家庭でも職場でも被害者に留まるな
あんまりやる気がおきないです。空元気もないです。でも沈んでいる、落ちているというほどではなく。
虚無ってかんじ。
ニヒリズムはどちらかというと嫌いなんですが、信じられてしまうというところに難ありです。
宮崎あおい主演のスパイの妻を見つつ作ったgif動画。やっぱりダルい。
ストレッチ(あふれでる魚拓感)
家庭でも職場でも、被害者に留まるな
前回、富山県で2歳児の男の子が行方不明になった事件について、
「大雨の中、恐れることなく裸足・パジャマで外に出ていく男の子なんているだろうか?」
という意見に驚き、密かに子どもがいないからか?と、疑問を抱いたのですが、存外子育て済のママや、あるいは子育て中のママの中にも、こういった
親がなにかしたのでは?
と、いう意見を持つことを知り、あらためて母親という生き物の業の深さに、ちょっとびびっています。
よく知らないのですが、ユーチューバーかなにかでカリスマ保育士として有名な、てぃ先生という人がいて、
その人が、
「誰にでも起こり得ること」と、富山に赴き、聞ける範囲で事情を聞いてくるとのことですが、応援する声が強い中
「なんのために行くのか?」
という辛い目の意見も目立ったそうです。
どんな些細なことでも、求められていないのに、こちらから話を聞きにいく、という行為は、相手を傷付ける可能性はあります。
けれど、「だから話しかけるな」というのは、私、大反対なんですね。
究極的には、傷付くのが不安で怖いなら、必要最低限以上に、人と話すべきではないです。なんにでも傷付くことはできますので。
けれど、人と人とが干渉しあわないと、どんな些細なことも、全く発生しません。ちょっと下品な例えかも知れないですが、子どもだって、人と人とが干渉しあわないと産まれません。
人間社会には常に、「なるべく人と人が直接関わりあって、傷つけ合うことが無いようにしよう」と、通貨制度や福祉の役割をになう役所などが発展していますけど、一切の傷を避けて生きることは不可能です。
この場合のてぃ先生が、何をしに行くか?というところですけど、うちの愚息(5)の例をあげます。彼はわりと恐れ知らずで、しかも畳の間から外に出ることを怒られることと知っていたので、みんなが居間にいる間、こっそり雨戸の鍵を開けて、公園へ遊びに行っていました。
バネ式で鍵は押せば開のですが、けっこう硬いです。あと、庭から玄関へまわり靴を取ると、家族にこっそり出たことがバレるので、靴下だけで脱走しました。
雨は降っていないですけど、車の往来があるし、何より悪い人に攫われたら後悔してもしきれません。
いなくなったことに気づいたとき、公園に行ったのか?という疑いはすぐにわきましたが、念の為、庭や近所を探して見つかるまでの5分程度、生きた心地がしませんでした。
数分で、そういう状況になります。
鍵を開けっ放しにしてしまったというヒヤリハットのみならず、幼児はどんどん知恵を付けていき、冒険心に溢れていて、親の前では知らないフリ、できないフリ、狡知だって身に付けます。
もちろん、おとなしい子、怖がりな子、様々なパーソナリティがあるので必ず脱走するというものでもないでしょうが、てぃ先生のいう「誰にでも起こり得ること」というのは、保育士ならではで、正鵠を射ていると感じます。
さて、そんな意見に密かに衝撃を受けた後、数日経って、近所の奥様どうしで、今度は職場の話になりました。
そのうちの一人が職場で嫌がらせを受けているという話は時々聞いていて、嫌がらせをする人が同一人物かはわからないのですが、どうも私には聞いているうちに
大した話ではない
と、思うようになってきてしまった。
と、言うのも、たとえば初めはバツイチということで共感があったところまでは良いのですけど、その人の離婚原因が
「ネットゲームにハマって、そのことで旦那さんに文句を言われたのが嫌だった。私は旦那に好きなようにさせていて、文句を言ったことなどないのに」
もちろん、それだけが原因ではないと思うんですけど、話を聞くうちに、その夫婦に、話し合いのステージがあんまりないような気がしてきたんです。
すくなくとも聞いているうちでは、無いです。
離婚をあえてひとつの事件にたとえると、事件には被害者と加害者が必要です。事件にしないためには、加害者にならないことも大事ですが、被害者にならないことも同じくらい大事です。
実母についても常づね感じたことなのですが、いちばん身近なはずの配偶者に、自分を晒し意見を言うことは、そんなに難しいことだろうか?
主婦のネットゲームがダメっていうのじゃないんです。でも、私はこうしたから旦那さんもこうある「べき」を、旦那さんに察してもらうのは、旦那さんサイドから考えるとほぼ不可能だし、旦那さんは奥さんがネットゲームにハマるのが嫌、と、「意思表示」しているわけですから、結局離婚に至るかもしれたいですけど、そこが話し合いのポイントなんじゃないだろうか??
よそのご家庭というだけでなく、過去の問題なので、私がそれを指摘することは永遠にありませんが、未解決の問題をそのままにしてきた思考回路というのは、いつまでもそのままです。
凸凹育児について聞かれるぶんにはこたえていたのですが、どうも、ピントが外れているというか、今の悩みは、「療育手帳取得が放課後デイサービスの利用日数上限にプラスになるのか?この疑問について、療育の先生と就学コーディネーターで言っていることが違うので、ちゃんと確認しなくてはいけない」ということなんですけど、悪い言い方で申し訳ないのですが、悩みがある、ぐらいのぼかし方でお話しすると、「母の心構え」みたいな精神論でかえってくるんですね・・・!
みんな同じよ、的な。
それに対して、(うん、良いこと言いたいんだね)みたいな忖度。
不毛ーー!!!と、心の中で叫びまくっています。そこまでの仲ではないし、こちらが我慢できないほど踏み込んでもこないから、あくまでうっすら積雪するかのごとく、その時だけ、もやもやが溜まる程度ですが。
なんとなく、なんですけど、彼女は「何もしていないのに、嫌われる」ことが時々あるんじゃないかと思うのです。
もちろん私も、人当たりの良い方ではないし、ボーッとしていますので嫌われることもあるのですが、たまに我を強いところを見せると「見直したぞ」と言われることもままあります。
見損なわれる真似もしてねえよ、と、思うのですが。
たぶん彼女は、人に優しくしようとしているし、嘘もつかないように、傷付けないように、振る舞っていると思うんですけど、自分のキャパシティと理想の自分が釣り合っていないと思うんですね。
と、いうのは先日、彼女がコロナで自宅療養だったと言っていたので、ラインでお見舞いのことばだけ返したのですが、そのときに、職場の人間に嫌味を言われた、と。
その嫌味のことばというのが
「息子さんも1月に感染していたし、君ンとこは、よくかかるね」
だったのです。
20年お勤めしている職場で、これはまだ「嫌味」として気にするレベルのことばなのだろうか。
悩んでしまった。
確かに酷いような気もしますが、これくらいの事だったら、無神経な人なら嫌味のつもりなく言うと思ったんですね。
数年前、育児のための時短勤務により、早く退勤する私は、上司に
「早く帰れていいな」
と言われたことがあります。
その上司の性格的に、悪気がないのを7ー8割とみて、それでもイラッとしたことを当時アカウントを持っていたアメブロにアップすると、アメトピに取り上げられ、「その上司は最悪!」というレスポンスが多くありました。
軽い話題として取り上げたのを、被害報告みたいは取り上げ方をされて、かえって罪悪感が湧きました。
けれど、後日「上司は悪い人ではないです」というブログを載せても、サーッと潮がひいたようになんの反応もない。
思えば、あのときから「ブログなんて、どうせ誰も真面目に読みやしないんだから」と、世間ズレした経験則が加速したような気がします。うふふ。
ただ、こちらも職場での立場が出きてきた以上、上司の性格を私はわかっているから、では、終われません。
今後女性社員が入社したときに、万一つまらないハラスメントで上司が加害者になれば、被害は社内全体に及びます。
地味にハラスメント対策を訴え続けることにより、窓口ができて、今ではその上司は、必要以上に気にするようになってしまい、ちょっと不憫(過渡期の被害者)にも感じられますが、まあ良いことだと思います。
ハラスメントのガイドラインは、新人さんに、住んでいるところはおろか、兄弟姉妹の有無を聞くのもNGというものがあります。
これは、新入社員というより、それで雇用を決めてはいけないというパワハラに属するものと思います。いくら根暗の私でも、家族のことも兄弟のことも聞かれたくないと思うほどひねくれてはいませんし(諸事情により、過去の交流から当たり障りのないエピソードを選ぶことにはなりますが)、兄弟姉妹のことはおろか、地元の話も聞いてはいけないとなると、どうやって仲良くなればよいのかわかりません。
話を戻しますと
「あなたの家族はコロナによくかかるね」は、嫌味なのだろうか。
嫌味といえば嫌味なんですけど、職場でそういったことがある場合、なるべく早く相談窓口に言ったほうがいいんですね。
ハッキリいって、この一言が重大時とかパワハラ処罰になる可能性はまず無いです。
厳しく考えて「人事部長からその人に注意してもらいます」程度です。
それでも相談窓口へ、というのは、しばらく辞めるつもりのない職場なら、長い目で見て、職場環境をよくするための事例にしたほうが良いからです。
自分を被害者にとどめてはいけません。