オーフ・ザ・レコード物語;20XX年のゴッチャ その82


 

焦点


 
「灯りを点けましょう、ぼんぼりに―、お花をあげましょう、桃の花―…」
 
 可愛らしい歌声が微かにルークの家から聞こえてくる。二階の部屋もオーフ・ザ・レコードも窓は少しだろうが、開いているのだ。
月はとっくに替わり、寒さはかなり緩んでいた。
 
「お孫さんですね。羨ましいですよ」
 元内閣情報官の袴田剛が席に着くと言った。
 
 ルークの求めに応じて来訪したのだ。袴田に子供は居ない。夫婦二人だ。
 
「覚えたてなんだが、褒められるのが嬉しいらしくてね。何度も歌うんだよ。私も嬉しいんだが、付き合わされる女房と娘は内心もうげんなりしているかもね」
 
 ルークが生ビ―ルのグラスを置いた。
 
「神山さんが宜しく伝えて欲しいと言っていましたよ」
「そうか…彼は相変わらず忙しいんだろうね」
「それはもう、私なんかとは比べ物になりませんよ」
 
 袴田がビールを一口飲んでから言った。神山とは緊密に連絡を取っているという証でもある。
 
 
「そうだろうね。そう言えば、彼も孫と遊ぶのが何よりの楽しみだなんて、らしくない事を言っていた時期があったが、上のお孫さんはもう大分大きくなった筈だよね」
「ぼちぼち受験らしいですよ」
「そうか…月日の経つのはほんと速いもんだ。
でも、まあ、彼の一族は皆、お頭の出来はぴかいちだから心配ないんじゃないの?」
「そうだと思います」
「うちのも結構賢いみたいだが、どうなることやら…」
 
「で、今日はどのようなご用向きでしょう?」
 袴田が尋ねた。
 
「いや、何て言えば良いのかな…。次の週明けで封じ込め作戦が始まって四週経つじゃない?」
「ええ」
「そして、今のところ順調で、このままだと近々一区切りつくことになるんだと思うんだけれどね…」
「その可能性は高いかもしれませんね」
「でも、それで目出度し目出度しになって御破算にはならないんじゃないかっていう、まあ、憶測を聞くもんだからさ」
「もう少し用心をしたいと思うのは人情ではありませんか?再燃しないとも限りませんし…」
「それだけかな…、いや、北が局面打開を図って、何か次の手を打つには絶好のタイミングになるんじゃないかな?…そういう見方についてどう思う?」
「成る程…相変わらず鋭いですね」
 
 袴田の反応は日本政府内にも同様の見方があることを示唆している。
 
「でも、ちょっとやそっとじゃ、誰も乗りません。余程ドラスティックなことでないと」
 袴田が続けた。
 
「そのドラスティックな手を打ってきたら?彼らもそうでなければ相手にされないのは分かっている筈だし…」
「それはそうだと思います。でも、まだ、何とも…」
 ここまでは双方の見解はほぼ同じだ。
「やっぱり、蓋が開いてみないと駄目か…」
「それはそうだと思います」
 
「でも、アメリカさんは色々シミュレーションをしているんじゃないの?北が相手にしたいのは彼らなんだから」
「そうかも知れませんが、現時点では何ともね」
 
「そうか、やはり各国色々考えているんだ」
 
 ルークはそう悟ったが、口にはしなかった。
 
「で、もう一つあってさ…」
「何ですか?」
「いや、健康問題さ。いつもの事だけれどね」
「ほほー」
「いや、最近、こっちの方の取材も停滞しているんだけれどね」
 
 ルークはメトロポリタン放送国際取材部がこの問題で動いていることを示唆した。ただし、菜々子達の取材にここ数日、特段の異状も成果も無い。
 
「ただ、また面倒なことにならないと良いなとちょっと心配しているんですよ」
「え、また、パリの時のようにですか?」
「パリだけで済めば良いんだけれどね…」
 
「焦点はパリか…」
 
 袴田は内心そう受け取ったが、それは言わず尋ねた。
 
「また、でかい話のようですね」
「正直、まだ分からないんだが、万が一の時はまたお世話になるかもしれない。その時は宜しく頼みますよ」
 
 袴田が少し考え込んでから言った。
 
「…分かりました。何が出来るのか見当もつきませんが、必要な時は連絡してください」
「有難う。よろしくお願いしますよ」
 
 袴田がビールを飲み干した。
 
「さて、食事はするでしょ?お裾分けみたいで申し訳ないが、今日はちらし寿司と蛤の吸い物、菜の花のお浸し、それに鶏の唐揚げ。我が家は今日が雛祭りなんだ。孫がインフルに罹っちまって遅れてね」
「それはお気の毒でしたね。でも回復されたようで何よりです」
「ぼちぼち桃子も来る頃だから、二人分支度しますよ。これを飲んで待っていて」
 
   ルークが白ワインのボトルを開けた。

 
 
 その頃、パリの大友達は相変わらず地道に定点観測を続けていた。開始以来、四日目になる。
 
 パリも大分暖かくなってきた。あちこちで小さな若芽が吹き始めている。ヨーロッパの人々が待ち焦がれる季節だ。
 
 すると、昼過ぎ、バルコニーに若い女性が一人出て来た。大きく背伸びし、深呼吸をするのが見て取れる。アヌールが超望遠カメラで上半身に寄り、焦点を合わせる。
 
「ビンゴー!」
 
 大友が心の中で叫び声を上げ、隣の山瀬の肩を掴んだ。その姿は紛れもなく、北のお姫様だった。

 
 
 ロシア情勢や中国情勢で一般的な意見交換に花を咲かせながら食事を終えた袴田は帰路に就いた。
 
 すると、桃子が真顔でルークに報告した。
 
「とても怖いことになるから止めておけって言われました」
「ん、そう言われるのは初めてではないよね?」
「二度目です」
「しかも、正男や正哲の取材では言われたことのないフレーズだよね」
「そうです…」
「そうか…大当たりだけれど無茶苦茶怖い話になるという意味だね」
「そう受け取るしかないです」
 桃子が断言した。
 
「うーむ、いやさっきさ、袴田ちゃんと話したんだが、北が近くドラスティックな手を打って来る可能性はあるという見方では一致したんだ。何をやってくるかは分からないんだけれどさ」
 ルークも説明を始めた。
「それと、健康問題で、前にあったようなトラブルが起きるかもしれないから、その時は宜しく頼むとお願いもしたんだ」
「そうですか…」
「保険を掛ける意味でもね。いざとなったら助けてくれそうなのは彼らしかいないからさ」
 ルークが告げた。
「それ、きっと正解だと思います。丁度良いタイミングだったかも知れません」
 暫し考え、桃子も賛同した。
 
 すると二人のスマホがほぼ同時に鳴った。菜々子からだ。
 
 お姫様確認の報せだった。
 
***

これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。 
 
©新野司郎
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