見るハラってなに?
今日は月曜、ちょっとダルいけど頑張ろう。
見るハラってなに?
歌手の大黒摩季さんが、なにかのテレビ番組で見るハラをテーマにしたお話で、「見たくないものを見せられるのも不快」と発言し、それが共感を呼んでいるそうです。
見るハラとは、私もよくわからないのですけど、たとえば流行りのちびティーでおへそが見える格好をしていて、それをジロジロ見るのはハラスメントだと、こういうこと?だと思います。
どの程度が見るハラに当たるか分かりませんし、大黒摩季さんに特に悪い印象を全く抱いていないのですが、個人的な意見としては、
「見たくないものを見せられるのも不快」は、前世代的と感じます。
と、いうのは、スマホ普及率やAIの進歩を考えるに、少なくとも日本のほぼすべての人が、「見たくないものを見せられている」感覚に晒されているからです。
ひょっとすると、発達障がいらしい考え方かも知れません。空気の読めないとされる発達障害者は、視線の何が悪いのかわからず、失礼なほど人の顔をジロジロ見ることがあるからです。
これは脱線ですが、要するに、見たくないものを見ないで生きていけるほど生き物の生活は甘くないと思うのですね。
人間は、全身で外界と繋がっています。
下水道の設備が整わなければ、今の生活様式はありえないのだけれど、汚れ仕事をしていない人が多いだけで、汚れ仕事がない、わけではありません。
また、個人の経験でいえば、息子を産んですぐ、外に授乳ケープを持っていかなくちゃいけないのは大変でした。
もちろん私にとって胸部は見られたくないものなので、隠すものは必要ですが。
と、いうと、様々な福祉受給者への非難にありがちな、下水道整備や授乳ケープは必須だけどファッションは必須じゃないじゃん嗜好じゃん、という意見ですが・・・
他者にとって必要なものを自分で判断するのは不可能だと思います。
もしかしたら、下心なく、授乳は赤ちゃんのごはんだから隠す必要無いんじゃない?と考えている人も、少なからずいるかもしれません。
嗜好というと、日々の生活を豊かにするような、音楽を聞いたり部屋に花を飾ったり。確かに生命活動を維持するのに必要ないことはたくさんありますけど、こういうものを全部奪ったら、人間は生きる気力を無くすと思う。
そもそもヒトの姿形を不快だとまで言える人の心理は、よくわかりません。
私には反省すべき点があり、ひどいアトピーの人や頭部より上に手術痕がある人など、痛そう・・・痒そう・・・と思い、つい見てしまいます。
けれどそういったコンプレックスを刺激しそうな視線こそ、見るハラと呼ぶのに相応しいのでは?と、、オシャレを楽しんでいるだけなのに性的な目で見られることが不快、または見たくもないものを見せられるのが不快、というような概念は、イマイチよくわからないのでした。