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日本語ボランティアの形

ネパールの家族が多く所属するボランティアへ
参加をしました。

小学生以上の子供が勉強する部屋と、
大人が勉強する部屋。
どちらも楽しそうに取り組んでいました。

そう、楽しそうなんです。
同じ出身、同じ地域の方が多いので、
ネパール語で話し合って、日本語の勉強はどこへ?
といった感じです。

日本語ボランティアを立ち上げた方は、
非常に熱意があり、一生懸命準備をしています。
ですが、ボランティアにくる方はそうではない。
この温度差が、現場をぬるま湯にします。
日本語を真剣に覚えようとする方は、あまりいません。
2時間の内、半分は日本語に関係のないことをしています。

こういった現場を見ると、
日本語を本気で教えたい人、覚えたい人が集まるのは、
日本語学校や大学といった教育機関になるのではと、
思いました。

日本語教師になりたい人が、
ボランティアで経験を積むというのは、
ぬるま湯に浸かることになり体に悪そうです。
非常勤や現場で仕事をした方が、
良い経験を積めるのではないでしょうか?

この日本語ボランティアは教育ではないです。
日本語教室という、コミュニティだと思います。
生活に困っている外国人に向けて、
日本語を教える、ではないです。
外国人のコミュニティに日本人が加わる。
私はこの環境がすごく魅力的に感じます。
外国人が中心となって作ったものに、
お客さんとして日本人が加わる。
それを良しとする両者。

様々なボランティアの形があるなと思いました。
母語話者が第二言語者の上に立ちがちですが、
そうなると限定された活動と主体性になっていく気がします。
日本語を覚える、日本文化を体験する、日本料理を作る、
日本の押し付けになっていかないか心配になります。
ただ、これもまた一つの形。
自分に合う環境下で穏やかに暮らせれば良いと思います。

そんなこんなで、
敬老の日はネパールにとって女性のお祭りがある日。
踊りを披露してくれました。

自分たちの文化も日々の生活も、
どちらも大切なのは皆同じだと思います。
傷付けず、否定せず、
ただ受け入れるだけで、言葉はなくても
社会はうまく回っていくのではないでしょうか?
ますます、ぬるま湯から抜け出せなくなった、
今回のボランティアでした。










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