オーフ・ザ・レコード物語;20XX年のゴッチャ その93
凍結宣言
「朝鮮労働党の戦略的決心によって20XX年四月三日午前十一時、小型プルトニウム爆弾の爆発実験が成功裏に行われた…」
午後八時、朝鮮中央放送が予告通りに特別重大放送を開始した。冒頭の内容は午後四時の中央通信の発表と全く同一だ。日本では公共放送が、世界ではCNNやBBCが同時通訳付きでその内容の生中継を始めていた。いわゆる特番である。
「…安全かつ完璧に行われた今回の実験は、周囲の生態環境に何の否定的影響も与えなかったことが確認された」
次いで、新たな部分が始まった。
「今回の小型核爆弾の実験は、我々の核武力発展が最高の段階に達したことを示した。実験が最も完璧に成功したことで、朝鮮は核保有国の前列に堂々と立つことになったし、我が共和国人民は最強の核抑止力を備えた尊厳ある民族の気概を世界に轟かすことになった。
我が共和国が行った核爆発実験は、敵対勢力の日を追って増大する核の威嚇と恐喝から国家の自主権と民族の生存権を徹底的に守り、朝鮮半島の平和と地域の安全を頼もしく保証する為の自衛的措置である」
いつもの様に核開発の正当性を主張したが、アメリカを名指しして非難する言葉は無い。
「朝鮮半島とその周辺は、世界で最も危険な戦争発火点になる恐れがある。敵対勢力はわれわれの強盛国家建設と人民生活の向上を阻み、『体制崩壊』を実現しようと躍起になって狂奔している。だが、真の平和と安全は、威嚇と恐喝によって実現することは無い。また、いかなる屈辱的な請託や妥協的な会談の席で成し遂げられるものでも決してない」
これも内容的には目新しくないが、やはりアメリカへの名指し批判は無い。このトーンは過去の例と異なる。
「しかしながら、朝鮮人民民主共和国は朝鮮半島の平和と地域の安全を保障する為に努力を尽くしている真の平和愛好国家である。最高の核抑止力を発展させ確保した我が共和国の最高指導部は、その平和国家の証として、次の事を宣言する」
特別重大放送の核心部分が始まった。
「責任ある核保有国として、侵略的な敵対勢力が我々の自主権を侵害しない限り、既に宣明した通り、我が共和国は先に核兵器を使用しないであろうし、いかなる場合にも関連手段と技術を移転することはないであろう。
また、責任ある核保有国である朝鮮は、敵対勢力が威嚇と恫喝を続け、我が国の自主権を侵害しようとしない限り、これ以上の核開発を全面的に凍結し、核管理に関する国際的な協議に応じるであろう」
核の先制不使用宣言は発表にもあるように既に出されている。しかし、核開発の全面凍結は本心であるならば新たな局面を切り拓く可能性がある。ただ、宣言だけでは不十分だ。アメリカは信用しない可能性が高い…声明の内容に集中しながら菜々子はそう思った。
気の早いライバル社は「北朝鮮が核開発凍結を宣言」と速報を直ちに打ったが、メトロポリタン放送はまだ出さない。声明は更に続いた。
「その第一歩として、そして、我々の誠心誠意の証として、寛大なる我が共和国最高指導部はかつて存在していた国際的な枠組みによる朝鮮の核開発施設と我々が自主努力で完成させた核技術への査察を一方的に受け入れる用意がある。最高指導部によるこの崇高なる精神の表れは関係機関に直ちに通知される。
平和を希求する我が共和国の寛大極まりない精神の表れであるこの呼び掛けが、敵対勢力の首魁であるアメリカに通じ、朝鮮半島の緊張緩和と平和の構築を目指すメカニズムの構築に繋がるよう、アメリカもまた誠意ある対応を示すことを求めるものである。
偉大な朝鮮労働党の経済・核武力建設の並進路線を高く掲げて前進するチュチェ朝鮮は、限りなく繁栄するであろう」
ここで、メトロポリタン放送も次のようなニュース速報のスーパーを入れた。
「北朝鮮が核開発凍結と国際査察の受け入れを一歩的に宣言。対米交渉を求めた」
これは明らかに大きな譲歩だ…しかし、相当な癖球でもある…菜々子はそう思った。何故ならば、北朝鮮が宣言したのはあくまでも凍結であって、廃棄ではない。また、査察も核開発施設や技術に対するものであって、兵器そのものに対する査察には触れていない。そして、ミサイル開発には全く言及がない。アメリカなど西側が求めるCVID・完全かつ検証可能で不可逆的な非核化にはなお程遠いのだ。
ただ、この宣言が言葉通り実行されれば、朝鮮半島の緊張を劇的に緩和し、平和構築に向けた最初の一歩となり得ることは間違いない。また、IAEA・国際原子力機関は査察団の招聘をされたら、その組織の性格上、嫌とは言えない。存在意義に関わるからだ。結局、アメリカも交渉に乗り出さざるを得なくなる可能性が高いと判断せざるを得なかった。
メトロポリタン放送も番組放送予定を変えて、午後九時から特番・特別報道番組を開始することになった。国内外の関係記者が総動員され、この日は客員解説委員として木原桃子も久しぶりにスタジオの解説陣に加わった。
ホワイト・ハウスでは直ちに国家安全保障会議が招集され、ファン・ジアン所長らワイルド・キャット班の事務方幹部も同席を求められた。
「これはかつての枠組み条約への無条件復帰に等しいかもしれません。しかも、一方的です。現時点で、我々には追加支援の義務など何も生じません」
ワイルド・キャット班を統括するジュディー・アマール安全問題担当補佐官が北朝鮮の宣言の概要とその意味合いを説明する。
「あの時とは大分状況は違う。彼らはもう十分核兵器を持っている。大陸間弾道ミサイルも実用化寸前だ。はい、そうですか、とはいかない」
ベン大統領が以前と同じように指摘した。
「おっしゃる通りです、大統領閣下。しかしながら取り敢えず、我々も声明を出すのが適当かと存じます」
「どんな声明かな?」
「こちらをご覧ください」
アマール補佐官はモニターに声明文案を映し出した。
「アメリカ政府は、北朝鮮が核実験を強行したことを改めて非難する。明らかに国際秩序を乱し、地域を不安定化させる行動で、安保理決議違反だ。断固受け入れられない。アメリカ政府のこの姿勢が変わることは無い。
しかしながら、現地時間の本日夜に発表された北朝鮮による核開発凍結宣言と国際的な査察の受け入れ宣言は歓迎する。朝鮮半島の緊張緩和に遅ればせながら寄与する可能性があると認識する。
だが、問題なのは言葉ではなく行動だ。実験強行は改めて北朝鮮の脅威を物語っているからだ。北朝鮮が宣言通りに実際に行動するかを見極めた上で、同盟国と協議し、対応を決めたい」
「『歓迎する』はまだ早すぎるのではないか?核実験を強行した矢先だ」
大統領が指摘した。
「それでは『宣言には留意する』では如何でしょう?」
「それが良かろう」
「では、直ちに」
アマール補佐官は報道官を見て頷いた。『留意する』に修正されたホワイト・ハウスの声明は直ぐにウェブ・サイトにアップされた。同時に、国務省の事務方が日本や韓国への連絡も始めた。
「で、その先だ。宣言通り査察団を受け入れるだろうか?」
「具体的にどこまで自由に査察をさせるかは別問題かと存じますが、現時点で、招聘さえしないと考える理由はございません」
「そして…?」
「するとアメリカ政府としても何らかの形で話し合いを始めざるを得ないでしょう。行動には行動で応えざるを得ません。
ご案内の通り、核実験は新たな脅威を意味するものではありません。心理的な影響を除けば、それ自体が朝鮮半島情勢を大きく変動させるものではございません。彼らもそこは計算に入れている筈です。交渉が始まれば、差し当たって、査察の範囲やタイミングを交渉条件にして彼らは見返りを求めて来るでしょう」
「例えば?」
「連絡事務所の相互設置や朝鮮戦争の終結宣言の交渉、引いては関係正常化交渉を俎上に上げようとするでしょう。制裁の一部緩和や支援も求めて来るでしょう」
「廃棄に繋がるとは限らない凍結と一部査察だけで彼らがそこまで得ようとしても無理だな。議会は絶対納得しない。日本も嫌がるだろう」
国際問題には上院議員の頃から詳しいベン大統領がまた指摘した。
「その通りでございます。ですので、こちらも差し当たって、見返りに制裁のごく一部の緩和と多少のエネルギー・食料支援程度から提案するしかございません。まあ、連絡事務所の相互設置位も話し合っても構わないかと存じます。緊張緩和には寄与しますので…」
「しかし、核の放棄には何があっても応じないのではないか?だとすれば一時の気休めにしかならない」
大統領がさらに疑念を示した。アマール補佐官は説明を続ける。
「ウクライナが侵攻されたのは核を放棄したから。NATOがロシアとの戦争を避けたのはロシアが核保有国だからという根本理由を彼らは良く理解しています。核保有は彼らの国是、金王朝の生存と一体です。完全放棄はしないでしょう。しかし、核を持っているだけでは金が掛かるばかりで経済的にはマイナスです。対外関係の改善も望めません。そこを何とかしたいと考えているのはずっと変わりません」
「しかし、そうはいかないのも彼等は知っているはずだ。彼らは最終的に何を目標にしているのだ?我々の慈悲の精神の発動か?」
大統領は全く理解できないとでも言いたげだった。
「もしかすると詰まるところはそうかも知れません。アメリカの庇護の下、戦後、日本と韓国が飛躍的に発展したのを彼らは目の当たりにしました。中国だと生かさず殺さずでしょう」
「ふーむ…もう少し詳しく説明してくれ」
「今回の宣言を対米関係改善の糸口にしたいのは明らかです。それが上手く行けば、同時に中国離れの第一歩になることも彼等は分かっているのでしょうね」
「中国離れか…?習近平が黙って観ている訳はあるまい」
「その通りかと存じます。しかし、北の核は対中抑止にもなるのです。中国が北朝鮮に全面侵攻するなど最早考えられません。彼らはウクライナとは違います。核を持っているのです」
「しかし、それだけでは食えないな。我々の締め付けが消えてなくなる訳でもない」
当たり前だが、やはり大統領は理解も同情も全く出来ないのだ。
「その通りでございます。だからこそ、彼らは慈悲の精神に富む我が国との関係改善を心の底から望んでいるのです」
「悪行に報酬は与えない。これは我が国の基本方針だ」
大統領は再び断言した。
「もしかすると彼らは核武装中立国家としての地位を確立することを最終的に狙っているのかもしれません。そして、米日韓と平和条約を結び、投資を呼び込むのです」
アマール補佐官はワイルド・キャット班が想定する北朝鮮の長期目標予想の一つに言及した。
「壮大な夢だな。だとしても、それを認める程どの国も甘くない。差し当たって、交渉を始めることになったら、どうするかだ。現実に話を戻そう」
大統領が議論の視点を変えた。
「承知しました。差し当たって、査察が軌道に乗ったのを確認してからになると思われますが、どんなレベルで話し合いをスタートさせるのか、根回しと申しますか、下交渉は必要になるかと存じます。そこで、国務省の…」
アマール補佐官が再び説明を始めた。
「本日、北朝鮮が安保理決議違反の核実験を強行したことを日本政府は重ねて厳しく非難致します。許すことは出来ない暴挙であることに変わりはありません」
ホワイト・ハウスの声明発表を受けて、日本政府は馬淵総理が記者団の前で再び声明を読み上げた。アメリカ政府の声明とかけ離れることはできなかったが、日本国民の核アレルギーは遥かに強い。それを踏まえざるを得ない。
「しかしながら、核開発の凍結と査察の受け入れ宣言には、我が国政府と致しましても留意するものであります。ただし、言葉ではなく北朝鮮の今後の行動をまずは見守る必要があると考えます。
いずれにしましても、核やミサイルの実験等の威嚇行動を直ちに全面的に取り止め、CVID・完全かつ検証可能で不可逆的な非核化を実現するよう我が国政府としては北朝鮮に厳に求めるものであります」
馬淵総理はまたも質問には応えず、官邸の奥に引き返した。
メトロポリタン放送は、特番で、北朝鮮の核実験と開発に関わる事実関係とこうした声明を順次伝えていた。続いて北京支局の岩岡のレポートが報じられた。
「中国政府は、まだ、何も反応をしていません。今日午前の核実験にさえ公式には言及していません。この背景には困惑を通り越して大きな怒りがあるようです。と言いますのも、どうやら実験の実施も凍結宣言も中国政府に対する事前通告は無かったようでして、中国政府から見れば、北朝鮮の不誠実な行動は習近平主席と中国政府のメンツを完全に潰すものと捉えているからです。
ただし、中国政府としましては核実験を非難することは出来ても凍結宣言を非難することは出来ません。中国政府も求めて来た朝鮮半島の緊張緩和に寄与するからです。また、ADE株を消滅させる封じ込め作戦と監視の継続は、中国政府にとって事実上の国際公約になっています。これを直ちに取り止めて北朝鮮を締め上げることも出来ません。支援の規模の縮小は出来るかもしれませんが、完全に止めることも今は出来ません。
北朝鮮に虚仮にされてしまったとも言える中国政府は怒り心頭のようですが、拳を大きく振り上げることも出来ず、対応に苦慮しているようです。北京からは以上です」
相変わらず喋りはぎこちないが、岩岡の中国報道は的を射ているようだった。
「木原解説委員、今回の実験強行と凍結宣言は朝鮮半島の緊張緩和に繋がるのでしょうか?」
特番の舞台回しを務める公共放送出身の才媛・神林和美が尋ねた。桃子が応える。
「まず実験ですけれど、緊張緩和どころか緊張を高めるものだと思います。しかし、その一方で、凍結宣言は、それを逆に緩和する方向に作用します。
まだ宣言しただけですので、実際にどのような動きになるのか見守る必要はあると思いますが、例えば、IAEAの査察団が現地入りして寧辺の核施設、プルトニウムを作る黒鉛原子炉や実験用軽水炉、プルトニウムを取り出す研究所と呼ばれる施設等が活動を停止していることを確認し、モニター用の監視カメラを設置するところまで行けば状況は変わって来ると思います。そして、そうなれば、いつ、どこで、どう始まるか分かりませんが、何らかの形で話し合いになり、半島情勢の緊張は大幅に緩和されるという現実がやってくる可能性はあると思います。
ただし、気を付けなければいけないのは、北朝鮮が宣言したのはあくまでも凍結ということです。廃棄ではありません。また、査察を受け入れるのも寧辺の核開発関連施設と技術と言っています。もう完成した核爆弾なりミサイルや弾頭に対する査察を受け入れるとは言っていません。また、豊渓里の核実験場など他の場所にも言及していません。
こうした動きが、北朝鮮の核廃絶に道筋をつけることになって欲しいとは思いますが、油断は出来ないと思います」
「簗瀬さん、如何ですか?」
神林キャスターが外交評論家の簗瀬衛に尋ねた。
「今、木原さんがおっしゃった通りです。緊張緩和に繋がる期待は出来ますが、楽観は全く出来ませんね。しかし、それにしても、今回の北朝鮮の動きは絶妙なタイミングでなされたと思います。
予断出来ませんが、IAEAは査察に乗り出さざるを得ない、アメリカも多分、話に乗るしかない。他方、中国はいずれ今後の米朝の話し合いに一枚噛もうとするでしょうが、流れに棹差すようなことは出来ない。そして、ADE株は放置できない。何も出来ません。
むしろ見事なタイミングと言えると思います。
北朝鮮はしたたかです。最終的にどうなるか私は大きな期待はしない方が良いと思いますが、日本政府としては、こうした流れが拉致問題の解決に繋げられるよう努力して貰いたいと思いますし、そうしようとするでしょうが、予断も楽観もしない方が良いと思います」
「有難うございました」
特番は更に続いた。
***
これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。
©新野司郎
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