【記者コラム】ないものはない
「ないものはない」。新潟市東区の某店舗看板にも掲げられている文句だが、いくつかの意味にとれる素敵な言葉だと思う。それは「ある」でもあるし「ない」でもある。
「ないものはない」をキャッチフレーズにしている自治体がある。島根県隠岐郡海士(あま)町。日本海の島根半島沖合60kmに浮かぶ隠岐諸島のひとつ、中ノ島にある一島一町の小さな島だ。
この海士町が5月25日放送のNHK「新プロジェクトX」に取り上げられていた。
同町は、1953年に制定された離島振興法のおかげで地方交付税漬けになり、1970~80年代には毎年港湾整備などで予算がじゃぶじゃぶに盛られていた。平成の大合併前に地方でたまに見られた「基幹産業は公共工事」の典型だ。
バブルが崩壊すると、疲弊した経済の中で国庫補助金は削られていった。それでも町は、まるで中毒のように借金を重ねて公共工事に頼り続けた。その結果、借金は102億円にまで膨れ、財政破綻寸前に追い込まれる。2002年ごろには国の三位一体改革の中、地方交付税がさらにカットされ財政再建団体がいよいよ目前となった。
ピーク時に6000人以上あった人口は3分の1程度になっていた。財政再建しようにも、活力そのものが失われていた。
「自分の故郷が無くなる」それが現実になった時、人はどう考えるだろうか。故郷とは自分の魂が帰る場所である。それでも生きていける人はいるだろうが、多くの人は現実逃避したくなるはずだ。
海士町は、ここで「正しく」危機感を持つことができた。役場職員が皆、給料カットを申し出た。当初は入庁歴の浅い一般職は免除の方向だったが、なんと職員組合の方から「一律カットにしてほしい」と申し出があった。すると一般の町民からも「役立ててほしい」と寄付が集まった。故郷を残すために、町全体が一丸となった。
新たな産業を根付かせようと役場が主体となり、地元の海産物を全国に売り歩いた。これには町民の理解と協力もあった。みなが必死になった結果、海士町の財政は持ち直す。人口流出も2010年以降はぴたりと止まった。
そこには当時の町長の手腕もあったのかもしれない。しかし重要なのは、関係する全員のマインドセットなのだと感じる。いかに同じ方向を向けるか。
翻って、これは民間企業にも言える。この国の会社は創業5年以内に6割が倒産・廃業の憂き目にあう。会社を残すのは簡単ではない。それこそ各々が勝手な方を向いていたら組織は立ち行かない。
会社がつぶれそうなときに「俺はこの仕事をするために入社したわけではない」と駄々をこね続けられるだろうか。会社が完全に傾いているときに、明らかに的外れな収益無視の事業にリソースを割いていられるだろうか。
「ないものはない」これを認めることで、人は自由になれる。とらわれているうちはまだ、危機感が共有できていないか、理解力が足りないのだ。
(編集部・伊藤直樹)
にいがた経済新聞 2024年5月26日 掲載
【にいがた経済新聞】