「相手を思いやる」日常に疲れてしまった私たち
「相手を思いやる」ことが美徳であり、生きていく上で求められる私たち。
家庭や学校、職場などで相手の考えていることを読み取って気を利かしたり、態度を変えたりすることで円満な人間関係を築きあげている。
私の場合は、母親を思いやることが多い。
普段は優しい母親であり、私が中学生の頃に父親が亡くなってからは女手一人で育ててくれた強い母親でもある。
しかし、疲労やストレスからか、何の前触れもなく急に不機嫌になることが多い。話しかけてもそっけない態度をとるか、言葉に棘を生やして話す。ドアを閉める勢いも強くなり、足音もドンッ ドンッと大きくなる。こうなってしまった時は手の施しようがない。嵐が過ぎ去るのを待つか、自分から一生懸命話しかけてご機嫌を伺うかの二択だ。
この現象は私が幼い頃からずっと続いており、不機嫌な時の足音に関してはトラウマになっている。大きな足音を聴けば心臓が速くなり、心がキュッと縮こまってしまう。まるでパブロフの犬である。
私には弟がいるのだが、母の不機嫌さを感知したら外出をすることが多い。ひどい時には真夜中まで帰ってこない。なので母の不機嫌は必然と私に向かってくる。
初めのうちはなんとか機嫌を取り戻してもらおうと努力していたが、最近は疲れてしまった。
何を話しても棘のある言葉で返してくる上に、普段なら怒らないようなことに対して激怒する。逆に嵐が過ぎ去るのを待ち、母を一人にするために私が自室に戻ろうとすると、「母を労われ」だの「(私と弟の)二人のために頑張ってるのにそのよそよそしさはなんだ」だの、どっちに転んでもバッドエンドな結果になる。
しかしながら、私は母を全面的に責める資格はない。
大変な仕事をしているのは私たちの生活を支えるためであるし、母だって好きで不機嫌になっているわけではないはずなのだ。
私たちのために母が大変な思いをしている以上、無責任に「イライラしないで」とは言えない。この「言いたくても言えないような状況」が私にとってはとても辛い。
この問題は決して私だけのものではないと思う。これを読んでいるあなたたちも似たような経験をしたことがあったり、もしかしたら現在もその状況下にいるのかもしれない。
無愛想な恋人や会社の怖い上司、結婚相手のご両親や身近な友達など、気を使ったりすることは多いのではないだろうか。
実のところ、私はこの問題の解決方法を知っている。それは「ちゃんと相手に思いを伝える」ことである。相手に素直に自分の思いを話すことで、相手も自分の態度に気をつけるようになるかもしれないし、真の人間関係を築く第一歩になる。
しかし解決方法を知っていても、結局はその人に対する恐怖心が強いため、言い出すことができず、結局なにもできずに自分を傷つけてしまう。結局、根本的な解決はできないので自分からその人と距離を置くことが一番の解決策だ。
「相手を思いやる」ことは決していいこととは限らない。