発達障害者の能力。単純か複雑かどっち?
発達障害の能力について。単純か複雑か、あなたはどっち?
育休明けて職場に復帰するとき、仕事の流れよりもむしろ、単純なものの位置や、履歴閲覧するためのいくつかの数字を忘れていました。
けれど、意外にも頭を悩ませた社内の問題については、色濃く記憶に残っていました。
これは、当たり前のようでいて興味深いことだと思います。
認知症が進んだ際によく現れる症状として、馴染みのある場所でも自分がどこにいるか分からなくなり、家に帰れなくなる、というのがあります。
私は自分が認知症にならない自信はなく、そうなったら・・・と、考えるだけで恐ろしい限りではあるのですが、死ぬよりは具体的な衰えのイメージです。
個人情報の保護の観点から二律背反かもしれませんが、有事の際、住所が分かるようにさえなっていれば、案外なんとか生活できるかも・・・?(そこに至る前に、特別養護老人ホームに入所するほうが、周りにとっても良いでしょうが、入れるかわかりません)
さて、以前、元旦那はADHD(多動性障害)かもしれないとSNSで発言したことで、ちょっと炎上というか叩かれたことがあります。
今でもあんまり納得できないというか、一気に頭に血が登った人に叩かれたもいう印象しか残っていないのですが、大勢を占めたのは、妻子を苦しめる、その空気の読めない言動はむしろ「アスペルガー症候群」だろう、というものでした。
アスペルガー症候群ではなく多動性障害ではないか、という疑惑を抱いたのは、元旦那さんには、その場しのぎの嘘が目立ち、かつ躁状態のときはよく動く(寄生候補の女性に積極的にアプローチする)という、ある意味では異性として好感が持てる要素があったからです。
診断を受けていない以上、元旦那が発達障害というよりは、むしろただの性格破綻者と捉えたほうが、今から考えると良かったのですけど、別の確度から考えると、
女癖の悪い元旦那の行動を指して、彼はADHDかも知れない、と発言したことを、「ADHDである自分や身の回りの親しい人をバカにされたように感じる」というのは、感情的・論理の飛躍であり、私はむしろ「定形によくある被害妄想のパターン」だと思うんですよ。
私は日常生活に支障ないため診断を受ける予定は無いですが、自分が発達障害じゃないか、うっすらと疑っています。
冗談を額面通り受け取ることが多く、会話の裏を読むことが苦手です。読書量はおそらく平均より多いので、日常生活に用いられる程度の比喩的表現は問題にならないですけど、私には、本音、特に、嫌味をオンタイムで察することが、まず不可能です。
それで一時期仲が良かった友人と、いつの間にか絶交していることもあります。
とはいえ、嫌味を察してもらうことで自分の良いようにコントロールしようという人間は、長く付き合いたいような人格者とは言えないので、絶交は絶交でよいのですが。
逆に、変な勘繰りをしないのは、メリットとして働くことが多いように感じるのです。自分を納得させられるような説明を考えることはできますけど、今でも、元旦那がADHDかもしれない、ということで、「ADHDを知らない、馬鹿にしている」と怒る人の心理は、イマイチ腑に落ちません。
SNSで発信する元旦那がやったこと言ったことの全てが、発達障害の症状かと言われれば、否定するまでもなくそれは違いますし、あくまでADHDかもしれないと考えられるフシがあった、ということに対して、なぜ自分が否定されたように感じる人がいるのでしょうか?
むしろ私の過去の発言で怒った人よりも、私の考え方のほうが、発達障害の傾向があるような、気がするのですね。
空気を読まない言動はアスペルガー症候群だろう、と、そのほうが総じて発達障害者を馬鹿にしているような気がするのです。
定型から見れば「空気を読めない言動」でも、発達障害者は情緒欠陥のサイコパスでない。発達障害の理屈があるのです。
個人的に顕著と感じるのは、たとえ人を傷つけても、それを察することができない・・・ということでしょうか。
相手を怒らせて初めて気付くのです。けれど、相手が怒っている理由がわからず、ポカーンとしている。そのとき相手にはきっと相当なアホに見えるでしょう。
巷では、このことと、他人に横柄な態度を取る、感情のコントロールができない、すぐ怒鳴る・暴れる、そういう人を「発達障害の特性」とごっちゃにしている人が多い感覚があります。
私もそうですし、診断を受けている息子も、他と比べて「暴れる」とか「怒りやすい」という特性はないような気がします。
たとえば五感のどれかが敏感(知覚過敏のような)で、我慢して服などをみんなと一緒にしようとすると、不快なためすぐにストレスが溜まる、ということはあると思います。
その際には、学校であれば先生に、会社であれば上司にかけあって、不快を取り除く、または、抑えるために、理解を求めるわけですが(といっても法人の方が、仕事の肝さえ押さえれば学校よりは自由度が高いので、あまり問題になりません)
我慢できず、すぐに暴れたり怒ったりする人が発達障害、というのは、どう説明すれば良いか困るほどの誤認。
定型を含めて他の人がそうであるように、暴れたり怒ったり、というのには、普通、理由がありますよね?
もちろん、発達障害者がもし定型より暴れやすいのなら、原因はあるのでしょうが、定型より暴れやすいという傾向は無いと思います。
あるとすれば、幼少期から抑圧されて二次障害三次障害がある・・・のではないでしょうか?
これも、発達障害者はストレスで必ず二次障害の症状が出るというものでも無いので、首を傾げざるをえません。
むしろ、他者とは傷付くポイントがちょっと違うので、社会から露骨に差別されない限り、発達障害者が受ける福祉にフマンを感じる定型よりは、ストレスコントロールしやすい性格なのじゃないかと思います。
もう一つ、発達障害者の記憶力に深く関わるものに、「動線」があります。
これを説明するときに、よく「脳の信号がごちゃごちゃに・・・」というの、ありますよね。よくわかっていないなりに、この説明は言い得て妙と思います。
頭分かっていても、体がうごかない、言葉にならない、このことは、自身にも息子にもあてはまります。
それゆえ、ドッチボールのような「反射神経」が求められるスポーツが苦手です。筋肉の動かし方が分からない、ハッキリ言って運動音痴も多いことでしょう・・・(悲しい)
整理整頓についてですが、家の中や身の回りのもの、わやくちゃになってしまうこともあるでしょうけど、それだと分かりやすく日常生活に支障が出るので、ここが「発達障害者の腕の見せどころ」とおもうのです。
自分が動きやすいように、パターン化できるものはパターン化する、見える化する。家の中の場合、家族の協力はもちろん必要ですが、自分のことを理解してカテゴライズする、ということについては、発達障害者の脳みそに適性アリと思います。
整理整頓がすこぶる苦手な人もいれば、めちゃくちゃ得意な人もいる(※ただし我流、他者の動きやすさではなく、自分の動きやすさを徹底追求するので、コミュニケーションなしに他者へ整理整頓メソッドを伝えることは困難)
一般的に、発達障害者が嫌いな人は特に、発達障害者は整理が苦手と捉えていることが多いようです。
これは、そうでもないですね。
ネガティブな特性ばかりで申し訳ないのですが、運転はやや苦手、なんじゃないだろうか。
もちろん練習で普通程度にはなるのでしょうが、車の運転こそ、多方面への気配りで、運転の巧拙が決まるので、一極集中型の多い発達障害者にはあまり向かないと思います