キタサンブラックのピークアウトとは何だったのか
ウマ娘のアニメ3期で沸き起こった論争について。
概要
事が起きたのは10話。
主人公キタサンブラックは、3年目の宝塚記念で大敗してしまう。
いつものような力が出なかった。何かの予兆かと暗雲が立ち込める。
その後(11話)、トレーニングをしていても普段より疲れやすくなっているなど体の衰えを感じさせる描写が多くみられた。
それに対してチームメイトのゴールドシップが告げる。
お前はピークアウトしたんだよと。
ピーク‐アウト(peak out)
[名](スル)頂点に達すること。また、そこから減少に転じること。
何がまずかったのか
まあ荒れた。
その原因は大まかに分けると3つ。
①史実と異なる
所説あるが、オーナーと厩務員と騎手が揃って「まだ走れる(意訳)」と言っている以上、史実としては全然ピークアウトでも何でもない説が有力。
宝塚記念の前に大阪杯、天皇賞春と連戦してたので単純に疲れが出ただけかもね。
何ならこの大敗の次のレース(17年の天皇賞秋)こそキタサンブラックの真骨頂という人もいるなど、宝塚記念を境に徐々に衰えてゆくような様子は見られない。
一本のアニメ作品としては史実改変してでも面白ければ良いという人も当然いるだろう。
ただ、賛否が割れるのは覚悟すべき描写だったのは間違いない。
②これまでの展開の流れとして面白くない
『今まで無双してきた最強キャラの衰え』とかなら、マンネリ化を防ぐ意味合いもあって面白い要素になるかもしれない。
が、キタサンブラックはそういうキャラではなかった。
10話までの流れを整理しよう。
・皐月賞、ダービーで敗北(1話)
・強敵が怪我で離脱して勝てるかもと思った自分が情けなくて曇る(2話)
・ネイチャに相談に乗ってもらいメンタル克服。菊花賞勝利(2話)
・有馬記念は3着(3話)
・産経大阪杯の2着で曇っているところをネイチャにフォローされる(4話)
・ブルボン&ライスと特訓。天皇賞・春は勝利シーンカット(4話)
・宝塚記念は3着(5話)
・ジャパンカップは勝利シーンカット(7話)
・有馬記念はダイヤに負けて2着(7話)
・有馬記念の2着で曇っているところをネイチャ、テイオー、商店街などにフォローされる(8話)
・大阪杯の勝利シーンカット(9話)
・天皇賞・春でダイヤにリベンジして勝利(9話)
・宝塚記念で大敗。ピークアウトか?(10話)
曇りすぎだし勝利シーンカットしすぎである。
この流れでピークアウトと言われても、主人公のピークどこだったの?となる。
強いて言うならレコードタイムを記録した9話の天皇賞・春が主人公のピークと言えるかもしれない。
が、大敗したのは次戦の宝塚である。これがピークアウトのせいなら一瞬で衰えすぎ。
展開としても唐突すぎる。
何より今まで散々曇らせてきたので、ここでピークアウトということにして主人公を曇らせても「また曇らせかよ」という印象になりがち。
マンネリ化を防ぐどころか、ピークアウトして曇らせる方がマンネリという流れが出来上がっていた。
③その後の面白さに寄与しない
最大の問題点はここ。
史実と違ってても、今までそんな予兆なく唐突にぶっ込んで来ても、面白ければ許される可能性はあった。
が、ピークアウトしたことで11~13話の展開が面白くなったかと言えば、全く面白くならなかった。
なんせその後の戦績は1着、3着、1着(引退)である。
体の衰えと闘いながらそれでも皆のために自分の体に鞭打って戦い続ける老兵の美学のようなものも、あろうはずがない。
体は衰えてもまだまだ若いもんには負けんよと、フィジカルの弱さを知識や経験で補って戦う老獪なベテランの風格も無い。
何なら勝っているシーンはどう見てもフィジカルのゴリ押しである。
つまり、「バクシンオーに吹っ飛ばされるほど体幹は衰えてる」し、「全盛期と同じ距離を走ったら息切れするほどスタミナも落ちてる」けど、それを加味しても勝てるほど相手が弱い、という描写になっている。
これで物語が面白くなるはずが無い。
むしろ、11話は台風による記録的な大荒れ馬場でのサトノクラウンとの泥だらけの死闘。12話は今までパッとしない戦績だったシュヴァルグランが一世一代のキタサン破り。
どう考えても、全盛期のキタサンと勝負させた方が面白くなりそうな展開である。
「ピークアウトして今までの走り方が出来なくなったことに伴う戦法の変化」とか「ピークアウトした人が集うドリームトロフィーリーグに目を向ける視点の変化」のような話の転換があれば面白くなったかもしれない。
が、最後までそういった変化はなく、ただ頑張って走るだけでどうにかなってしまう。
頑張って走れば良いだけなので特に対処もしない。
最後まで、「ちょっとしたデバフがかかった状態」程度で走り続けてラストランも勝利で終わる。
「競技者の衰えとはどういうことか」というテーマに対して真摯に正面から向き合ったとは到底思えないし、描き切れているとも思えない。
何だったんだこの設定。
なぜピークアウトさせたのか
どのような効果を狙ってピークアウトという設定を出してきたのか。
考えられるのは2つ。
①引退理由
まあ間違いなくこれだろう。
史実のキタサンブラックはラストランにおける「これが!男の!引き際だあああああ!!」という名(迷?)実況が有名。
これをオマージュするには13話の有馬記念で引退させなければならない。
ウマ娘ってどういうときに引退するの?
ってなったときに手っ取り早く思いつくのが体の衰えである。
勝てなくなってきたから引退する。大抵の競走馬はそう。
しかし史実のキタサンブラック号は違った。
肉体は最盛期を迎えている状態で、国内GIもほぼ取り切ったことで種牡馬としての仕事もあるし、大事をとって引退させたというのが一般的な見解。
衰えを感じさせず、まだ走れるけどこの有馬記念で一区切り付ける。
そういった潔さを「男の引き際」と表現したのだろう。
この引退理由をウマ娘で再現するのは難しい。
繁殖のためなんて論外だし、経済動物でもないから本人が走りたいと言っているのに止める理由も無い。
なので仕方なくピークアウトしたことにして、無理やり引退に繋げさせたのだと思われる。
「男の引き際」ではなくなってしまうけど、ウマ娘は女の子だしね。
……「ドリームトロフィーリーグ」を目指すで良かったのでは?
憧れの先輩トウカイテイオーさんもいるだろうし。
②ドラマ性
もう一つはドラマ性かなと。
上述したように、キタサンのラスト3戦の戦績は1着、3着、1着(引退)である。
これを順当に消化するだけでは最終回の感動が薄れてしまうと考えて、主人公に悲劇性を持たせたのではないか。
実際、11~12話は殆どキタサンの笑顔が見えない。
自分の衰えと戦うように必死な表情でトレーニングを積むし、11話に至っては史上最悪の馬場と呼ばれる中での激戦を制しても喜ぶシーンは無く、苦しんでいる様子のみが描かれる。
そんな2話を超えて最終回の13話で引退レースを制したとき、ようやく笑顔を見せる。
……は?
この展開を「ドラマ性」と呼んでも良いのだろうか。
主人公がただ辛い辛いと嘆いているだけである。
その辛さを経験した主人公に何か変化がある訳でもなし。
辛そうな主人公を見かねた他キャラが話を回す訳でもなし。
何らかの方法で辛さを克服するシーンがある訳でもなし。
全く物語が動いていない。
物語が動かずに視聴者の心を動かせるはずもない。
ピークアウト設定の是非
ちょっと話題を変えて、そもそもウマ娘世界に「ピークアウト」という設定は必要かという話を。
これは是でもあるし否でもあると思う。
ウマ娘というパラレルワールドだからといって、「史実で1位を取った競走馬をないがしろにして特定のウマ娘を1位に改変する」といったことは好ましくないというのが自分の見解。
基本的には史実準拠の戦績を踏襲すべき。
そうなると全盛期から徐々に戦績が落ちて引退するという、明らかにピークアウトの経緯をなぞるウマ娘も出てくるだろう。
その物語を描く上で「ピークアウト」を主軸に絡めるのは大いに結構なことだと思う。
一方で、現実では絶対に起こりえないif対決というのもまた、心を揺さぶられるものがある。
それこそ全盛期のトウカイテイオーvs全盛期のキタサンブラックなんて現実では20年以上開きがあるのに、ウマ娘では描けるのだ。
要するにバランス、匙加減の問題である。
「ドリームトロフィーリーグ」という設定も、しっかり決まっていないからこそ夢がある。
・ドリームトロフィーリーグ
トゥインクル・シリーズで好成績を収めたウマ娘が次の活躍の場として選ぶレースプログラム。
トゥインクル・シリーズを卒業したスターウマ娘たちが集い、夢の対決を繰り広げるため非常に高い人気を誇る。
トゥインクルシリーズにはピークアウトがある。
ドリームトロフィーリーグにはピークアウトが無く全盛期の走りが出来る。
この辺りが夢と現実の入り混じる丁度良い落としどころだと思う。
ピークアウト演出の一例
既に100万回言われてると思うが、テイエムオペラオーでピークアウトの話を描くと非常に奇麗な終わり方が出来そうという話。
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古馬王道ローテを年間全勝で蹂躙して世代最強の名をほしいままにしたオペラオー。
しかし翌年、春天前の叩きで衰えの予兆を感じる敗北を喫する。
本番の春天は勝利し、ファンたちは何だ杞憂かと胸を撫でおろすも、本人とトレーナーは限界が近いと気付いてしまう。
ライバルであるドトウにだけはこんな姿見せたくないと必死にトレーニングをし、過去最高の仕上げで迎える宝塚記念。
一方ドトウもオペラオーの異変には気付いており、こちらも一世一代の仕上げで決着を付けにかかる。
互いに最高のパフォーマンスを見せた一戦。
ドトウの勝利。初めてオペラオーから勝利をもぎとったことで感涙。
今後衰え行く自分の体だが、この一戦に間に合って本当によかったとドトウを祝福するオペラオー。
その後、秋天・JC・有馬と次世代のウマ娘に負け引退。
全盛期の貴方と戦いたかったという彼女たちに、ドリームトロフィーリーグで会おうと告げてEND。
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このように、
・全盛期と比較したら衰えているというのが史実的にも周知の事実
・全盛期で無双している時との落差が激しく、興味を引く展開
・食傷気味だったライバル対決を再度盛り上げるスパイスになる
・衰えた後に敗北した相手が全員後輩であり「ピークアウト」と密接な関係を持つ「世代交代」も同時に描ける
と色々相性が良い。
ちなみにキタサンブラックはこれらの要素を一つも満たしていない。
最後に
競走馬にはそれぞれ競走馬ごとのドラマがある。
ならばウマ娘にもそれぞれウマ娘ごとのドラマがあるはずである。
ウマ娘アニメ3期はキタサンブラックというウマ娘を主人公に立てて物語を描いたが、自分にはどうもアニメ2期で成功したトウカイテイオー主人公の物語を意識しすぎているように感じられた。
トウカイテイオーは苦労の多い馬生だったのだろう。
皐月賞とダービーを勝利し、次に菊花賞を勝てば3冠馬というところで1度目の怪我。
そして2度、3度と怪我を繰り返してもその度に復活し、最後は有馬記念に勝利して人々に感動を与えた。
その馬生をウマ娘として再構築して描き切ったアニメ2期が稀代の名作であることに異論は無い。
しかしアニメ3期は、主人公にアニメ2期と同じような試練を与え、アニメ2期と同じような感動を視聴者に与えようとしていなかっただろうか。
少なくとも自分が10~13話のピークアウト関連の描写で感じたのは、脚本の都合で主人公が苦しんでいるという印象だけであった。
杞憂であれば良いが、もし「アニメ2期がウケたからキタサンブラックも沢山曇らせて感動させるストーリーにしよう」と思って作られたのであれば悲しいことである。
「キタサンブラックは主人公には向いてない」
「強すぎてドラマ性がない」
「トウカイテイオーの史実には勝てない」
「怪我もせずGI7勝するだけの退屈なストーリー」
「ドラマチックにするためにピークアウトは必要」
3期放送前だったり放送後だったりで聞こえてきた言葉である。
本当にそうだろうか。
史実でどんなに強くても、怪我をせず円満に引退したとしても、面白いドラマは描けるのではないかという気持ちで書いたのが先日のnoteである。
円満に引退できない競走馬もたくさんいる。
それこそ、サイレンススズカやライスシャワーは予後不良によってレース後に命を落とした競走馬である。
そんな中で、素晴らしい戦績を残しながらも怪我もせず、全盛期を迎えたまま引退できたキタサンブラックは幸せなのだと思う。
このような引退が出来た競走馬がどれだけいるだろうか。
この希少性もまた魅力の一つであり、ピークアウトによる衰えを感じての引退という一般的な終わり方でなく、キタサンブラックならではの「引き際」として描いてほしかったのが心残りである。