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atamaのなかのこと
電車で移動中、よくスマホを触る。
理由も意味もなく、惰性にまかせて触っている。
特に疲労が溜まっているときは余計惰性が働くようだ。
今週はほぼ毎日夜の20時~22時までポスティングをした。
ネクタイとネクタイピンをつけてときには雨のなか、ときには全力ダッシュでその日の目標枚数を配布するために奔走した。
ネクタイをつけているといいことがあると思う。それは、不審者に見られにくいことだ。
夜中のポスティングなのでなるべく怪しい雰囲気を出さないように、ネクタイをつけるようにしている。静かな住宅街で、偶然住人とポスト前で会うこともある。そのときに、相手に不審感を与えないようにネクタイをつける。
この試みはかなり成功したと感じている。
まあできれば、ノイズキャンセリングのイヤホンをつけて音楽を聴きながら盗んだバイクで15の夜をポスティングしたい….かな(笑)
そんな日々だったので、帰りの電車ですることはスマホを意味もなく触ること、今度観る映画のことを考える、電車広告を電柱のように見ることくらいだった。
スマホをみていると、自分を幸せにするもの、悲しくさせるものがばらばらと羅列されているので、感情は心電図のように動く。
特に悲しくなる記事や動画には強い影響を受ける。
考えなければならないこと、向き合わなければならないことであることは間違いない。向き合いたい気持ちの方が強い。
でもふと考えるときがある。こういうことから離れる意識を作れば、一定の幸せのなかで生きられると。
こどもが虐待をうけたというニュース、パチンコの駐車場で車内放置されたこどもが死んだニュース、事故や災害で人が死んだというニュースなど
そういうものをみなければいい。自分の殻にこもっていればいいんだ。
だけどそれをおれは、のぞまない。
最近考え方が変わったのだが、こどもを救うためにはまずは親が変わる必要があると考える。
「親」について考えを書きたいと思ったけど、まだやめておこう。
来週、『遠いところ』という映画を鑑賞する。
鑑賞前からTwitterの公式アカウントをフォローしているので、告知情報や監督の想いを知ることができたが、いままさに私が観るべき映画という気持ちが強くなってきた。
自分の考えをもって行動を起こしたい。募金を毎月しているが、そのアクションも他人のアクションがきっかけだった。
さらにありがいことがこの映画を誰かと見ることができることだ。
おそらく1人で生きていたならば、この映画の存在を知ることもできなかったし、知ったとしても悲しみの苦しさに立ち向かえず、鑑賞する気持ちも生まれなかったと思う。
ありがとう
監督が言っていた。映画を鑑賞した人がこの問題について、考えるきっかけになってくれたら嬉しいと。
おれが向き合いたい問題にもきっと関係があると思う。
だから逃げずに最後まで鑑賞する。そして考え、自分の意見で議論をしようと思う。
たとえハンカチが水浸しになろうとも….!!
「おまえはっ」
「そう!!!」
「定石が滅茶苦茶だ」
「だろうな」
ハチワンダイバー19巻