日曜日のあさが晴れなら。
「誰のことも救えない」ことを、許されることにした。
デザイナーという職業が、世界の景色を変えてしまえる仕事なのだと、大学に入りたての10代だった頃に知った。この世界にまだないものを、まだないけれどあったらきっといいな、ってものを生み出せるのがデザイナーの仕事。
所属する専攻の教授は、実際に現場で働いていたプロダクトデザイナーだった。その教授が繰り返し教えてくれる話のひとつに「少女とスプーン」の話がある。少女は病気で自分の手が思うように動かせず、自ら食事を口に運ぶことができない。まだ教授でもなく、プロダクトデザイナーですらなかったその頃の先生は、そのたったひとりの少女のために何度も何度も試作品を作って、そうして一本のスプーンを作った。そのスプーンで少女は、ひとくち、食べたのだという。ほとんど思うように動かない手で、それでもようやくひとくち、はじめて自分で、食べたのだという。
たぶんその瞬間、変わらないはずだった世界の景色が、まるで想像もつかなかった景色に変わったのだ。
はじめて自分で食事を摂った少女の世界。
それを見る彼女の家族の景色。
そしてその世界の革命は、どこまでも広がっていける可能性を秘めていて、もしかしたらいつか、この世界のすべてのひとが自分の力で食事を摂れるようになる、最初の一歩になり得る。
先生がしたデザインは、いつか世界をまるごと救うことさえできる仕事なのだ。
3年生の終わり、同じ研究室の学生がフィリピンにボランティア活動に行った。あふれかえるゴミの山の中で暮らし、貧困の中で生きる彼らの生活の中に飛び込んできた彼女は、一度焼いてしまったらもう二度と土には還らなくなる焼き物を、作っては捨て作っては捨てる我々の制作に対して疑問と抵抗感を持った。
同じくらいの時期だったと思う。レベッカブティックの赤澤えるさんが‘エシカル’という言葉を取り上げるようになった。服を作って売ることと同時に、捨てられた服の山から素敵な古着を掘り出してきて、同じ店に並べて売る。彼女が作る服を気に入って買う人が、彼女のセンスを信頼してまた、他のどこかからやってきた服も買って帰ってゆく。
最近の話では、スーパーのレジ袋が有料化した。スタバのストローもいつの間にか紙製になっていた。
世界ではとうにゴミの問題がメジャーになっていて、どんどん仕組みは変わっていき、わたしたちは地球環境を救うためにもっとそれらに関心を持つことが求められている。
救わなければならないことが
変わったらいいのにと思われていることが
この世にはたくさんある。
それらが叶えられることで、この世界は確実に豊かになるし、心地よくなる。理想はいつも、少し頑張った今これよりも先にあるのだ。
世界の本音は、すべての人間に、すべての事象を救うことを求めている。
簡単ではないし、個人の手には余るし、だからきっとそれは不可能に近くて、誰も大きな声で言わないけれど。大きな声で言わない代わりに、知っていることくらいはかいつまんでなんとかしようとしてみている。
それはささやかでも間違いなく正義で、尊い生き方だ。
その中でデザイナーは、大きく世界を変えられる方法の一端を確実に握っている。
でも、わたしはその一端を手放すことにした。
意図して、世界の理想の一員から外れることを、決意した。
誰のことも救えなくていい。
世界に革命は起きなくていいし、
新しい発見も、興味を掻き立てられるような刺激もなくていい。
ただ、贅沢な気持ちになりたい。
なんて傲慢で、余裕のある発言かしらと、考えるたびに躊躇しそうになる。
病気や、貧困や、飢餓や、暴力や様々な困難の只中にいる人間のことはまるで無視しようと、わたしは言っている。
日本という国で生きているわたしたちの生活は、たいていが安心で安全だ。
平和で、平凡で、ドラマチックなことはなくて、奇跡はたいてい起こらない。世界中で起こっているありとあらゆることに比べれば、取るに足らないようなことしか起こらない。
それでも涙が溢れるくらい感動したり、苦しんだり、ありえないと思うようなことが起きるのが人生で、日々で、生活だから。ほんの少しだけ幸福で、贅沢に満たされたいと思うのだ。
抜け駆けする必要はなくて。これ以上の何かがほしいわけでもなくて。
たとえば目が覚めた日曜日。天気が良くて、窓を開けたら気持ちの良い風がふくから、洗濯機を回しながらホットケーキを焼こう、って決めた朝のような。
いくらでも繰り返されるそんなことが、たまらないくらい幸せだと思い返せればそれで十分なのだ。
そのために、そのためだけにものを作るわたしを、わたしは許すことにした。
もう、ここにあることだけれど。
ここにあるから、それを繰り返しても何も変わりも、救えもしないけど。
変わらなくて良いのだということを、確かめたい人間も、いるのだ。
修了制作に向けての研究論文を書き出している。
書き出していると言っても、たぶん来年の秋か冬くらいにひいひい言うための下準備の段階であって、まだ全然、「書き出したら終わる」くらいのそれだけど。
論文がnoteならなぁ!いいのになぁ!
真面目な文章なんか書けねぇよ!
と、思いながら、いつかなんかの文字起こしの足しになって……と祈りを込めて、今回は終わります。
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