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SEKAI NO OWARIの新アルバム「scent of memory」を聴いたら「家族」を感じた話
僕とSEKAI NO OWARI
突然だが、僕は昔からSEKAI NO OWARIのファンである。
本格的にハマり出したのは「Dragon Night」が発表された時なので、かれこれ7年近くファンである。
初めて買ったCDは「ANTI-HERO」で、初めてのライブ参戦は「Tarkus」。SEKAI NO OWARIには本当に色々な「初めて」をもらった。
そんな1ファンである僕が今回リリースされたアルバム「scent of memory」を聴いて感じたことを正直にここに残していこうと思う。
まず初めに言うが、ここでの発言は全て「個人の意見」である。「僕の言ってることは全て正しい」とは言わないし、意見を押しつける気もさらさらない。これを見てるあなたが僕と異なる意見を持っていてもそれはそれでいいと思うし、それが当たり前であると思う。なのでこれを見ても怒らないで「そういう意見もあるんだね」程度で受け止めてほしい。
今回のテーマは「優しさ」
今回の「scent of memory」は全体的に「優しさ」を感じるような楽曲が多かった。「Silent」や「Tears」はもちろんのこと、今回のアルバム曲である「陽炎」や「family」も柔らかく、コンセプトである「香り」が自分を優しく包み込んでくれているようだ。そして2曲目に収録されている「Like a scent」は一見どぎついラップのように感じるが、曲中では
「真っ暗な朝を迎えたあなたをいつでも照らせるように」
といったように、聴いている私たちを支えてくれている。
そして、ボーカルであるFukaseの声がより一層優しさを際立てている。彼の人生や経験した出来事を知っている聞き手には言葉の重さも感じるかもしれない。
またメロディーにも注目してみた。Saoriのピアノの一音一音が心に優しく響いてくる。Nakajinが歌う「正夢」でのギターには思わず声が出た。色々なテーマに合わせて作られるセカオワメロディーは昔から変わらず魅力的だった。
一曲一曲に触れていきたいが、長くなってしまうのでここでは泣く泣く省略という形を取らせていただく。
かつて「中二病バンド」と呼ばれていた彼らは愛を与え始めていた
前述のとおり、今回のアルバムは全体的に優しさに溢れた作品である。また、このアルバムが発表される前からSEKAI NO OWARIは「サザンカ」や「イルミネーション」などの「ファンタジー要素」を無くした楽曲を作っていた。
しかし、かつてのSEKAI NO OWARIに対しての世間の認知は「夢の国」や「幻想的」、悪い言い方だと「中二病バンド」と言われるほどのファンタジー要素が強いバンドであるはずだった。
そんなファンタジーから目覚め、新たな世界観を作り上げたSEKAI NO OWARIにどういった変化が生まれたのだろうか。
一番の要素は、メンバーの結婚や愛する子どもの誕生、そして友人との別れといった、「愛」にあるのではないかと僕は感じた。
1人の人間から夫や妻、そして親になることで彼らは「愛」に以前よりも多く触れるようになった。そしてそれが次第に彼らの音楽にも反映されていき、今回のようなアルバムは生まれたのではないのだろうか。
愛を与えるようになった彼らは、今回のこのアルバムで私たちにも愛を届けてくれている。そんな気がしてならない。
「変わらないために変わり続けていく」彼らと大人になれない僕
愛を知った彼らは成長し、「中二病」や「ファンタジー」からは卒業することで新たな音楽を作り始めた。
それが嬉しい一方で、素直に喜ぶことができない僕がいる。
僕は今でも「Tree」時代のSEKAI NO OWARIが1番大好きだ。SEKAI NO OWARIが作り出すファンタジー曲の「ムーンライトステーション」や「マーメイドラプソディー」はずっと聴いている。最近の曲はやはりファンタジー色に欠けているのでどハマりすることも少なくなった。僕だけが2015年に取り残されている。僕だけがまだ変われていない。大人になっていなかった。
最後に
今回のアルバムは彼らの愛に僕たちが触れることができるようなアルバムであった。また、それと同時に僕たちの身近な愛に気づかせてくれるきっかけをも作ってくれる。
愛を知った彼らが作り出すメロディーを聴いて、今度は僕たちが愛を知り、家族や友人もしくは恋人に愛を捧げてみてはどうだろうか。