なぜ日本は植民地にされなかったのか 先人たちの素晴らしい決断
江戸時代後半
それは、世界では帝国主義時代の真っただ中であり、弱肉強食よろしく雑魚な弱小国は立て続けに植民地にされた時代でした
東アジアの清ですらイギリスにやられるという始末
そんな中で弱小国である日本はどうして生き残ったのでしょうか 単純に地理的要因も含みますが(日本は周りを海に囲まれて攻めにくい)一番の理由はスパイらしき人を徹底気にぶっ潰したからでしょう
今ではキリスト教迫害と教科書で批判されていますが、その時代ではとても良い手段でした
それを紹介します、最後まで見てくれるとありがたいです
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江戸時代
徳川家康が江戸幕府を作るところから始まりました それまで日本では鎖国をしておらず、貿易の利益を上げられるために、スペイン、ポルトガルのキリスト教布教を許していました
この貿易を朱印船貿易をと言い、その証明書を朱印状と言います これにより東南アジアに日本町が出来ました
ですが、キリスト教の教えはただ一つ神に従うものなので、幕府に考えに反していており、キリスト教は禁止されました
その例として絵踏は有名な例です(イエスが書かれている紙を踏めなけばキリスト教信者とみなし罰すること)
その支配に反抗した天草四郎が起こした天草・島原の乱は有名です
......と教科書では同情的に語られています
では、布教を許したらどうなったのか
確かに今の時代の目線で言えば、それは人権侵害であり、日本国憲法に定められている「基本的人権の尊重」に反しています
ですがその時代の目線から言えばその行為は正統であり、国を守るための物でした
ここで、キリスト教の布教を許したら日本はどうなっていたのか疑問に思います
この例としては沢山あります
アジアから言えば清、ベトナム、インド、イラン...... アフリカで言えば南アフリカ、アルジェリア、コンゴ民主共和国...... 今で言う大国ですが全員植民地になっています(清は半植民地化)
理由は単純、「キリスト教の布教を許していたから」
欧米が植民地にする方法の共通点は 1、まず植民地にしたい国に近づき、各地で食料や医療を与える
2、心をつかんだら、次にキリスト教の布教を行う
3、一通り済ませたら、無茶苦茶な商売を始める
4、商売で利益を上げるが、その国の人達は自分たちがまずい状況に追い込まれたとようやく気付く
5,その国の反乱した人たちに「その国のキリスト教信者」をぶつけ、国を弱らせる(いわゆる仲間殺し)
6、弱り切ったところで本国軍が叩き、植民地
7、繰り返す
というくそな手段で世界中は欧米の者になってしまいました
そう、この「キリスト教信者」を作ることが大事で、もしこれを作らなければ、仲間殺しが出来なくなってしまいます
ですがこのずる賢い手段に大抵の国は気づかず終わりました
しかし、日本だけがこれに気付きキリスト教信者を駆逐したのです
これにより、日本は200年に及ぶ泰平の時を過ごしました(最後はペリーの黒船ごり押し手段で開国されましたが)
このように江戸幕府が下した決断は英断と言えるでしょう
と、教科書に書いて欲しいです