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「民主主義」が嫌いな国
「桜を見る会」の問題で安倍の罪と責任が追及されている中で、この国会も会期が残り一週間となった。野党の求める予算委員会の開催にも応じず、ぶら下がりの会見で官邸記者に説明しただけで逃げ回る安倍の態度はいつもながら許し難いのだが、問題はそこばかりではない。
与野党の論点が一致していないのだからこそ、会期を延長して、それこそ越年で両方について徹底的に論議を重ねるのが国会だし、民主主義。このまま会期延長もせず、日米FTAだけ採決して終わりは国会の役割放棄だし、与党の独裁、野党の裏切りだ。 https://t.co/0ez3sH4fur
— 日本国黄帝 (@nihon_koutei) December 2, 2019
この国会には、日米間の貿易にとどまらず、この国の農業などの経済は勿論、この国の未来にも大きな影響を及ぼす日米FTAの批准という大問題がある。この問題をろくに審議もしないまま、会期延長もせずに採決で可決してしまう与党は論外というしかないし、それを容認する野党も非難されるべきなのだ。
で、この会期延長がなくなったことの一因には、こんな事も関係している。
もう撤回か(苦笑)。バカな世論の前では牛歩もフィリバスターも嘲笑と供に無効化されたし、審議拒否ももはや禁じ手と言ってもいいらしい。どうやら本当にこの国は民主主義が嫌いらしい。 https://t.co/4L2rA857K8
— 日本国黄帝 (@nihon_koutei) November 29, 2019
「桜を見る会」の問題で、野党が審議拒否を決めたものの、それこそ翌日にはこれを撤回、審議に応じてしまったのだ。勿論、これには立憲民主党の安住の裏切りだとか色々な側面もあるだろうが、それ以上に大きく影響している考え、感じ方があるのだ。それがこれ
毎度お馴染みの国会さぼり戦術ですね。安住さん、サボるのなら給料自主返納して下さい。 https://t.co/KybANfC9Lz
— 松井一郎(大阪市長) (@gogoichiro) November 28, 2019
勿論、維新の松井はいつも通り、単に安倍を助ける為に野党を批判しているだけなのだが、この「野党の審議拒否は“給料泥棒のサボリ”だ」という考え方が多くの国民に受け入れられているのもまた事実だろう。
結論から言えば、野党の「審議拒否」はサボリでも何でもない。圧倒的多数を持つ与党の横暴を止める、民主主義としては当然のやり方。これは野党が採決の場で投票を遅らす「牛歩戦術」も、延々と演説を続けて議事を妨害する「フィリバスター」も全く変わらない。
「採決」となれば多数決の原理で与党、つまり多数派の意見が通るのが当たり前。だから野党、少数派はその「採決」をさせない為に審議拒否や牛歩、フィリバスターなど様々な手段を講じる訳で、それは民主主義では絶対に認められるべき少数派の権利なのだ。
上の記事でも判るように、事実、英国でも米国でもフィリバスターなど野党や少数派による議事妨害という抵抗手段が認められている。これも当たり前で、「民主主義」の大原則というのは「少数派、少数意見の尊重」であって、「多数決の原理」ではないのだ。少数意見を徹底的に尊重し、議論をし尽くした上で、どうしても決めざるを得ない時には最後の手段として「多数決の原理」によって採決を行う、これが「民主主義」。
そういう意味では「民主主義」はかなり効率の悪い、手間と暇の掛かる政治形態と言っていいだろう。 しかし、それが必ずしも悪いとは言えない。そもそも国会は会社や工場ではない。国民の為に予算や法律、条約を作る機関であり、国政をチェックする議論の場所だ。要求されているのは国民の多様な意見を反映させる「熟慮」であって、多くの事を早く決める「生産性」ではないのだ。
野党、少数派でもたとえ数は少ないとはいえ国民の民意を反映しているのは同じだし、その反対が強くて議論が紛糾するようならば立ち止まって考え、採決で決めずに先送りすることも一つの大切な決断だろう。何でも野党、つまり少数意見を無視して、多数を占める与党の思い通りに迅速に決めていくのは「民主主義」ですらないのだ。
例えば、法律などと違って「予算」には執行する為の期日があるし、いくら野党が反対したり、紛糾したからといっていつまでも決めない訳にはいかない。また「条約」も相手国があることであり、いつまでも可否を明らかにしない訳にもいかない。だから憲法には衆議院を通過した後にはどんなに紛糾して採決が行われなくても予算や条約が30日後に成立する「自然成立」という規定が設けられている。つまり、逆に言えばそれ以外の問題、法令の制定などは与党と野党が紛糾したり、少数派の強固な反対がある場合は決めずに見送ることをそもそも想定しているのだ。
国会が衆参の二院制になっているのも、その為。一院でさっさと決める事よりももう一つの院で反対意見も改めて聞き、もう一度、立ち止まってよく考えることを重要だと考えているからだし、それが「民主主義」の考え方なのだ。
ところが、この国では「決められる政治がいい」とか「ねじれ国会は良くない」とかいうことがマスコミなどによって平気で言われて来たし、それを多くの国民も疑ってもいない。
しかし、これらの言葉がいうように、法律や政策などが簡単に決まり、次々に迅速に実行されていく事が一番だというのならば、多くのそれも意見がバラバラな人間が集まって決めていこうとする「民主主義」という政治形態はそもそも全く相応しくない。たった一人の独裁者やたった一つの党が決める「独裁」こそがそれを可能にする筈。
勿論、その「独裁」を行うたった一つの党や人間だけは民主的な選挙で決める「選挙民主主義」という考え方もあるだろうが、これは「少数意見の尊重」という民主主義の大原則を放棄している点で「民主主義」ではないし、それこそヒトラーが選挙で選ばれた人間だったように、これは「独裁主義」の一種に過ぎない。
つまり、「決められる政治がいい」や「ねじれ国会は良くない」とか言いつつ、法律や政策などが簡単に決まり、次々に迅速に実行されていく「生産性」を政治に求め、所謂、「選挙民主主義」をよしとする今の日本、日本国民は「民主主義」が嫌いというしかないのだ。
明治維新によって出来た国家主義、全体主義の「大日本帝国」は勿論、それ以前にもこの国には「民主主義」はなかったし、その大日本帝国が敗戦で滅んだ後も、「民主主義」を謳う新しい憲法は出来たが、現実には今の安倍首相も含めて誰も守ってなどいない。それもこの日本という国、マスコミも含めた私たち日本の国民の多くが自分たちが気付いていないだけで、実は「民主主義」が嫌いだからなのではないだろうか…。
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