はあっという間に過ぎ昼食になった。査察団のこの日のランチは本部が手配しチャーター機で持ち込んだ携行パックだ。メインは缶詰に入ったチキンのクリーム煮、それに真空パックされたチーズやクラッカー、パテの缶詰、ドライ・フルーツもある。
 
 控室でクラッカーに乗せたパテを頬張ると高橋達彦はかつて先輩査察官から聞かされたブラック・ジョークを思い出していた。

 それは1994年の枠組み条約合意後に北朝鮮に入った査察チームの誰かが、多分、創作したジョークだった。

 ある時、北朝鮮の宿舎での余りに簡素な食事に音を上げたメンバーが、偶には肉が食べたいと何度もボヤいたところ、翌日のスープに小さな肉片が何切れか浮かんでいた。

 その後、査察団は気付いた。

 宿舎の周辺をいつもうろついていた猫の姿が見えなくなっていることに…という話だ。明らかに眉唾物なのだが、北朝鮮の食糧事情の厳しさを物語るジョークとして今も語り継がれているのだ。

 高橋は更にもう一つ、言い伝えを思い出した。

 それは…あるアメリカ人の査察官が宿舎の部屋で夜中に目を醒ましトイレに行くと、壁の向こうで明らかに人が転んだ音が聞こえた。廊下側からよくよく観察すると、部屋と部屋の間隔が部屋の中で感じるよりずっと広い…、きっと壁の間にはかなりのスペースが作られていて、そこで北朝鮮側の監視員が査察官の行動をチェックしているのだろう…、というものであった。

 こちらの話は信憑性が高い。昔の事だが、旧ソヴィエトやその他の独裁国家でも似たような話なら幾らでもあった。デジタル・テクノロジーが発達した今はそんなアナログの手法はもう必要ない筈だが、自分達の行動が浴室の中まで監視されているのはきっと同じだ。高橋は改めて気を引き締めた。


 その頃、菜々子は国際取材部IT班の川村仁と共に、IT班編集ブースの大型モニターを見詰めていた。スーパーインポーズ法と呼ばれる顔貌鑑定を行っていたのだ。

 顔貌鑑定にスーパーインポーズ法と言われると大仰に聞こえるが、有体に言えば、顔の画像のサイズを整えて、二つ、ないしは複数を重ね合わせ比べてみるというものだ。それを相当程度精緻に行うには一般では簡単ではないかもしれないが、様々なタイプの画像編集に必要な機材やソフトを保有し、日々の業務で編集を行っているテレビ局にとってはお手の物だ。二次元でざっと比べるだけなら早ければ半時間も掛からない。

「やっぱり一致するようにしか見えないわね」

 コロナ以前の金正恩総書記の鮮明な画像とパリの患者の画像を重ね合わせたものを見て菜々子が言った。

「片方は大分やつれて見えるので、別々に見ると同一人物とは思いにくいですが、こうやって目や鼻、耳の位置関係を重ねてみると、ほぼ同じにしか見えませんね」
川村が応えた。
「ただ、いくらサイズを調整しても、角度が微妙に違うので、、、決定的な証拠と言うには弱いかもしれませんね」

「どうすれば良いのかしら?」
「三次元処理をするしかないですね」
「それは可能なの?」
「出来ると思いますが、我々が独自にやるとなるとちょっと時間が掛かります」
「頭部全体までは必要ないでしょう?例えば半分くらいでも十分じゃない?」
「頭の周辺をぐるっと全部撮影してある訳ではないので、全体像は元より不可能ですが、写っている範囲でならトライしてみますよ。ただし、何時間という単位では厳しいかも知れません。費用も掛かりますよ」
「仕方ないわ。それで進めてください」
「了解しました」

 この手の作業が大好きでIT班に加わった川村は嬉々として応えた。腕の見せ所なのだ。

「それとね…、もう二つ、今、二次元で比べて欲しいの」

 菜々子はまずパリの患者と先の中朝首脳会談の写真の総書記を比べるよう依頼した。菜々子がじっと待つ間、川村は首脳会談の写真をコンピューターに取り込み、サイズを整えた。その時点で川村は断じた。

「これは駄目ですね。首脳会談の写真がぼやけ過ぎています。人間の目で比較しても同一と断定するのは無理だと思います」
「やっぱりね…鮮明な写真は無いのよ。彼らも分かっていてそうしたとしか思えないくらい全部不鮮明なの…」
「AIなら画像精度を上げて鑑定できるかもしれませんが、それでも十分な説得力を持たせるのは…私には何とも…」

 川村は危険と言っていた。

「では、今度はこの写真と比べてみてください」

 菜々子は正哲の最新、と言ってもかなり前の写真との比較を依頼する。川村が正哲の写真を取り込み、パリの患者の画像と重ねた。

「これは別人と断言しても大丈夫じゃないかしら?」
 菜々子が言った。

「そうですね。ぱっと見には似ているようですが、顔のパーツの位置関係は、少しずつですが、全て違いますね。これを同一と主張するのは二次元加工だけでも無理だと言って良いのではないでしょうかね」
「そう断定するのは、いつか専門家に見て貰ってからにするにしても、別人と考えて大丈夫ね」
「そう思います」

「二次元画像をやっぱりAIで鑑定するのはどうかしら?」
「それは可能です。でも、そうするには流石に外部のAIに頼らないと出来ません。それでも良ければ…」
「やっぱりね…それは後にしましょう。今、この画像を外に出すわけにはね…」
「了解です」
「では、三次元処理をお願いしますね。宜しくね」
「お任せください」

 仮に、将来、患者は正哲だと誰かが主張しても、それだけなら顔貌鑑定で違うと論破できる。菜々子は少し気が軽くなった。

 アリバイが崩せないことに変わりは無かったが、後のことは三次元処理が終わってから考えることにした。


ジェフ来訪


 中国では遺伝子情報解析の結果、白山市の飛び火の感染源が野生の鹿であることが確認された。手当の甲斐なく、第一号患者は死亡した。発見が手遅れになったのが響いたのだ。新たな感染者も二桁の単位で見つかった。ただ、新たな感染者は全て既に隔離した接触者の中に留まっていた。隔離の対象が更に拡大され、感染確認の有無に係わらず、治療薬が投与された。感染源が明らかではない更なる飛び火は見つかっていなかった。

 ヨーロッパ時間の朝、東アジア各国の夕刻に、IAEAとWHOが査察の開始と白山市の最新状況を相次いで発表した為、メトロポリタン放送の国際取材部と関係特派員達はまたも大忙しとなった。

 菜々子も当番デスクの応援に入った。いずれのニュースでも現地に特派員が入れないままなので隔靴搔痒の感は否めなかったが、専門家も含め総動員で放送に当たる。ほぼ連日の作業に皆、疲労困憊だが仕方ない。これが仕事だからだ。

 だが、大友雄一と戸山明雄が現場離脱を余儀なくされた皺寄せを受ける他の特派員達が気の毒だった。何とかしたくともベテラン記者の数には限りがある。国営放送や全国紙とは違うのだ。現有勢力で踏ん張るしかないことは菜々子も海外の現場も分かっていた。
 
 そんな事情なら十分理解している筈の加藤昌樹報道局長から、オンエア中にも拘わらず菜々子に呼び出しの電話があった。忙しさのピークが過ぎた頃、菜々子は加藤の部屋に向かった。ニュース制作部長の雨宮富士子の視線を感じる。彼女がまた何かを針小棒大に騒ぎ立てようとしているのかと思った。
 
「やあ、お疲れ、デスク応援までご苦労さん」
 
 菜々子が部屋に入ると加藤が猫撫で声を出した。こんな時はろくでもない話に決まっている。
 
 菜々子が座ると加藤はプリント・アウトを一枚差し出しながらこう言った。
 
「忙しいところ悪いが、これは読んだかな?」

「外務省の現職課長とキー局報道局部長の親密な関係に識者は情報漏洩を危惧」
 
 見出しを目にした菜々子は驚愕する。しかし、平静を装いながら紙を受け取り、読み始めた。
 
「外務省北米局の男性現職課長と某キー局の女性国際報道部長が親密な関係にあるという…」
 
「何ですか、これは?」
 菜々子は呆れたように加藤に尋ねた。
 
「いや、ネットで少し出回っている文書だそうだ。文章から察するにキー局の女性部長とは君の事だと思うが、どうなんだい?」
「そうかも知れませんが…こんな得体の知れない文書が問題になるでしょうか?」
「いや、情報漏洩に疑いというのは穏やかじゃないよな?実際どうなんだ?」
「それはありません」
「そうか…秘書室も気にしていてさ…」
 
 加藤が情報の出元を示唆する。そうだとすれば記者としては上等とは言えないが、もっとも、それが本当とは限らない。
 
「この外務省の課長とやらに心当たりはあるのか?」
「外務省北米局の課長に知り合いは居ますが、情報漏洩はありません。それは断言できます」
「親しいのか?」
「さて、それは何とも申し上げられません。仕事上のやりとりは基本的にありませんので」
「そうか…だとするとこの文書は何なんだ?」
「私にもさっぱり分かりませんが、情報漏洩は絶対にありません」
「私にもさっぱり分かりませんでは困るぞ。これはどう見ても君の話だ。きちんと説明してくれ給え」
 
 加藤は語気を強めた。菜々子はまず大きな溜息をつき説明を始める。
 
「外務省北米局の課長さんに知り合いは居ます。ワシントンにほぼ同時期に駐在していました。しかし、帰国後、世界情勢全般について意見交換をしたことはありますが、具体的な取材をしたことはありませんし、何か機密に関わる情報を聞き出したこともありません。
それだけです」
「もう一度訪ねる。親しいのか?」
「何でそんな話が出てくるのか、私には理解できません。何かご存じなのでしょうか?」
 菜々子が逆に尋ねた。
 
「知りたいのはこっちの方だ!」
 加藤が激高した。上から何か言われたに違いない。平目なのだ。
 
「部下二人が最近相次いで倒れたなんて、何で漏れているんだ⁉」
「それこそ私にも分かりません。実際、忙しくて、外部の人とそんな話をする暇はありません」
 
 プライベートの事に首を突っ込むなと釘を刺したかったが、それを口にすれば親しいのを認めることになる。加藤に教えるつもりは全くなかった。
 
「分かった。もう良い。ただ、どこかの誰かが君に関する情報を悪意で流したことだけは確かだ。気を付けてくれ」
「はい、分かりました」
 
 雨宮ならあんな話を吹聴する可能性はあるが、怪情報をネットに流したのが彼女とは限らない。何が何処から飛んでくるか分からないのだ。一層用心しなければいけないと菜々子は肝に銘じた。
 
 
 
「また評判になっているぞ、君たちの取材がね」
 
 夕刻、ほぼ日暮れと同時にオーフ・ザ・レコードにやってきたジェフが言った。
 
「うん?」
 
 生ビールのグラスを出しながらルークが先を促した。
 
「パリの事さ。あんな取材を出来るのは君達かべリング・キャットかICIJ位しかない。感心しているのさ」
 
 べリング・キャットはイギリスで創設された調査報道ネットワークで、様々な立場の民間人ボランティアがSNSやネット上にあるオープン・ソース情報を基にニュースを発掘し発信を続けている。
 
 彼らを一躍有名にしたのは、イギリスで2018年に起きた元ロシア人スパイと娘の暗殺未遂事件の実行犯の身元を割り出し暴露したことだ。実行犯はロシア軍の情報機関・GRU所属の軍人で、犯行にロシアが作った化学兵器のノヴィチョクが使われたこともあり、世界を震撼させた。
 
 ICIJは国際調査報道ジャーナリスト連合の英語の頭文字で、ワシントンに小さな事務所がある。1997年に創設され、世界70ヶ国200人以上のジャーナリストが参加する調査報道を行う為のコンソーシアムだ。タックス・ヘイブンの実情を赤裸々に記したパナマ文書やパンドラ文書の暴露で名高い。
 
 悪行は暗闇を好む。それを為す者達は時に暗闇を作り出してまで隠れ蓑にしようとする。国家権力を濫用する独裁者達も自分達の悪行を隠したがるが、べリング・キャットとICIJはそれらを幾つも白日の下に晒してきた。
 
 黙っていれば闇から闇に葬り去られる悪事を暴くのはジャーナリズムの根幹と言ってもよい役割だ。だからこそ、悪行を為す者はジャーナリストを敵視する。そして、御用報道機関ばかりを育成しようとする。その結果はプーチン政権下のロシアや共産党独裁下の中国の状況を見れば明らかだ。程度の差こそあれ、国民は洗脳されてしまうのだ。
 
「べリング・キャットとICIJは別格の存在さ。メトロポリタン放送とは比較にならないよ」
 
 ルークは話を逸らした。彼が何処まで知っているのかもう少し感触を得たい。
 
「時に世界を驚かせるという点では君達も結構やる。我々は侮ってはいない。リスペクトしているのさ」
 ジェフが応え、続けた。
「で、どうするつもりなんだい?直ぐにも放送するのか?」
 
「ご存じの通り、私はもう引退した人間さ。私が決めることではないとしか応えようがないよ」
 
「それはそうだな…では訊き方を変えよう。ここにある一連の事実があるとする。君達はそれが真実だと思っている。しかし、そうだと肯定する者は他に誰も居ない。証拠は持っている。しかし、何かが欠けていて否定されたら突き崩せない。それでも放送に踏み切るのかな?」
「何かが欠けているとは?」
「距離だな。そう簡単に移動できる距離ではない。それに本来居る場所でもない。そして、その距離を本当に移動したのか、どうやって移動したのかまでは把握していない」
 
 ジェフは全てお見通しのようだ。各国の情報を吸い上げたのだろうとルークは思った。
 
「君の勝ちのようだな」
 ルークは言った。
「どうするのが一番良いと思うかね、ジェフ?」
 
「それは我々が口にすべきことではないが、君が私の古い友人であることを踏まえてアドヴァイスをするならば、状況が変わるのを待つのが良いと思うな。今は、この先の進捗が大事だ。事態がどう転がるのか見極めてからでも良いのではないか?」
「他に先を越される恐れは?例えば韓国メディアが話だけでも先行するとか?」
「今のところ、その心配はない。誰も知らない」
「韓国筋がちょっと心配になるな…」
「それも大丈夫と考えて良いと思うぞ。彼らも今の流れをかき乱したいとは考えていない」
「そうか…まあ菜々子に伝えるよ。決めるのは彼女だからな」
「それが良いな…上手く伝えて欲しい」
 
 ルークは頷くと尋ねた。
「食事は?今日はビーフ・ストロガノフがある」
「それは良い響きだ。プリーズ」
 
 ルークはインディカ米で作ったバターライスとストロガノフをたっぷりと皿に盛り、細かく刻んだイタリアン・パセリを散らした。付け合わせの野菜はローストして焦げ目をつけたブロッコリーニだ。
 
「美味しそうです」
 ジェフは続けて日本語で言った。
「頂きます」
 
 古い友人は会話にも料理にも満足しているようだった。
 
***

これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。 
 
©新野司郎

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