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戸籍時報連載『旧市区町村を訪ねて』15「生まれ育った風土」大分県日田市〜大山町〜(文・写真:仁科勝介)

こんにちは。コンテンツビジネス推進部のMです。弊社刊行「戸籍時報」との好評連動企画、「旧市区町村を訪ねて」。
いつもたくさんの「スキ」をありがとうございます💛
今回、令和6年7月号掲載の第15回は、大分県日田市から。大山ダムを訪れて感じた感動と、このダムを擁する旧大山町を故郷とする大人気漫画家とその作品へも想いを馳せた記事となっています。
いつものとおり、仁科さんの素敵なお写真をここではカラーでご紹介しています。新緑の美しさとダムの威容が伝わると嬉しいです!
今後の連載も、ぜひお楽しみに!

~~本連載の著者は、写真家の仁科勝介さん。2018年3月から2020年1月にかけて、全国1741の市区町村を巡った彼が、2023年4月から再び、愛車のスーパーカブで日本中を旅しています。
 今回の旅のテーマは、1999年に始まった平成の大合併前の旧市区町村を巡ること。いま一つのまちになっているところに、もともとは別の文化や暮らしがあった。いまも残る旧市区町村のよさや面影を探します。
 仁科さんの写真と言葉から、今そこにある暮らしに少し触れてもらえたら嬉しいなと思います。~~

『生まれ育った風土』

日田市旧大山町の「大山ダム」に着くと,「進撃の日田」ののぼりが風にたなびいていた。理由は知っている。ダムのそばには『進撃の巨人』に登場するキャラクター,エレン,ミカサ,アルミンの銅像が建っているのだ。それが訪れた理由でもあった。ただ,何より大山ダムの巨大さに衝撃を受けた。そびえ立つ人工物の無機質さと威圧感。圧倒,だった。
まさに,作中で巨人から逃れるために築かれた壁そのもので,その大山ダムを見上げる銅像の姿は,第1話で超大型巨人を見上げるシーンとそっくりだった。

銅像の説明文にはこう書かれていた。

「2009年に連載を開始以来,世界中の人々に衝撃を与えた『進撃の巨人』。その作者・諫山創先生の故郷であり,物語の着想の地がこの大山町である。」

再び衝撃だった。進撃の巨人の作者,諫山創先生が日田市の出身であるということは知っていた。しかし,つぶさに辿っていくと,諫山先生の出身地は旧大山町であり,旧大山町が着想の地であるということも書かれていたのだ。このダムと銅像を眺めていると,ぼくもそうとしか思えなかった。目の前に広がっているのは,作品が具現化されたような現実の世界だったからだ。

その後,道の駅に併設されている「進撃の巨人 in HITA ミュージアム」を訪れた。今年3月に開館3周年を迎え,来場者数は30万人を突破したという。展示を見ていくと,諫山先生が日田市とさまざまな活動をしていることを知った。諫山先生にとって旧大山町,日田市は大きな存在なのだなあ,と。


▲そびえ立つ大山ダムの真下に,主人公たちの銅像が建っている。

このとき,生まれ育った風土というものについて考えさせられた。作品の根幹に,旧大山町というピースが必要不可欠だったのだとしたら。深い山に囲まれて育ったことが,作品の原体験だったのだとしたら。もちろん,旧大山町で育ったすべての人が漫画を描くわけではないし,ほかの漫画家が旧大山町で育ったからといって,進撃の巨人が生まれることもきっとなかっただろう。すべては一本の糸であり,諫山先生がこの地で生まれ育った,ただそれだけだ。生まれ育った風土そのものは答えを持っていない。しかし,その人の「今」に至るルーツを探ろうとしたとき,風土は何かしらの影響を与えているのではないだろうか。

そう思うと,日本中のあらゆる土地が尊く感じられる。まちの数,風土の多様性というものが,生き方の多様性とも無関係ではないように思えてくる。そして,風土と生き方が自由自在に混ざり合った道の先で,生み出されていく新しい作品も,きっとあるのだ。

(かつお╱Katsusuke Nishina)



仁科勝介(にしなかつすけ)
写真家。1996年岡山県生まれ、広島大学経済学部卒。
2018年3月に市町村一周の旅を始め、
2020年1月に全1741の市町村巡りを達成。
2023年春より旧市町村を周る旅に出る。
HP https://katsusukenishina.com/
X(旧Twitter)/Instagram @katsuo247



本内容は、月刊『戸籍時報』令和6年7月号 vol.855に掲載されたものです。

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