法の支配 人の支配
…この安倍の無知ぶりは大きな話題になっているが(苦笑)、モリカケから財務省の文書改竄、統計偽装などなど、この国の現状は正に「法の支配」ではなく「人による支配」、それも安倍晋三 内閣総理大臣というひとりの人間による支配が続いていると言っても過言ではない。
それこそ法治主義、立憲主義、民主主義を掲げていた筈のこの国がこんな有り様になった原因は何なのだろうか?
ここ何回かこの場で書いてきたように、最高裁による違憲審査権の事実上放棄や、総理による国会の7条解散などの「解釈改憲」によって三権の中でも内閣、行政府の権限、つまりは内閣総理大臣の権力だけが増して来たことにあると考えるのが妥当。
ただ、歴代の内閣総理大臣にはそれなりの良識や見識もあったし、それこそ「法の支配」の対義語が「人の支配」だとは知っていた筈。だから解釈改憲によって内閣総理大臣の権力が「法の支配」を逸脱してしまっていても、その権力を無闇に使って「人の支配」、つまりは独裁を目指すような愚は犯さなかったのだろう。
そこに出て来たのが「法の支配」の対義語が「人の支配」である事すらも知らないバカ、安倍晋三。
安倍には、自分が権力をふるう事が「人の支配」に繋がる事も判らないし、内閣総理大臣の自分に出来る事をなぜやってはいけないのかも理解出来ないのだろう。だから、安保法制の時には集団的自衛権を違憲ではないと言ってくれる人間を内閣法制局長官に任命した。マスコミに叩かれない為にNHKの会長も代えた。最高裁判事も、各省庁の幹部も内閣総理大臣の自分が任命権を持っているのだから、自分に都合のよい人間に代えて何が悪いのか判らないのだ。それこそ憲法や法律に書いてある通りにやっているのだから、これこそが「法の支配」だと勘違いしているのかも知れない。 (この辺りは「法の支配」と現実の法に則る「法治主義」の違いにも関わってくるので、これ以上は踏み込まないが…)
いずれにしても、「法の支配」と「人の支配」の区別もつかないようなバカを「解釈改憲」が罷り通りるようなこの国で総理大臣にしてしまうと、とんでもない事になるのは知っておいた方がよさそうだ。
※Photo by webtv.sangiin