オーフ・ザ・レコード物語;20XX年のゴッチャ その107

帰国

 
 
 IAEAの北朝鮮核施設査察団一行を乗せたエール・フランスのチャーター機はウィーンを飛び立ち、イギリスやグリーンランド上空を経て大西洋を横断しアラスカ上空から平壌に向かうルートを順調に飛行していた。
 
 途中、イングランド南東部のサフォーク州にあるレインヒークス空軍基地を飛び立ったF35戦闘機などがチャーター機を遠巻きに警護するように同伴飛行していたが、チャーター機の乗客・乗員には知る由もなかった。
 
 メトロポリタン放送は月曜夕方以降のニュースと情報番組でWHOの発表とIAEA査察団の出発を大々的に報じる。ジュネーブではパリから押っ取り刀で駆け付けた山瀬がレポートをした。
 
 事実関係の報道に加えて、耳目を集めたのは外交評論家の簗瀬衛の次のようなコメントだった。
 
「このADE株の再燃と核査察の受け入れなんですが、タイミングは一致していますよね。白山市でADE株による感染が再燃したのは偶発的だろうと思いますが、このタイミングでの核凍結宣言と査察受け入れ、対米交渉の呼びかけには北朝鮮政府の何らかの意図があるのは間違いありません。
 目的は対米関係の打破ということなのでしょうが、果たしてそれだけなんでしょうか?もっと深い隠された狙いというか遠大な計画があっても不思議ではないかもしれませんね」
 
 ライブで火曜朝のニュース番組のスタジオに出演した簗瀬はこう述べたのだ。
 
「とおっしゃいますと具体的にはどんな狙いが考えられるのでしょうか?」
 
 ベテランの男性キャスターが尋ねた。
 
「推測にすぎませんが、今、中国はADE株対策と対立久しい対米関係の打開の模索、国内の経済対策で忙殺さている筈です。つまり他の事にまで手を回す余裕は余り無い筈です。ですので、北朝鮮政府は、この機会に対米関係を改善すると共に、結果として中国離れも始めたいと考えていても不思議ではありませんね。尤も目論見通り行くかどうかは別問題です。簡単ではないと思いますけれどね」
 
「成程、貴重なご指摘を有難うございました」
 

ベーリング海

 
 
 アラスカのアメリカ空軍基地から早期警戒機とF35A戦闘機の編隊が相次いで飛び立った。F35に燃料を補給する空中給油機は既に先を行っている。これからベーリング海上空のロシア領空との境界線周辺の警戒に当たるのだ。
 
 IAEAの査察団を乗せウィーンを飛び立ったエア・フランスのA350-1000型機も給油地のアンカレジを既に飛び立ち、ベーリング海上空に差し掛かっている。当然といえば当然だったが、飛行は順調だ。
 
 ルートはずっと明るく、夕陽に照らされた雲海が実に美しい。ウィーンを朝に出て西に向かった関係で太陽はなかなか沈まないのだ。
 
 灯りが消され、窓のブラインドが下ろされていた暗い客室で、査察団一行はまだほぼ全員寝入っていたのだが、即席の隔壁で分けられた後部の特別席に陣取った患者は既に目を醒まし、外を眺めていた。
 
 通常の旅客機で勝手にブラインドを開けると乗務員に制止されるのが普通だが、このチャーター機後部でそのようなことは起こらない。勿論、同乗の人間で患者に文句を言う者など居ない。既に睡眠は十分に取った。身体はやや重いが、体調に問題は全く無い。むしろ本国が近づくにつれ、気力が漲ってくるのを感じていた。近くの座席で娘はまだ寝ていた。
 
 一睡もせずにずっと起きていたのであろう御付きが運んできた茶を飲むと再び窓の外に目をやる。他の同行者達は皆座席で畏まり、びくとも動かない。私語も全く交わさない。患者の前で眠りに落ちるような者も一人としていなかった。
 
 すると斜め前方に黒い小さな影が二つ、ほぼ並行して飛んでいるのに患者は気付いた。チャーター機との距離は分からなかったが、軍用機だろうと推察した。そして、現在の位置からしてアメリカの軍用機であろうことは容易に想像がついた。
 
 彼はそうだと確証を得るまで偶然を信じない。強制着陸を命ぜられる気配はない。患者は愉快で堪らなかった。
 
 
 
 その頃、菜々子はシャルル・ド・ゴール空港発の機中に居た。もう暫くすれば経由地の北京空港に到着する。
 
 菜々子は、DGSEとの面会のメモ作成をルノー弁護士に発注し、それを自分と大友、そして山瀬の社内メールに送るようベルナールに依頼してあった。
 
 メモはもう既に届いている筈だったが、菜々子はまだダウンロードしない。がちがちにセキュリティー対策を施した会社のメール・システムは相当安全なはずだが、中国の航空機内や北京でアクセスするのは危険だ。
 
 羽田に帰国するまで待つことに決めていた。
 
***

これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。 
 
©新野司郎

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