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これが青春か ?!(学級通信シリーズ)

 担任時代は毎日学級通信を発行していました。今回は2007年12月,高2の学級通信です。引用が長いですね(笑) この年の学級通信の名前は,「日日是好日」でした。

(以下本文)

 打たれ強さや度量の大きさは,経験によるものが大きいと思います。
 「Oh crazy!! 」と外人さんからカメラ片手に叫ばれたことが印象深いランニング。 毎週土曜日は, 道衣姿で 表参道をむさくるしい男たちが大声で号令をかけながら疾走しました (青山学院のキレイなお姉さんを横目に……)。さらには東京タワーの展望台まで外階段で昇ったり (高所恐怖症なのに) ,学生時代の部活動は,「人としての幅 」(ちょっと大げさ?)を広げるために大変役立ちました。部活の宴会のあとは, 渋谷駅前で校歌を合唱するのは毎度のことでした。
 駅では隣のホームに先輩の姿があれば大声で挨拶をしました。幹部( 3 年生)になってからは,口ひげを生やして髪型はリーゼント,下駄に学ランでした( いわゆる「バンカラ」スタイル というやつです) 。学内を歩けば一般学生はサーッと 道をあけてくれます (避けられてい ただけかもしれません…) 。山手線内では若干恥ずかしい気もしましたが,当時はそれで 「 俺は硬派だ 」と思い込んでいたのです。 センター街にも 109 にも学ランで行きました。 そんな「バカ」ができたことで,多少は度胸もつきました。
 しかし,格好ばかり気にしていたわけではありません。「こんな辛い練習があっていいのか 」と思うぐらい,毎日ヘトヘトになるまでシゴかれていました。下級生のうちはやらされているだけだった練習も,「強くなるぞ!」という一念のもと(気持ちの切り替え),辛かろうが理不尽だろうが負けてなるものかと歯を食いしばって耐えました。我慢に我慢を重ねて主将に任命されたときは,さすがに涙が出ました。 ちょっとやそっとのことでは負ける気がしませんでした。 大学では,部活の思い出が 9 割です。
 少し視点を変えてみると,このような経験は『型にはまる』ことの大切さを知る上で非常に貴重だったと思うのです。少林寺拳法の技自体も「法形」と言われる『型』があって,まずは徹底的にその基本を練習します。しかしそれだけにとどまらず,練習以外の面でもすべては『型』が決まっていたわけです。服装は学ラン,髪型も下級生は角刈りです。挨拶の仕方はもちろん目上の人や先輩への言葉遣い,立ち居振る舞いについても細かく決められていました。マッチの擦り方や食事の作法,宴会の時のお酌の仕方からビール瓶の立て方まで,すべては『型』通りに動くように教えられました。

 当時は,その異常なまでの堅苦しさに息の詰まる思いばかりでしたが,『型にはまる』ことができて初めて,次のステップに進めるのだということを今さらながら痛感しています。野球でも陸上でもどんなスポーツでもそうでしょうし,人付き合いでも仕事でもなんでも,まず『型』を学ぶところから始まります。Fのコードが押さえられない天才ギタリストなどいません。リフティングのできないサッカー選手もいません。何事にも成功するために学ぶべき『型』があるのです 。 イチローにしてもロナウジーニョにしても,基礎がしっかりしているからこそ,応用がきくのです。基礎のない応用などありえないのです。
 漫画『ドラゴン桜』の著者である三田紀房氏が『個性を捨てろ!型にはまれ!』という著書の中で次のように述べています。

本当の個性とは,他人と同じことをやっていく中でこそ,明らかになってくるものなのだ。周囲と同じ事をやっていく中で,違いを見つけ,そこを伸ばし,自分のものにすること。それが個性なのである。 (中略) 漫画家がアシスタントを雇うときも同じだけど,採用する側は学生に中途半端な個性なんか求めていない。これ見よがしな「俺」を誇示する面倒くさいヤツよりも,真面目で誠実な学生が来てくれれば,それが一番なのだ。つまらない個性幻想は捨ててしまおう。個性にこだわるあまり,余計な回り道をするぐらいなら,さっさと『型』を身につけよう。

人と同じことができないのに,人より優れたことができるはずがないのは,当然だと思います。決められたことができない,もうそれ自体で不合格です。 普通に及第点を取ることに難しさについても,次のように 述べています。

あなたは「普通」という言葉を聞いて,どんなイメージを思い浮かべるだろうか。普通のサラリーマン,普通の収入,普通の身長,普通の顔,そして普通の人間。 こうして並べてみると,いかにも普通であることが悪であるような,無能であるかのような印象を受けるかもしれない。でも,実際は「普通」こそが難しい。世間で「普通」と呼ばれていることができないからこそわれわれは失敗してしまうのだ。 (中略) 仕事の中でいつも「普通」レベルの能力を発揮することが,どれだけ大変か。合格点を出し続けることが,どれだけハードルが高い ことか。われわれが仕事でミスをするとき,そ
れは9割以上が「普通のことができなかった」結果なのだ。 それ以上の難しい事を期待されることなんてほとんどないし,仮にそこで失敗したとしてもミスとは思われない。普通に働き,普通に稼いで,普通の車を買って,普通の家に住み,普通に貯金しながら,普通の家庭を築く。特に借金があるわけでもないし,犯罪を犯しているわけでもない。夫婦関係や親子関係も普通に円満である。これらをすべて満たしているとすれば,もうそれは大成功と言ってもかまわない。それができないから,みんな苦しんでいるのだ 。僕の漫画『ドラゴン桜』でも,生徒たちは「普通」にしか勉強しない。そこには手品も超能力もないし,生徒たちには生まれついての才能さえない。誰だって「普通」に勉強すれば 東大 でも合格できるのだ。

 だいぶ話が飛躍してしまったかもしれませんが,普通のことを普通にこなせる人が, 結果を残せる人 なんだと思います 。

 話は戻りますが,何事も大切なのは 『型』を学ぶことです。少林寺拳法でも「守」「破」「離」の順番で技を学びます。

「守」教えに従って基本を学ぶこと。決して我流に走らない。

「破」基本を自分のものにした上で,自分の特質を加える。

「離」目的に適し,無駄がなく正しい姿勢からはみだしていなければ,自分なりの工夫を加えてもよい。

 書道で言えば,楷書⇒行書⇒草書です。楷書がうまく書けないのに草書が上手だということはありえません。ということで,今やるべき「普通」のことをきちんとやりましょう。望む進路が近づいてくるはずです。やることをやってはじめて,個性や自由が主張できます。
 みなさんの奮起に期待します。


#部活の思い出 #学級通信 #高校 #ホームルーム経営

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