純資産1億円を無理せず作った元金融マンが辿り着いた会社員が取るべき投資スタイル
「サラリーマンは、株や投資信託だけで儲けようと考えるべきではありません」。
そう断言するのは、株式会社日本財託で不動産オーナー様への資産形成、リスクコンサルを中心に行い、入社から5年間で約3,000件の契約に携わってきたという櫻井隆志(55)だ。櫻井はビジネスマンとして20年以上のキャリアを築くなかで、保険、銀行(証券)、不動産の3社を渡り歩き、常に個人の資産形成と向き合ってきた。
他方で本業とは別に、自身も32歳から本格的に資産形成を開始。55歳となった今では保有資産は金融資産と不動産を合わせて1億円に達している。
ただ、最初から順風満帆に資産を積み上げてきたわけではない。株式投資での失敗など自身が身銭を切って経験したことや仕事の現場で実際に見聞きしたことを自らの糧とし、サラリーマンと二足の草鞋で資産形成できる投資スタイルを編み出した。
サラリーマンの生きる選択肢を増やす、その投資手法とは―
約20年間で「無理せず」資産1億円を達成
――最初に現在お持ちの資産を教えてください。
東京23区内と川崎市に投資用で区分の中古ワンルームマンションを7戸と、名古屋と東京に自宅用マンションを1戸ずつ保有している状況です。
加えて積立型の保険に加入しており、60歳の満期時に1,000万円が受け取れます。
投資用マンションを今売却したとして、全7戸で大体8,000万~8,500万円、これに満期保険金の1,000万円と預貯金を入れて1億円程度の資産となります。
資産形成をする中で、無理をしたり、危ない橋を渡ったりしたわけでは決してありません。23年間、コツコツと堅実に資産を増やしていったという形ですね。
―不動産の運用状況はいかがでしょうか。
ワンルームマンションは新御徒町、蒲田、浅草、幡ヶ谷、池袋と、川崎、元住吉にあるのですが、月の家賃収入が手取りでおおよそ48万円です。さまざまな経費を差し引くと年間で450万円くらいでしょうか。ローン残高は約580万円で、返済は全て家賃収入からまかなえます。あと1,2年でゼロにできますね。
不動産投資は1998年に始めたのですが、そこから23年間での累計家賃収入額を先日計算したら、なんと1億円を超えていました。もちろん多くの部分が新たなマンションの購入資金やローンの返済、そして繰上げ返済に回っていますが、自分のサラリーマンとしての給料以外に23年間でこれだけのお金が資産形成に動いているのは、我ながら凄いことだと感じますね。
社会人1年目の貯金を株で溶かす
―なるほど。では最初から不動産をメインに投資をしていたのですか。
いえ、初めての投資は株でしたね。1989年に購入したのですが、この経験は私にとって苦い記憶となったと同時に、資産1億円に向け本格的に戦略を練るきっかけとなりました。
その前年、私は大手生命保険会社に新卒で入社したのですが、そのときはバブル絶頂期。
日経平均株価も日に日に上がっていました。入社して1年ほどが経ったある日、証券会社に勤務していた知り合いに株を買わないかと言われ、初ボーナスなどで貯めたお金計88万円を元手に、ソニーの株を購入したんです。
当時の私にとってはかなりの大金でしたが、さほど躊躇することはありませんでした。ソニーは世界的企業で、誰でも知っている会社です。日経平均株価も右肩上がりですし、大崩れすることは絶対にあり得ないと思っていました。そのため感覚としては「貯金」と同じで、あわよくば利益も上げられるんじゃないかというつもりで買いました。
―しかしながら、翌年の1990年からバブルが弾け、株価は暴落します。
ソニーの株も例にもれず暴落し、売るに売れなくなってしまいました。当時は本当にショックでしたね。とはいえ、サラリーマンとしての給与所得もあるので、無理に売ることはせず、そのまま持っていました。
その後2000年代に入ると、ITバブルの時代が到来。ソニーの株価は購入時の3倍以上の値を付けました。今となってはあの時なぜ売らなかったのかと思いますが、人間そう割り切れるものではありません。当時の私のなかで「まだ上がるんじゃないか」という欲があって、それがどうしても振り切れなかったのです。
そしてこの頃、ソニーは株式の分割を発表しました。世間的にもこれでさらに株価が上がるという雰囲気があったのですが、いざ分割したとたん、予想に反して真っ逆さまに下落してしまったんです。こうして私はまたもや損切りできず、いわゆる「塩漬け」にするしかありませんでした。
ソニーの株はその後も低空飛行を続け、2010年には2500円くらいまで下がってしまいました。私が保有していた200株は結局、2016年にアベノミクスで景気が回復してきたタイミングで売却し、何とか88万円は取り返すことができました。
結局、購入から売却まで26年間かかりました。株や投資信託などのように、自分の力ではどうにもならないところや、知識のないところにお金を置いておくのは怖いなと実感した出来事です。
バブル崩壊を経験、それでも「不動産投資」の道へ
―そこから不動産投資を始めたのはなぜですか。
やはり金融資産だけではリスクが大きいと感じたからです。金融機関に勤務した経験や、株での失敗から、経済の大きな波がくると、金融市場は誰にも予想できない動きをするということが身に染みて分かっていました。やはりこつこつと長期で掛けていくもの、現物のものが一番堅いと考えるようになったのです。現物資産のなかでも、リスクが少なく、サラリーマンでも始めることができ、長期にわたって収益を生み出してくれるものは何かを考えたとき、不動産だろうと思い、ワンルームマンション投資への一歩を踏み出したのです。
一方で、バブル崩壊により不動産投資で損失を出した人もみてきました。例えば、私が新卒だった当時、勤務先の40代半ばの部長が地方の駅前にある新築のアパートを2戸、7,000万円で買ったのですが、バブルの崩壊によりひどい目にあっていました。不況による自動車工場の撤退などで賃貸需要がなくなり、家賃をどれだけ下げても入居が付かない状態だったそうです。その部長はアパート購入時のローンのせいで定年まで働いても自宅すら買えないと嘆いていましたよ。
―そうした現実を見ていて、よく決断できましたね。
「東京・中古・ワンルーム」なら堅いと思ったからです。私が保険会社にいたころもそうでしたが、大手の会社にいると、地方の支店から東京の支店への転勤でも20人ほどの単身者が来るんですよね。会社からの家賃補助が6万円だとして、7万、8万円くらいのところに住もうとすると、東京だとワンルームしか選択肢がないんです。そういうのをみていると、東京でワンルームを所有している大家は強いなと感じていました。また、先の部長の例もあるので、新築よりは中古だと思いましたね。
いつの時代も大家業は強い
振り返ると、もとから漠然とした大家さんへの憧れみたいなものがあったように思います。たとえば時代劇とかでも「家賃を払わないと追い出すぞ!」と大家さんが借家人に凄むシーンってありますよね。それこそ江戸時代から現在に至るまで、貸し家業・大家業という商売は脈々と続いている、堅実なビジネスということです。なんだかんだ、モノを貸す側の立場はずっと強いのだろう、と。不動産投資と呼ばれますが、その本質はマンションを貸す大家業ですから、時代がどのように変化しても東京の不動産を貸せる立場になっていればきっと負けないだろう、という確信もありました。
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