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青松輝の短歌について1

いたる所で同じ映画をやっているその東京でもういちど会う

青松輝「4」

 同じ映画、同じニュース、同じツイート、同じコンテンツを僕達は摂取して、同一化していく。それが現代であり、「東京」である。もはや現代では孤独になることさえ難しい。
 「いたる所で同じ映画をやっている」東京で会うあなたとわたしには何の違いも見受けられない。我々はこの場所では同一性へ進んでいく。しかし「もういちど」会うならば、徹底的に別個の人間として、再び会うことができるのではないか。一度目は事実としての出会い。二回目は「個」の出会いである。ともすれば同一化してしまうこの東京でこそ、わたしはあなたに「もういちど会い」たいのである。この際、「わたしとあなたは本来肉体を共有しない完全に別個の人間である」という盲目的な暗黙の了解の力を借りずに、同一性に押しつぶされた東京から視点を始めることで、青松輝はこの歌に責任を取っている。
 とても親密になることは、あなたとわたしにある確かな距離について確認できることではないか。お互いに限界まで近づこうとすることで、二人の間にある、わずかで確かな距離を、強度を持って確認することができる。二人の関係の深さが、そのまま二人の距離の強度になる。例えセックスをしても、わたしとあなたは同一になれない。そのことが、とても嬉しい。

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