日本ベッドの歴史(6):迎賓館納品とJIS規格 ─1970年代半ば─
迎賓館赤坂離宮に納品
日本ベッドは1970(昭和45)年、茨城県常総市に敷地面積 58,000 平方メートルの自社工場を完成させました。日本ベッドのマットレスは、この自社工場で一枚一枚丁寧に製造されています。
同年開催された大阪万博では、三洋電機グループのサンヨー館に「未来のベッド」を展示。日本ベッドは次々と、様々な挑戦を行っていました。
1974(昭和49)年には、東京都港区に迎賓館赤坂離宮が開館。
日本ベッド製品が、全寝室に納められました。
1970年代といえば、オイルショックと呼ばれる激しいインフレが二度にわたって発生した時代でした。日本ベッドは厳しい時代環境に耐え、数多くのヒット商品を生み出しています。
前回ご紹介した「ヴァロア」は、その代表的な製品です。欧米で流行していたピロートップのマットレスを日本で初めて採用し、厳選された材料を使って入念な仕上げを施した高級品でした。
「ハイライフユーロピアン」は、ローズウッドでしっとりと落ち着いたムードを持ったベッド。日本家屋の天井の高さに合ったローポジションで、強烈な個性を持っていました。
「テリーメイヤー」は、白木の美しさを生かしたシンプルなデザイン。グッドデザイン賞を受賞した製品です。こちらもローポジションベッドで、14年間にも及ぶ記録的なロングセラーとなりました。
「ハードエッヂDX」は、50周年を記念して1976(昭和51)年に発表されました。
特徴的だったのは、ボトムを台輪で支える構造。やはりローポジションで、日本の家屋にあったデザインが意識されていました。
JIS規格
1979(昭和54)年、日本ベッドは通商産業大臣より、日本工業規格(現・日本産業規格)(JIS)の表示許可を受けました。
JISとは、産業標準化の促進を目的として1949(昭和24)年に公布された「産業標準化法」に基づいて制定される国家規格です。ベッドのサイズは、日本産業規格(JIS)に定められています。
戦後本格的にスプリングベッドの生産を始めた日本ベッドの主な納入先は進駐軍。
米軍のベッドは高級将校が長さ2030mm、兵士は1900mmが標準でしたが、それに対して進駐軍では兵士たちに長さ1950mmのベッドの使用を認め、日本ベッドはその需要に応えていました。
JIS制定の基準となった寸法は、この頃の製品サイズが元になっていると言われています。