身内の人が亡くなるということ。
※こちらの記事は私が以前別サイトで投稿した過去のブログから転記しています※
(2022年2月8日)
久しぶりのブログです。
実は、先日祖母が他界し、お通夜・葬儀・告別式などを終えて実家から帰ってきました。
私にとって最後の祖父母にあたるおばあちゃんの死。93歳でした。
最後の数年は認知症も進み、私のことも認識していませんでしたが、2年ほど前、卒業袴を見せに行ったときは、「綺麗だぁ」と言って何故か土下座をした状態で私のことを拝んでくれていたおばあちゃん。
そして、うちで飼っているワンちゃんを見せに行った時は「あらぁかわいい猫ちゃん」と謎発言をし、最後まで笑わせてもらいました。
デイサービスからショートステイ、そして最後の半年ほどは完全入所だったため、コロナ禍においての面会は最後まで叶いませんでしたが、危篤と聞きつけて実家に帰省し、家に着いてすぐに息を引き取ったと連絡があったときは、「ばあちゃんは待っててくれたのかな」と悲しくも温かい気持ちになりました。
亡くなった状態での再会でしたが、いろんな思い出を話しました。
小学生時代、放課後にはいつも夏みかんか焼き芋を用意してくれていたばあちゃん。
夏みかんの皮を肌に擦り付け(笑)、これが美容にいいのと自信満々に教えてくれたばあちゃん。
顔を合わせるたびに綺麗になったねぇと褒めちぎってくれるばあちゃん。
たくさんの感謝を伝えました。
また、反抗期や思春期の時、あまり話すこともなく、悲しい気持ちにさせてしまったことを謝りました。
お通夜で私が小中学校時代にお世話になった公文の先生に再会しました。
その先生から、
「公文にくる生徒たちがおばあちゃんの家の前を通る時、いつもニコニコ手を振ってくれるんだよと話していたよ」
と聞き、また温かい気持ちになりました。
20歳をすぎてから、身近な人が亡くなるのは2回目。
今でも顔や姿、思い出を思いおこすと泣けてきます。
去年、祖父が亡くなる直前は、声も出せないくらい衰弱してしまい、ただなんとか時たま目は開いており大きく話せばこちらの声は聞こえている様子でした。
私はそんな祖父の姿をみるたびに、「泣いてはダメだ、じいちゃんが心配する」と心で何度も唱えても、涙は止まることはなく、声を掛けたくても涙ばかりが出てどうしようもありませんでした。
ただ、この思いが伝わるように、じいちゃんの手はずっとぎゅっと握り、涙でほぼ前は見えませんでしたがじいちゃんの目を見つめ続けました。
そんな私の気持ちや思いが伝わっていたのか、じいちゃんもちゃんと目を開いて、何かを伝えようとこちらをずっと見つめてくれていました。
「ゆいなありがとう、いつも応援してるよ」
そんな言葉が聞こえてくるくらい、真っ直ぐな目で、訴えかけてくれていたと思います。
感謝の気持ちを伝えるには足りなすぎる時間でした。
これからも日々おじいちゃんやおばあちゃんたちに感謝することは忘れずにいようと思います。
そして、私にとって本当に大切だったおじいちゃんおばあちゃんたちに、誇りに思ってもらえるような生き方をしたいと思います。
亡くなってしまったおじいちゃんおばあちゃんですが、常にそばで見守ってくれているように感じ、とても心強いです。
身近な人の死、大切な人の死、これから生きていく上で年齢を重ねるごとに何度も立ち向かわなければならないことだと思います。
その時に後悔しないためにも、改めて身近な人・大切な人との時間をありがたさを感じて大切に過ごしたい、そう思いました。
この文章をスタバで記しながら、一人涙が止まりません(笑)
完全に変人なので、ここで一度終わろうと思います(笑)
皆さんと皆さんの大切な人が幸せな日々を過ごせるよう、心から祈っています。
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