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#34 - 【富永あやさんの故郷へ:最終回Vol.4/4】-「帰ってきたよ」のピアノの音

早いものだが最終回になってしまった。

僕らがあの日見たさまざまなもの、嗅いだ空気の匂い、足元の初めて来た土地の地面の感じ、書けば書くほどこぼれて漏れていく感じが深まるが、それは逃れられない感傷だろう。

さて、ここへ来て面白いものを思い出したので、紹介しておきたい。


富永さんのご実家の近くにあるのだが、これは「踏切機器試験場」なのである。

5秒に一回くらいのペースで、ずらっと並んだナナフシみたいな踏切が開いたり閉じたりするだけなのだが、これがどうも見応えがある、というか自分の中にある「シュール」に対する琴線がじわじわと震え始めるような、そんなある意味恐ろしくもある光景だ。

踏切の「手招き」に誘われて、入り込む子どもたちがいるのだろうか。

「部活の腕立て伏せを思い出すなあ」と桑原さん。
彼はちなみに硬式テニス部出身だ。

たしかに、そんな感じだ。1人遅れているやつがいる。あいつは晴れて「レギュラー」になれないタイプの踏切なのだろう。


そんな感じで、僕らはあの日、富永さんの故郷を車でうろちょろ走り、車を降りてはぷらぷらと歩いた。天気は大変に良かったが、圓谷先生(前回の記事)の教室を後にした頃、日は傾き始めていた。


「呑んで」「呑んで」
「来て」「来て」「住んで」「来て」


本当にいい天気の日の日暮れほど、「ああ、終わってしまう」の感じが甚だしいものはない。
なんだか、焦る気持ちで僕らは車で富永さんの実家の街へ戻っていた(先生の教室は、隣町にあったのだ)。



富永あやさんのご実家、お祖父様とお祖母様。




ご実家は整然とした感じがした。隅々まで、綺麗に清潔に草が刈られたお庭。僕たちは乾いた石畳をゆっくり踏んで歩いた。
僕は、この感じはなんだろう、と思った。それは「お家に行く」という感じ、「お邪魔します」の感じだった。
友人の一人暮らしの「部屋」ではなく、その人の「家」というもの。その人の家族と、ルーツと、時間と、何があっても消えることのない「根っこ」を張っている、そういう「家・おうち」に出向き、恭しい気持ちで敷居を跨ぐ、そういう気持ちを、久しぶりに僕は思い出したのだった。

玄関では、富永さんのお祖母様とお祖父様が戸を開けて待ってくださっていた。お二人の、あまりに晴れやかな笑顔に、僕はとても驚いた。歓迎してくださるお二人に、玄関はちょっとした騒ぎのようになった。

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