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新宿毒電波通信 創刊号 特集「毒電波宣言」 その1


特集「毒電波宣言」扉部より

特集「毒電波宣言」

このたび、新宿毒電波通信を創刊いたしました。小誌では毎号、特集を予定しております。記念すべき第一回目は、ズバリ、毒電波特集。

今日、多様化を推進する代わりに、混迷と分断は加速度を上げ、進んでいます。そんな諸相を反映したような街=新宿を生き抜くヒントとして、毒電波への理解を深めていただけましたら幸いです。

毒電波とは何か?

この問いに、そして、その答えに迫ります。


「毒電波に就いて」迷亭南山

毒電波に就いて

歌舞伎町大学 梅毒学科 名誉ビーム長
迷亭 南山

 吾輩の教え子がフリーぺーパーに寄稿しろと脅迫してきた。吾輩の教育が間違っておったのか、けしからん話で参った。思わず放屁のサウンドもバボり、バボり、といった具合である。吾輩は隠居の身であって、あらゆる思想・イデオロギーから距離を置いている。90年代サブカル文脈、特にアングラ文化とヤンデレ〜メンヘラ等のアニメ作品に起源を持つ「毒電波」なる軽薄な概念に拘っている暇はない。だのに教え子は「実に燃えやすそうな家っすね」などと言う。教育の過ちは己の過ちであろうか。渋々、毒電波について記す。
 毒を以て毒を制すなる言葉がある。これは攻撃と防御の両面を持つ語句だと吾輩は認識する。 SNSの発達と自己顕示欲求、露悪的コンテンツによる閲覧数稼ぎが、数学における三体問題が如く不規則な軌道を描きながら、自己の内面に巣食うことで、猛毒と化し、やがて希釈され、電波に乗せられる。これを防衛するには、吾輩のように遁世するか、毒電波の構造を把握し、その論理が持つ毒を中和し、極めてクリティカルな攻めに転ずる他ない。つまり、毒電波が持つ要素を分解し、知性に基づいた批評によって、現象学的に新しい毒電波を生成し、旧来の毒電波を駆逐するわけだ。謂わば核抑止力みたいなものだと思えばいい。
 諸君、血で血を洗い給え。出来れば真紅の鮮血で。


「《反解釈》における毒電波についてのノート」炊飯忖度

《反解釈》における毒電波についてのノート

スーザン・ソンタグ ファンクラブ破門
炊飯 忖度

 私が敬愛するスーザン・ソンタグは、西洋の近代合理主義的理性の優越ではなく、官能や形式などの感覚の復権を唱えた反解釈を提唱し、批評家としての地位を揺るぎないものとした。また、「《キャンプ》についてのノート》」では、「キャンプ的なもの」を例示し、その慧眼で《キャンプ》の本質を「不自然なもの・人工的なもの・誇張されたもの」と見抜き、ある種の「挫折した真面目さ」「一種のダンディズム」と定義した。

 そこで、私も反解釈の見地から《毒電波》について再定義し、例示していこうと思う。《毒電波》とは極言すれば「半自然なもの・半人工的なもの・誇張されたもの」であろう。《キャンプ》は人工的であるがゆえ「一種のダンディズム」を伴ったが、《毒電波》は対象者の意図の有無を問わず、受け手の密かな悪意の中で醸成され、関係性を構築する。ソンタグの言葉を借りれば、ダンディズムとは無縁の「捻挫した真面目さ」だけがあるといえそうだ。

 さて、具体的にどのようなものが《毒電波》か。おカタい職業の人は権力に比例して電磁が強いせいか、古来より毒電波を発しやすい傾向にある。コロナ禍で星野源「うちで踊ろう」とコラボして炎上した今は亡き元首相、伝説の「あなたとは違うんです」発言で格の違いを見せつけた某元首相、1000点100円のレートで賭け麻雀をしていた某元検事長などなど、枚挙にいとまがない。

 街を見渡してみよう。新宿西口にいる尺八ソロおじさん、ヨドバシ近くで見た猿を右肩に乗せて、左手にはラグビーボール、移動は一輪車というおじさんは間違いなく毒電波。意外にもトー横キッズは毒電波ではない。練度が足りないからだ。歌舞伎町で怪しげなイベントを行う某バーは、毒電波ではない。そこに訪れるワキガのノルウェー人は毒電波だ。泥酔後「カラオケに行きたいか!?」と怒鳴られて着いて行ったが、道中、いろんな人に金をばら撒いていたことを独特な臭いとともに思い出す。イベントで飲み過ぎて、バーテンの黒ギャルに長いつけ爪でゲロを吐かせてもらったことが癖になったと語る毒電波な女の子のことも。
 ネット上にはもっと多くの毒電波がある。一部で熱狂的な支持を受けているアル中カラカラ、誰を想定して作ったのかがまったく理解不能なMAD動画、SNSは宝の山状態だ。

 ところで、私はソンタグと炊飯の研究に情熱を注いできた。ファンクラブを破門になったのは、良かれと思い、最高の炊きあがりとなったごはんに、ソンタグの遺骨をふりかけのようにまぶして、会員に振る舞ったことが原因だ。
 これが果たして毒電波かどうか。その判断は読者にゆだねたい。

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