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私の人生の音楽

こんにちは。私はリトアニア人です。今東アジアの研究専攻三年生です。日本語の勉強のために、私の先生がnoteに記事を書いてと言いました。初めてだから、間違いがあったら、すみません。よろしくお願いします。

私は音楽が大好きですから、この記事で音楽について書きます。子供の時から、どこへ行っても、音楽はいつも一緒にでした。毎晩、お母さんは子守唄を歌いました。テレビで色々なコンサートを見ました。音楽が大好きでした。小学校で友達は音楽学校に入りました。家に帰って母さんに「私もあそこに行きたい」と言いました。しかし、母さんは音楽学校に入らせたくありませんでした。どうしてですか。母さんは私には難しすぎると思っていました。でも、私はぜひ音楽学校に入りたかったです。おばあちゃんは私の味方でした。母さんは何も知りませんでしたが、ばあちゃんが私を音楽学校に連れて行ってくれました。その時、これは私たちの一番大きい秘密でした。ばあちゃんと一緒にオーディションに行きました。一週間後、答えが来ました。おばあちゃんではなく、答えが母さんに来ました。手紙で「おめでとう。彼女は音楽学校に合格しました。」と書かれていました。母さんが笑っただけだったのでびっくりしました。怒ると思いました。でも、母さんが私に「じゃ、今から頑張ってよ」だけと言いました。とても幸せになりました。ピアノの勉強を始めました。両親がピアノを買ってくれた時、私は世界で一番幸せ人になりました。母さんは私がいい成績をとれないと思っていました。でも、お母さんは間違えていました。私はいい成績をとってピアノも上手になりました。たくさんピアノのコンクールに行かせてくれました。私は多くのコンクールで入賞しました。ピアノが大好きになりました。母さんはピアノを弾くことが私の呼吸になったよくと言っています。母さんは間違っていません。ピアノを弾くことは本当に私に呼吸のようになりました。今はピアノなしでは生きられない気がします。音楽を聞くことは好きですが、弾くことはもっと好きです。ピアノを弾く時、何も考えません。私と音楽だけがあります。それは素敵な瞑想です。

時々、私はとても簡単な曲を選びます。時々、難しい曲にも挑戦します。たいてい新しい曲は一週間で完全にできるようになります。しかし、難しい曲が弾けるようになるのに1〜2か月かかることがあります。しかし、それだけの価値があります。初めて曲が綺麗に弾けた時は最高の気分です。

最近、大学で音楽の勉強ができなかったので、少し悲しいです。でも、学校でも大学でも私はいつもピアノを弾きます。誰も未来を知りません。もしかしたら、いつかピアノで弾くことは私の仕事になるでしょう。

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