隣のネズミ-6
水島さんの隣人は、一体何を考えているのか?
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隣に越してきた水島さんを初めて見たとき、地味な人だと思った。前髪をセンターで分けて、髪を一つに縛っている。小学生低学年くらいの男の子がいて、「大変だから」で、オシャレの優先順位が低いらしい。そういう人を見ると、子供好きながら自分の選択肢は正解だと再認識せざるを得ない。オシャレする間もなく、見た目から疲れているのに、子育てが良いと言っている女性は、やせ我慢しているようにしか思えない。
何歳か聞いただけなのに、応えない子ども。それを注意する素振りも見せない母親の水島さん。正直、こういう大人が育てるこういう子供が、将来世の中に増えていくのかと思うと、心配になる。
どうして子育てに責任持てないのに、一時期の衝動に流されるのかしら。けれど、これは水島さんに限ったことでは無いから、目の前の彼女を責めるのは気の毒のような気がした。
そうやって気遣ったにも関わらず、水島さんに「子供はいないのか」と聞かれた。すぐに「子供がいないヤツに、子育てを語る筋合いは無い」と思われているんだ、と分かった。
「どうして?」
と聞き返すと、水島さんは口籠った。やっぱりね。最近の若い人は、マニュアル以外に気遣いが無いし、当たり前に育つはずの想像力もない。小学生の時から携帯やスマホを持たされていた人間はしょうもなくなるって、生きている証拠みたいな人間が、今はたくさんいる。
夜勤の旦那が帰るまでに、夕飯を作っておかないと。FMのラジオを聞いて、つぶやき投稿をしているうちに、ささくれだった気分は落ち着いてきた。
最近はおかしな人が増えた。SNSにのめり込んで、なんでも投稿するのに、常識がない。街を歩くだけで、ただ買い物したいだけなのに、語いが少なくて話が通じなかったり、自転車の危険運転を注意しても無視したりする。大人へのリスペクトが足りない。
水島さんに限ったことでは無いから、それだけで彼女に苦手意識を持つのも気の毒だと思った。彼女は私が苦手な、仕事に育児に、と、周りを振り回すようなエネルギーは感じなかったけど、悪い意味で独特な雰囲気があった。
こちらの粗を探すために虎視眈々、といったある種のいやらしさ。フォロワーさんと待ち合わせをしているとき、偶然水島さんと出会ったのだけど、挨拶の後も彼女はこちらを訝しげ伺いなかなか離れようとしなかった。引っ越しの挨拶では、失礼なことを聞いてすぐ、部屋の中へ引っ込んだと言うのに。
水島さんは、若いというほどの年齢デは無さそうだけど、今後のためにも、他人にとって自分の態度がどういう意味を持つか自覚しておいた方が良いんじゃないか。
フォロワーさんから「産めハラ」ということばをいただいたので、自治会に投書することにした。記名式だが、マンション内でトラブルが起きたとき、第三者として、管理会社かその下部組織である自治会の会長が間に入り、当事者同士の喧嘩にならないよう配慮される。私も、若い人の屁理屈を聞くのは嫌だったので、緩衝材になってくれる人がいるこの仕組みは、ありがたい。
自治会長は、この「産めハラ」案件を、次回の自治会合で取り上げる、と、約束してくれた。
それ以外でも、発達障害らしい息子さんのことが気がかりで、たしかつぶやきアプリのフォロワーさんの中には幼稚園教諭がいたことを思い出して、いろいろ話を聞いた。すぐに試せそうなことをいろいろアドバイスしたが、暖簾に腕押しというか、やはり反応が鈍い。「そうですね」と言うわりに実践している様子はなく、なぜだかこちらを小馬鹿にしたような、ニヤニヤ笑いをするだけ。
子供への声掛けは、なるべく優しく、と言ったけど、ベランダを開け放していると、たまにキツく怒鳴りつける声が響いてくる。
それだけの余裕が持てない、ということは無いだろう。水島さんのうちに子供は一人だし旦那さんも子育てに協力的らしいけど、二人以上の子供たちをワンオペで育てる母親は、世の中にたくさんいる。要は彼女の心の持ち様に問題があるのだ。
一階の集会室に続く廊下は、そのままマンション敷地内の公園に続いていて、植え込みにはツバキがある。夜露に濡れながら花を咲かせている姿を可愛いと感じながら、集会室に入った。
万が一、怒り出したらどうしよう、と、ドキドキしていたが、「産めハラ」の件を聞かされた水島さんの反応は鈍かった。自分のことと分からなかったか、自分のことと分かって憮然としているのか。最近の若い人は、想像力に欠けるので、もしかしたら本当に全く自覚がないのかも知れない。けれど、水島さんの人生がこの先どうなろうと私の知ったことでは無いから、この件をこれ以上深追いふるのは止めておこうと思った。
他人からは、子供がいないというだけで、子供嫌いと邪推されたり、うがった目で見られることも多かったが、私は自分に満足していた。何かとストレスの多い世の中で、自己顕示欲の化け物のような若い人が多い中、仕事以外はてんでダメな子供のような旦那を支え、自分の機嫌を自分で取ることができるのだ。
ただ子供を育てているというだけで、上から目線の人はたくさんいるけれど、そのわりに「子育て上手」な人は少ない。SNSで見せるところだけ華やかに気合を入れたり、早くからタブレットを与えるわりに、たまの外食でもお金を出し渋り子供に我慢を強いる。自分で望んだ子供のはずで、余計な物は与えるのに、我慢を強いるのは自己都合。常々疑問だったが、やはり水島さんも似たような感覚だった。こんなんで、日本は本当に大丈夫かと、不安になる。
自治会で、正田ひろ子さんと言う人と仲良くなった。彼女は気の弱いところがある人だけど、身の上話をするうち「自分の意見をハッキリ言える那智子さんはカッコいい!」と言ってくれた。
水島さんの事でも意見があった。今時の若い人がだらしないこともそうだし、彼女への違和感。腰が低いように見せているけれど、私達のような先達に対して、素直に話を聞くということはなく、ただあしらっている、というだけの態度が透けて見える。
夏に「高瀬さん」という男性を連れて仲良く談笑しながら集会室に入ってきたときには、驚いた。確か、水島さんから「旦那はあんまり気が利かない」と言っていたはずだけど、こうして集会室に来ている間、手前の旦那は子供の面倒を見ているはずなのに。あの地味な格好で男好き?
高瀬さんから話を聞くと、彼はシングルファザーで、どうやら話を聞いてくれる人に、餓えていたらしい。高瀬さんは、排水管の詰まりとか、ホームルーターなどの電気系に詳しく、いろいろ相談に乗ってくれた。その代わり、私と正田さんで話を聞いてあげたけど、どうやら高瀬さんも、水島さんと大して変わらないことが分かってきた。
奥さんとはもう別れて一年以上経っているのに、「戻ってきてほしいと思うことがある」とか、いつまでも過去を引きずっていて女々しい。正田さんも、首を傾げ始めていた。
「私には、別れた夫に未練を感じる余裕すら無かったんですけどね」
話を聞くと、アニメが好きで美少女キャラのアクリルキーホルダーを年甲斐も無くバッグに付けていたり、理解できない感覚も多かった。身の上が気の毒だからと根気強く話を聞き、何度も慰めたが、高瀬さんは強く変わる兆しを見せなかった。それどころか、「水島さんは、知的でとても優しくて、ちょっとだけ妻に似ている」などと、気持ちが悪くて聞いていられないようなことを言い始めた。
母親は娘に「ユリア」なんてキラキラネームを付けるような女だったはずだ。それが知的という感覚も分からないし、水島さんを知的と思ったこともない。そもそも彼女は既婚者だ。そんなことを私に聞かせて、高瀬さんは何がしたいんだろうか?一風変わったようなことを言って、同情を引こうとしたり、夜の中構ってちゃんが多すぎる。
メッセージアプリで「いい加減にしなさい」とキツめに言うと、それ以降やり取りは無くなったし、いつの間にか自治会を辞めていた。
昭和産まれの人間より、今の人達の心が弱く幼いのは、どうしょうもない事なんだろうか。