エンバーミング
コロナウイルスと地球温暖化被害の激甚化に加わり、ロシアによるウクライナ侵攻とヨーロッパでのサル痘感染拡大、嫌でも死を考えさせられます。
まだ遠いと思っていたら、いきなり訪れることもある、という死。
サル痘は、名前から媒介動物はサルかと思いきや、哺乳類ならなんでも、特にねずみから人に感染するという経路が懸念されるそうです。
現在までで感染がわかっている国を色付けしてみました。
Spain,
Portugal,
Germany,
Belgium,
France,
the Netherlands,
Italy and
Sweden
サル痘には有効なワクチンがあって、現在ではそこまで怖い病気では無いそうなのですが、北半球でも感染が広がっているというのは異常事態だそうです。
また、日本では天然痘が絶滅する以前、二代目・桂米喬が痘痕にキセルをかけた写真が強烈過ぎて、面白いというより恐怖です。首から上に痕がのこる病気は、現在では男性にとっても女性にとっても、ますますストレスが大きいと思います。
北朝鮮がワクチンを断っていたこと
通説として、北朝鮮という国柄は、政府の威信が大事。で、医療物資を受け取ることで、国民の支持が下がるのを懸念したため、というのがありました。
名ばかりのような気がしつつも、先進国・民主国家というのは、こういう時にまあまあのスピードで命を守るシステムにアクセスでき、自分が日本という国とともに生きていることを思い知らされます。
国民総動員令は民主的ではないし、にも関わらず、NATO加盟を求めるゼレンスキー大統領に良い感情を抱いていません。また、今の日本に総動員令は無いんですけど
親が選べないように、国も選べないし、亡命や帰化ってそれほど単純な選択肢では無いような気がします。
元外務省主任分析官の佐藤優さんと、早稲田大学露文化の五木寛之さんの対談本
異端の人間学を読んで、ロシアと日本を比べて考えていますけど、有事の際に、命を取るか国を取るか、私はけっこう悩むと思います。
子どもがいるから逃げるとは思いますけど、主人を残すこと、もし死んでしまったら、無気力になる気がします。
文句を言いつつも、今の日本だから息子を頑張って育てようという気持ちがおおきいですけど、日本が戦場になった上に、結局兵役があって息子を取られる、なんて目にあったら、日本なんか大嫌いになると思いますね。
で、あるなら、子どもをどこか安全な場所に移して、国とともに没する方が美しいまであります。馬鹿げていますけど。
生きる権利を取り上げられたら、そういう馬鹿げた美学に取り憑かれるかもしれない。
さて、北朝鮮のことは意識から遠のいていましたけど、今更ながら危機的な状況らしく、なにせワクチン接種が全く進んでいない。
金正恩総書記は激おこだって。
なんでワクチンは要らないって言ったのに、今更キレてるんでしょうね?
でもこのワケのわからなさ、他人事ではなくなっています。
世界がどこに向かおうとしているのか、今、一般市民がアクセスできる情報では全く読めません。
北朝鮮では民間療法に頼るしかなく、朝晩各一回ずつ塩水を飲むとか。
なんやねん、それ。
高血圧とか脳溢血とか別の病気リスクを上げそうですけど、逆にそんな不健康な体ではウイルスも繁殖できないってこと?
いやいや。
オウム真理教の惨禍と異端の弾圧、日本では未だに、宗教アレルギーがひどく、思想に核のない優柔不断ぷりがもどかしく見えます。それに、戦争、または国際平和のために、宗教/民族性を理解するのはとても大事なことで、それを斜に構えて見たり認識が甘かったりすると、国同士、仲が悪くなるリスクが増えるのでは、と、懸念しています。
けれど、目的のために神様を信じることはできないし、神様がだめなら政府を信じさせ、独裁とかファシズムとか非難されているところをみると、国際平和の維持って、本当、一筋縄ではいかないことと思います。
人間はみんな一人ひとり違います。
宗教もそうだし、体力、知識、考え方、大事なものも。命がどれくらい大事かどうかでも、人それぞれ違います。
ただ、死んでしまっては話し合いもなにもありません。
なので、一人でも多くの人に、考える機会を残す、戦争を辞める、のは、国際平和に最も大事なことと思うのですが。
比較的、仏教が根付きやすい日本ですが、仏教は死の哲学と比喩できると思います。
私は仏教信仰していないし、おかしな話ですけど、たとえば頑張れば現実で報われるという、そこまで現実の社会には期待できないんですけど、どうせいつか死ぬんなら、気持ちよく死にたい、という考え方が根本的にあって、正義漢ぶることがありますね。
また、国とは文化と文明、そして、信仰だと思います。
戦争の何が嫌かって、文化文明が破壊されるのはもちろんのこと、死者の弔いがおざなりになることです。
死んでしまったら本人には関係ないと考えることもできますけど、その国のやり方で弔えないって嫌なことだと、冒頭で、いつ死ぬかわからないという懸念が強まった昨今、そういうことをよく考えます。
私も10年くらい前まで、別に死んだあとのこととかどうでも良かったし、さもなければ、海葬とか宇宙葬とか、遺灰も残さないぶっ飛んだことをしてほしいと思っていたんですけど、今はちょっと変わって、もしほんの少しでも死後の世界があるのなら、死化粧をした自分を見てみたいと思っています。
5年前、祖母が亡くなり湯灌を見たことがあるのですけど、エンバーマーと呼ばれる人の手際、お腹の中をスッキリさせて、頬にチークを入れてもらい、そういうのを見ていると、双方の「お別れ」が爽やかになる気がしたんですね。
映画おくりびと、で、エンバーマーに注目が集まりましたが、みおつくし料理帳シリーズでおなじみの、高田郁さん著作 出世花、も、推したいです。
エンバーマーとは死化粧をする人ですね。死者のスタイリストです。死ぬ間際に点滴治療を受けていた人は、水分が足元に溜まり膨張しやすいらしいです。
亡くなった人の姿を整えるのに、高度な衛生管理と知識が必要です。
もっと必要だと思うのは愛ですね。
私はサイコパスが必ずしも悪い人とは思いませんし、自分の考え方にもサイコな部分があるように感じることがありますが、手前ですべての意味のあるなしを決め付けてしまうような極端な思考だと、死化粧に意味を感じることは難しく感じます。
最近、浮津あゆみさんというエンバーマーのコラムを読んだのですが、これは数年前のもので、昔本で海外で資格を取る必要がある?とかも読んだ気がするし、やはり名うてのエンバーマーというのは少ないのかな、という印象。
ウクライナ侵攻の禍根は、たとえ停戦にいたっても何十年と残ると思います。その半分は、死に際の痛みや恐怖よりも、大事な人の死後に起こったことが許せないのではないか、と、私はなんとなく思います。無意味だと、思うのが何より嫌ではないですか。だから戦死者を英雄扱いしたりするけれども、それもやっぱり虚しいと思いますね。
偽善だろうが一時停戦だろうが、ともかく亡くなった方を速やかに送れるような、遺族の方の気持ちを晴らせるような、そういうところまで治安が回復してほしいです。