イジメの芽はすぐ育つ
「僕の味方は家族だけ」
思春期の少年は家族だけが味方だけ、じゃダメみたい。親からしたら死ぬくらいなら逃げろって思うけど、学校、それが世界の全てでもおかしくないし。教育委員会が全く信用できない組織なことを、スレた大人なら知ってるけど、ショックですよね。
こういうニュース辛いわ。
神戸西区のニュースも辛いけど。
ダブルダメージ
イジメの芽はすぐ育つ
怒られるとそれを誤魔化すために笑う息子
発達障害の辛いところ。
親であるからこそ、それは、相手の剣幕を見て動揺している彼が、自分や相手を落ち着かせるために笑っているんですけど、かえって相手を怒らせるのです。
そういえば、私の通っていた中高一貫校でもイジメがありました。イジメというほど陰湿なものではなかったけど、それは私が結局傍観者という立場だったからかも知れません。
小学生まで、と言っていいのか?小学生低学年までのいじめは、当人が理不尽に立ち向かうことである程度収まる、と私は、思います。
貧乏であるとか、大人しすぎるとか、要するに変わっている、他の子と違うところがある
それが不躾である、などの解釈が合理的に思えるとき
つまり自分が正義であると思えるとき
何歳になろうがイジメの原因などくだらないものだと思います
いじめられていた同級生を二人、思い出すことができますが、彼女たちはふたりとも大柄でふくよかでした。
一方はひょうきんなところがあって、修学旅行で、ご飯時、女子生徒たちの食べきれないおかずを押し付けられ
「もうー後で奢ってよ!」と言っていたのを
「おかずがもらえるんだから、普通「ありがとう」じゃない?」と、陰口を叩かれていました。
当時の私は、大した事のない今と比べてもだいぶ情緒的にアホだったので(14ー15歳、お付き合いするなら結婚前提であるべきだと信じていました)、
それに迎合しておりました。
正直こういった状態の小娘小僧が集う学校で、いじめを無くすことは無理だと思うのです。誰かを嫌う、という心の動きは、不自然なものではないし、生徒同士傷つけ合うこともまた、全て無くすことが健全な成長とは思えません。
うちの学校ではイジメを許さない、させない、そういう縛り方で、どちらの立場であれ、大人が認めない状況になってしまい「言い出せなくなること」は逆効果だと思います。
AIの未然防止機能の発展に期待したいです。
もう一人のいじめられっ子は、私は今でも当時にタイムスリップしたとて仲良くできる自信がありません。
既に進学校のN校で苛烈なイジメを受けて転校してきたその子は、
私は本来こんな学校にいるべき生徒ではない、というような事をいい、
注目を集められないと拗ねる
見栄はり、嘘をつく。
その子はいじめられていたわけでは無く、単に嫌われ距離をおかれていた、という方が正しいかもしれません。
前者のケースに比べ、彼女のような人と仲良くするのは大人でも難しいと思います。
彼女の自慢話のひとつに、自分はモテる、というのがあり、塾講師との禁断の恋や講習後のドライブデートの話など聞かされていたのですが、
やはり幼い人間同士の恋愛だと
モテるわけねえ容姿
というものを見てしまうんですね。
差別論者のようで心苦しいですが。
浮いた存在だっただけに、そうなの?凄いねー、と話に乗ってしまうと、その人をホーミングし始めるわけです。
当時のことを思い出すと、まるで介護施設の傾聴ボランティアのようだ、と思います。
勉強ができるからと放置せず、彼女の打たれ弱い精神やパーソナリティ問題に目を向け、大人がカウンセリング等に誘うべきだった、と思います。
それで別に友達は要らない、というならそれで良いのです。
友達がいない、ほとんどいない、好んで一人で学校生活を送っている人がいましたし、もともとお嬢さんやお坊ちゃんの多い私立でしたから、大人しいというだけで攻撃する気性の荒い生徒は、さしあたり見かけませんでした。
その子が転校してきて早々、私が当時所属(群れていた)していたグループは、担任の先生に呼び出されました。
その子と仲良くしてあげて欲しい、と、頼まれたのです。
私達は首を傾げましたし、先にも書いた通り、元々気立ての良い子が多かったので、先生の言う通りしようと努めました。
けれど、先生から言われて「仕方なく」仲良くできるような子では、残念ながら無かったのです。
私達に疎まれ始めたことに気付くと、彼女は浅はかにも、私が○○さんの悪口を言っていたよ!と吹き込み、疑心暗鬼に陥らせようとしました。
もちろん、そういう奸計が通用するほど、彼女は信用されていなかったので
なんて性格の悪い子だろう、とますます嫌われただけでした。
これは、いちばんはその子の未成熟な人格に原因があり、自業自得と捉えられなくもないのですが、
子供である以上、未熟なのは当たり前で、チャンスが与えられるべきだと私はおもうのです。
彼女はただ子供の社会の中では嫌な奴だっただけで、犯罪者ではありません。
今では、思うのは
あのときの先生の雑な対応です。
親御さんからイジメのことを相談されていて、思春期の女の子たちに「仲良くしてあげて」で、なんとかなると思っていた?なんて、子どもを舐めているのか、自分の仕事じゃないと思いこんでいたか、
私はあのときの先生に近しい歳になっていると思いますが、
アホか、と思います。
第一志望に落ちた時は、自宅に電話をかけて、浪人するように勧めてきた先生です。
今から思うと、子どもの成長とか幸せな人生とかは二の次三の次で、進学率を上げることしか考えていない学校だったな、と、思い出すとイライラしてくるときがあります。
そんな学校ばかりじゃないでしょうが、
どうも、私立といっても慎重にしなければ、かえって子どもを傷つけそうで。
子供社会に大人が分け入って問題を解決するのはとても難しいし、あまり干渉しなくても良い問題が無いうちはそれで良いでしょうが
結局、なぜその問題、たとえばイジメならイジメが起こるのか、それに「無関心」なことがいちばん悪いと思います。
大人は忙しいから「仕方ない」
思春期になると、大人の社会の仕方なさ、不完全さを、大人は子ども社会に押し付けよう、納得させようとしているし、
子どもは、そんな大人の言うことを信用しなくなるだろうし。
ガーシー容疑者や、ダウンタウンの松本人志さんに物申して物議を醸しているオリエンタルラジオの中田さんの件が最近話題になりましたが、
彼らの言うことが正しいか、正しくないか、よりも
「今まで」が疑われている、既存の評価方法や信用が失われている、そこの損失が、辛さを感じさせる原因かと思います。
人間社会って結局、話し合う時間を省略して勉強やお金稼ぎに勤しむと、それだけ問題が湧いて膿んで悪くなっていくものなのではないか。