オーフ・ザ・レコード物語;20XX年のゴッチャ その114

 


 
「データをいじっているとすれば、ここか…」
 
 翌金曜日、IAEAのベテラン査察官・高橋達彦は早朝から起きだし、放射線研究所の申告にざっと目を通していた。見ると使用済み燃料棒から抽出したプルトニウムの歩留まりが悪い。西側の一般的な歩留まりの半分にさえ届いていない。

 再処理した燃料棒の総数もIAEAの推定より少ないのだが、それを検証する作業より、歩留まりを確認する方が難しい。使用された各種薬品や廃液の量と質を調べてどこまで追求できるのか、最後のところは明確にならないことを北側は見越しているとしか思えなかった。
 
「いずれにせよ膨大な作業になるな…」

 高橋はやや途方に暮れる思いだったが、今、それを言っても詮は無い。最終的には交渉の行方次第とはいえ、出来るだけ真相に迫るのがIAEAの役目だ。

「さあ、また出陣だ」

 そう言って自分を鼓舞し、高橋は仲間と共に事実上三日目の作業に向かった。前日に封印作業はほぼ終わっている。残るカメラの設置をしたら、各種サンプルの採取に当たる予定だった。

 IAEA本部はその前にウェブ・ページで、現地での本格的な査察作業が順調に推移していることや北朝鮮からの申告を受け取った等事実関係を端的に発表していた。

 何度も裏切られてきた過去の歴史を考えれば、これだけで手放しで喜ぶような声は関係各国政府には全くと言っても良いほど無かったが、各国政府は警戒しつつも先行きに期待するとの趣旨の声明を相次いで発表していた。

 例外は韓国の一部だけで、退任後に駄目ジェインと日本のネット上で揶揄されることになったムン・ジェイン元大統領の支持層からは、これで南北の平和共存が可能になるといった能天気な楽観論が早くも出ていた。

 一方、中国・吉林省の白山市と周辺の封鎖地区では既存株の新規感染者は見つかっていたが、ADE株の新規陽性者が前日にひとまずゼロになった。これはWHOと中国政府が直ちに発表し、全世界に発信された。
  
 まだ全く安心は出来なかったが、研究室レベルの実験では、ADE株の感染を助長する中途半端な抗体ではなく、質量共に十分な抗体があれば感染をある程度防げることも分かってきた。そして、感染を防げずとも、手遅れにさえならなければ治療薬が効くことも再確認された。また、殆ど抗体が無い場合は既存株の方が優勢である可能性も高かった。

 これを受け、白山市内の接触者の隔離と治療薬の予防投与、封鎖地域住民への一斉検査に加え、性能が良くないとされる中国製ではなく、西側が製造した最新のワクチンがWHO経由で供与され、吉林省や遼寧省で接種も順次始まった。ワクチンに関しては中国もプライドをかなぐり捨てたのだ。
 
 WHOは暫く事態の推移をみて、研究室レベルの実験結果が実際にも間違いなさそうと見なされれば発表する予定だった。そうなれば各国は新たに最新ワクチンの在庫を積み増し、高齢者や希望者に定期的に摂取を進める可能性が出てくる。ワクチン・メーカーにとっては、再び大儲けのチャンスになり得る状況だった。

 同時に人民解放軍を中心とする野生の鹿の保護と検査も始まった。

 少しでも弱っている鹿のいる群れはADE株に感染している恐れがあるので、直ぐに殺処分され、その後に検体が採取される。その様子に全く問題のない鹿の群れは可能な限り捕獲されて隔離され、検査される。

 検査には新たに本部から現地に派遣されたWHOの職員も立ち会う。こちらの発表は全頭検査がほぼ終了したと推定されるようになった後に為される予定だった。

 北朝鮮側では既に新規陽性者が見つからなくなって久しいが、全国の住民全員に対する5日に一度のPCR検査が続いていた。WHOと中国政府による支援も続いている。日々の経過はWHOのウェブで毎日更新されていた。

 北朝鮮側でも鹿対策は始まっていたが、現地のキャパの関係で、検査を経て保護される鹿は少数に留まった。大半は殺処分・埋設処理される運命だった。

 この週末、ヨーロッパやラテン・アメリカのキリスト教国の多くがイースター・復活祭の四連休に入っていた。週末は勿論、グッド・フライデーと呼ばれるこの日金曜日とイースター・マンデーと呼ばれる月曜日も休みだ。春の行楽シーズンでもある。

 しかし、アメリカは例外だ。日曜日の復活祭当日の礼拝こそ各地で大々的に執り行われたが、休みは週末だけだ。キリスト教とは縁遠いアジアや中東諸国もアメリカと同様だ。

 生体肝臓移植の執刀医であるパリ第二十一大学医学部のアラン・パスカル教授は、このイースター休み明けから通常の勤務に戻る予定だったが、メトロポリタン放送取材陣が手を付ける予定は無かった。

 

警備会社 


「それでは、この四枚のサンプル写真の同一性をAI鑑定すればよいということですね?」

「はい、お願いします」

 この日の昼過ぎ、菜々子はIT班の川村仁と共に本社ビル等の警備を請け負っている綜合警備会社の担当者と総務部の会議室で打ち合わせをしていた。総務部からは部長の原沢孝弘だけが同席していた。

 彼はウズラという綽名で知られていた。頭の形がウズラの卵を逆さまにしたようだったからだ。同時に、肌は白く、髪も髭も薄くてつるりとしていて、まさにウズラの卵を連想させる。ただし、体型は似ても似つかない。細身で身長190センチを超える。しかし、スポーツとは特に縁は無く、趣味はピアノ演奏だった。

 川村の下調べを受け相談した結果、結局、本社の警備業務を一手に引き受けているセキュリティー会社のAIで鑑定してもらうのが一番安全という結論に達したのだ。

 今は総務部長を務める原沢もかつて報道局の敏腕事件記者として鳴らした御仁だ。菜々子の内々の依頼を、少し先輩にあたる原沢は根掘り葉掘り事情を尋ねることなく快く受け、セキュリティー会社の担当者を直ぐに引き合わせてくれたのだ。報道出身者は動きが兎に角速い。

「私からも宜しくお願い致します。費用は臨時警備費にでも計上して、総務部に請求して下さい。こちらで処理しますので」
 原沢はこうも口添えした。

 費用まで面倒を見てくれるという原沢の厚意に菜々子は感謝するしかない。もっとも、原沢の現在の上司に当たる矢吹なら同じようにやってくれる筈だった。

 昨夜遅く、神山官房副長官が帰った後のオーフ・ザ・レコードでの報告で矢吹もほぼ全てを知っている。総務関係の主要幹部は頼りにして大丈夫だった。自分の手柄を最優先する加藤報道局長とは大違いだった。

「写真には目・耳・鼻しか映っていませんが、全員別人の可能性が高いのか、同一人物が居る可能性が高いのかだけでしたら、AIに鑑定してもらえば直ぐに結果は出ます。しかし、どちらの方なのかは分かりません。それでも宜しいのでしょうか?」
 担当者が確認を求めた。
「勿論です。同一人物の可能性が高い写真があるのかどうかだけで結構です。宜しくお願い致しします」
 菜々子が応えた。

 4枚の写真には番号が振ってある。

「念の為申し上げますが、AI鑑定でも、このような一枚写真だけを比較する場合、同一性100%と出ることは滅多にありません。良くても97とか98までです。逆に、人の目には大変良く似ていても、別人の場合はかなり明確に別人と鑑定出来ます。
 御社の入り口にあるようなセキュリティー・ゲートの顔認証システムのAI鑑定の場合、それで十分ですが、別の言い方で申し上げますと、例えば、この写真鑑定だけで裁判の決定的証拠になるかとお尋ねになられても、そうはいかないケースが殆どとお考え下さい。勿論、場合によっては、相当な補強材料にはなり得ますが、これだけで100%間違いのない動かぬ証拠になる可能性は現実には低いということは事前にお含み置き下さい」

 担当者は補足して説明した。原沢は興味深そうに聞いている。記者魂が疼くのかも知れなかった。

「はい、それは承知しております。宜しくお願い致します」
「畏まりました。これから戻って直ぐに鑑定にかければ夕方以降に結果をお知らせできると思います。データはこちらのUSBの中にあるわけですね?」
「はい、入っております」
 今度は川村が応えた。
「畏まりました。結果はどのようにご連絡申し上げれば宜しいでしょうか?」
「私宛にメールでお伝え頂けますか?」
 菜々子が応えた。

 担当者は原沢が頷いたのを確認した。

「それでは直ちに作業に入ります」
「あの、くれぐれも御内聞にお願い致します」「ご安心ください。業務上知り得た御社の情報が外部に漏れることは決してございません。
 それでは、これで失礼致します」

「お忙しいところ、急なお願いで申し訳ありません。恩に着ます。宜しくお願いします」

 原沢が笑みを浮かべながら言い、立ち上がって担当者を見送る。菜々子も川村も立ち上がって一礼した。

「いやー何をしているのか訊かないけれど、面白そうだ。良いネタを仕込んでいるようだね?」
 担当者が帰途に就くと原沢が言った。
「有難うございます。まだ、何とも言えませんが、うまく行けば…」
「まあ、一部は誰の写真が基になっているか分かるような気がしないでもないが、余計な事は一切言わずに成果が日の目を見るのを楽しみしているよ」

 国内の事件取材でも一つの案件に半年や一年掛かることが珍しくないのを原沢は身をもって知っていた。

「ご協力有難うございます。感謝致します」
 それでも菜々子の口は堅い。
「くっくっく、分かった、分かった。じゃあ、また」

 ウズラと呼ばれる原沢はその渾名とは異なり鳩のような奇妙な笑い声を上げながら会議室を出る。菜々子と川村も後に続いた。

「ところでルークさんとは偶にはあっているのかい?お元気なのかな?」

 加藤局長一派と反りが合わず報道局を出た原沢はかつての鬼上司の綽名を懐かしそうに口にして尋ねた。

「はい、お元気です」
「それは良かった。矢吹専務も時々お邪魔しているようだが、近々、俺も顔を出すかな…ま、その前に会うようなら宜しく伝えてね」
「はい、分かりました。きっと喜ぶと思います」
「じゃ」

 ウズラが自席に戻って行った。

***

これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。 
 
©新野司郎

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