ロシアに現れた快人、ラスプーチン
ラスプーチン。 訳の分からない呪文やら行動により、皇帝から信頼され宮廷の実力者に上り詰めた人物。
今日はそのラスプーチンについて紹介したいとも思います。
1911年、ロシアはストルイピンというロシア人の下、改革を行っていました。
そのストルイピンという人の改革は貧しい農民を富裕層にしてあげることで、帝政ロシアの強力な支持基盤となるようにしたことです。 そのためには、「ミール」を言われる団体を解散させるのが先でした。
しかし、その解体をうまくいきませんでした。 その後、ストルイピンはエスエルと言われる組織に暗殺されました。 ※主に農民を支持基盤とするテロ組織
ストルイピンが暗殺された後、ロシアにはまともな政治家が現れず、逆にロシアを滅亡に導く指導者が現れます。 その指導者こそ今回紹介する「ラスプーチン」なのです。 それでは本題に移りたいと思います。
1916年、ロシアには一人の皇帝がいました。 その皇帝が「ニコライ二世」です。 ニコライ二世にはアレクセイという子供がいました。 しかし、アレクセイには「血友病」という病気にかかってました。
皇帝はこの病気を治すべく、国中から名医の医者を呼びつけましたが、全く役に立たず。 そんな、病気を治したいと思っていたところに一人の男が現れました。
それこそが「ラスプーチン」です。 そのラスプーチンの第一印象はとにかく怪しい。 髪、髭、がぼうぼうにはやしていました。
ラスプーチンはまず首都のペテルブルグで訳の分からない方法で病気を治してみました。 そのどんな病気も治るという噂は宮廷にも届き、ラスプーチンは皇帝に呼び出されます。 ここでラスプーチンが使った方法は「小さかった頃の話を聞かせただけでした」
それが功を奏したのか、病気の症状が治っていきました。 これにより、ラスプーチンは皇后の信用を持つことが出来ました。 皇后が終わったら次は皇帝です。 ラスプーチンは皇帝のいる前では、わざと粗野な態度を取り、平伏しないようにしました。
今まで自分にかしずき平伏し、びくびくしていた家臣と違い、自分を友のように扱ってくれるラスプーチンに親近感を感じました。
これにより、ラスプーチンは皇帝と皇后の両方の信頼を得、宮廷の支配者となっていきました。 そんな中事件が起きます。 「第一次世界大戦」です。
状況が悪化していき、活路を見いだせない状態でした。 困った皇帝はラスプーチンに相談しました。
皇帝「おお、ラスプーチン。余はどうすればよいのじゃ」
ラスプーチン「陛下自ら戦地へ行ってみてはどうですか?」
皇帝「分かった、そうする」
こうして皇帝を厄介払いしたラスプーチンは宮廷の第一の支配者となります。 ラスプーチンを批判してきた人たちは皆、左遷され、宮廷はラスプーチンの味方だけの状態になっていきました。 しかし、ラスプーチンの絶頂もここまで。 裏では着々と暗殺の準備が進められました。
そして、暗殺の時は来ました。 名門貴族だったユスポフ侯爵はラスプーチンをパーティへ呼びつけました。
ユスポフ「いやー、私はあなたの大ファンでしてね。お近づきのしるしとしてワインをどうぞ(青酸カリが入っていて、普通の致死量の200倍)」
そうして、ラスプーチンは侯爵からもらったワインを飲みました。
ラスプーチン「いやーー、これは美味しい」
ユスポフ(?)
なんと、普通の致死量の200倍の量がありながら、平然とした様子でした。 焦った、ユスポフは銃で4,5発ラスプーチンの体を打ち抜きました。 しかし、まだ死なない。
その音に気付いた仲間が飛び出し、逃げるラスプーチンをこん棒でめった刺しに。 しかし、まだ死なない。
最終手段としてラスプーチンを湖に投げ捨てました。 これによりやっと死にました。 翌日、ラスプーチンの死体を検査してみると死因は「溺死」でした。
ちなみに、ラスプーチンが宮廷の実力者になったのには、血友病を治しただけでなく他に理由がありました。 彼の男性器は普通の人と比べて大きかったらしく、その男性器を持って、宮廷内の女性という女性を犯しました。 それにより、支配者になったとかならなかったとか。 彼の男性器は現在、サンクト・ペテルブルグの博物館に飾ってあります。
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このように、子供だましのようなマジックを使うことにより、時には実力者に上り詰めることもできます。 皆さんもマジックを習ってみてはいかがですか。