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日本語「サボる」と英語・仏語「サボタージュ」に見る国民性の違い

「サボる」と「サボタージュ」の驚くべき違い

「サボる」は「sabotage(サボタージュ)」から日本語の世界に入った言葉ですが、「サボる」と「sabotage(サボタージュ)」の間には、天地の開きがあります。

「サボる」は牧歌的で平和的

学生時代は、よく授業をサボりました。とても退屈な授業があり、時々サボりながらも、レポート提出等で何とか単位だけは取れる授業だったのです。[サボる」のですから、当然、教室には出ません。
教室を離れて友人と駄弁(だべ)ったり、学外へ出て街をうろついたりしていました。

つまり、授業の妨害はしていません。
誤解を恐れずに申し上げるならば・・・、
「サボる」とは、まことに穏やかな、牧歌的(?)な行為でありました。
「サボる」とは、まことに心安らぐ、平和的(?)な行為でありました。
(だがしかし、学生諸君、労働者諸君、学業、仕事をサボらずに頑張って下さい!)

「サボタージュ(sabotage)」は破壊的、暴力的

一方、「サボタージュ(sabotage)」には、「サボる」の牧歌的、平和的(?)な意味合いはありません、ほぼ正反対の、破壊的、暴力的な意味で使われるのです。

アーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画「サボタージュ」は、シュワちゃん率いる8人の男たちが「サボタージュ」するというストーリーです。これは別に、シュワちゃんたちが仕事をサボって、どこぞでのんびりと牧歌的・平和的なひと時を過ごすということではありません。機関銃ぶっ放して、悪の組織をぶっ壊していくのです。それが「サボタージュ」です。
シュワちゃんのサボタージュはすごい!

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ヒッチコックの映画にも「サボタージュ」がありますが、シュワちゃん同様、あちらの世界の「サボタージュ」であり、日本語「サボる」とは程遠い、破壊工作員の物語です。

アメリカの類語辞典(Roget's Thesaurus)で、sabotageの類語を調べると、次のような言葉が並んでいます。
 ・destruction (破壊)
 ・impairment (損傷)
 ・disable (無力化する)
 ・thwart  (妨害する、邪魔する
 ・undermine ([陰険な手段で]傷つける、[健康などを]害する)

日本語「サボる」と英語(元はフランス語)の「sabotage(サボタージュ)」とは、これほどの違いがあるのです。

sabotage(サボタージュ)は木靴(サボsabot)から

「sabotage(サボタージュ)」という言葉は、元はフランス語であり、それがそのまま英語にもなっています。
その「sabotage(サボタージュ)」の語源になったのが、「sabot(サボ)」です。
「sabot(サボ)」とは、木をくりぬいて作った木靴のこと。

サボ(木靴)は元来おしゃれの為の靴ではなく、柔らかい革靴が高価で買えない庶民が、木をくり抜いて履いていたのです。

サボ(sabot)は頑丈でものを壊すのに便利

若年の頃、フランスの友人宅にひと月ほど滞在したことがありました。
帰国の際に友人は、記念にサボ(木靴)を一組プレゼントしてくれました。

このサボ(木靴)が、まことに頑丈でした。
長い棒きれなどをゴミ袋に入れるのに、長いままでは袋に入りません。そこで、棒切れを短く折る必要があります。
そういう際に、このサボ(木靴)が、とても役に立つのです。
サボ(木靴)を履いて、棒切れをドスンと踏みつけると、簡単に折れてしまいます。
サボ(木靴)は、履物というよりは、足に取り付けた強力ハンマーのようなものであり、手の力より足の力がずっと大きいので、その破壊力はハンマーをはるかに凌駕しています。
サボ(木靴)は何かを壊すには、もってこいの強力ツールでありました。サボ(木靴)を履いて散歩して覚えはないのですが、踏みつけて壊すのにはとても重宝しました。

sabotage(サボタージュ)の破壊的意味

ものを踏みつけて壊すのにとても便利なサボ(木靴)から生まれた「sabotage(サボタージュ)」は、当然、破壊的意味で用いられます。

20世紀初頭に、フランスの労働者たちが待遇改善を求めて労働争議を行い、硬いサボ(木靴)を履いて工場の機械類を踏みつけて壊しました。小作人たちもまた、サボ(木靴)で地主の作物を踏み荒らしました。
ここから破壊的意味を持つ「sabotage(サボタージュ)」が生まれたのです。

サボタージュ【sabotageフランス】
(20世紀初め、フランスで争議中の労働者がサボ(木靴)で機械を破壊したことから)
*労働者の争議行為の一。仕事に従事しながら、仕事を停滞させたり能率をおとしたりして、企業主に損害を与えて、紛争の解決を迫ること。怠業。サボ。
*俗に、なまけること。
(広辞苑第五版)

そういうわけで、"sabotage"を「サボる」と訳すのは間違いです。
日本語「サボる」に対応する英語としては、ditch, slow off, skip, cut などがあります。

sabotage(サボタージュ)が日本に入ると「サボる」に変化する

「sabotage(サボタージュ)」という言葉が日本語に入ると、一大変化を起こします。
日本語というのは、日本人の心です。
破壊的・暴力的な意味を持つ「sabotage(サボタージュ)」が、日本人の心のフィルターを通過すると、牧歌的・平和的(?)な「サボる」という日本語に化けてしまいます。
シュワちゃんの破壊的「サボタージュ」が、換骨脱退されて、まことにおだやかな「サボる」になってしまうのです。

授業を「サボる」のは、褒められたことではありませんが、まあまあ、大目にみましょう。
しかし、授業を「サボタージュ」するとなると、机、黒板、窓ガラスをぶち壊すことになりますよ。これはいけません。
私が学生時代によく授業をサボったのは、牧歌的な平和的な、日本人流の「サボる」行為であったのですね。(あはは)

言葉一つとっても、その奥底に秘められた欧米人の感覚と、日本人の感覚とでは、大きく異なります。国民性が異なるのです。

英語の世界に「dragon」という言葉があり、日本語の世界には「竜」という言葉がある。
ところが、「dragon」イコール「竜」と受け止めてしまうのは間違いです。
「dragon」の奥底には、英語民族の心が秘められており、「竜」の奥底には、日本人の心が秘められているのです。
国民性の違いが、言葉一つの奥の意味の違いとなっているのです。

辞書で「dragon」を引くと、「竜」となっています。それはとりあえず対応させているだけです。「dragon」に対する英語国民の心と、「竜」に対する日本人の心を考慮すれば、「dragon」と「竜」は全く別物であると言わざるを得ないのです。
 【参考記事】龍とドラゴン (Dragon)・日本語と英語はこんなに違う

私は、日本語と英語を比較して、言葉の奥底に秘められた民族の心性の違いを、深層意識のレベルから解明して『日本語は神である』を書きあげました。オンライン動画やオーディオブックも提供しています。
ご一読、ご視聴を乞います。

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