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【小説】ニゲルと非顕在ディストピア-1
あけましておめでとうございます。
身内の体調不良で、しっとりとした気分ですが、本年も頑張っていこうと思います。
中編小説を途中まで公開しようという企画です。本年もよろしくお願いいたします
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何年か経てみると、ニゲルはその時、本当に姉と遊んでいたのか、それともただ見ていただけか、はたまた、侍女から聞いた話を夢想し、まるでそれを見ていたかのように錯覚しているだけか、分からなくなった。
ともかく彼は、姉のやり方が気に食わなかった。幼少の頃から見目麗しかったパープラは、遊びと称して貴族の少年たちに次々と求婚させ、思わせぶりな態度を取る。競争意識を駆り立てられた少年たちは、誰をいちばん愛しているか、順位を付けてほしいと姉にせがむ。けれど彼女は「みんな大好き。みんな、いちばん」と言って遊びは終わる。
有無を言わさぬ笑顔に圧倒され、姉に嫌われたくない少年たちは、それ以上追求しない。是が非でも他の者より頭一つ抜けた印象を、姉に抱かせようと思うのなら、彼女に興味のないようなフリをすれば良かった。たとえ本心は違っても。当時の自分には、姉を独占したいと願う気持ちが少しでもあったのだろうか。姉や少年たちより、もっと幼いニゲルは、「くだらない」と言い放ち、ウィリデの元に走った。
早熟のニゲルは、ただ姉への不満を言うのではなく、理路整然とウィリデに問うた。
「全員を一様に愛しているなんて、おかしいよ。それは、誰のことも愛していないのと、同じことなんだ。なぜ、自分の想いをまともに受け取らない人を愛せるのか、僕には分からない」
ウィリデは言った。
「そうだね」
恬淡とした調子が気に入らなくて、幼い頃のニゲルは彼女とよく喧嘩をした。というか、いつだってニゲルの方から突っかかり、議論に乗らないのを姑息だと罵り、気まずくなって避けるのを繰り返していただけなのだが。
「あの男の子たちは、みんな他に婚約者がいるんだ。パープラだって、誰からもいちばんに愛されちゃいないんだ。パープラは」
可哀想だ、ということばを、思わず呑み込んだ。それは、いくら身内という気安さから生じた愚痴でも、あまりに侮辱的だと感じた。
「そうだね、パープラは可哀想だ。孤独な人だ」
ウィリデがニゲルの心を読んだかのようなので、彼は驚いた。
「うん。けど、だから姉さんは順番を決めれば良かったんだ。みんなに好かれようとしないで、ね?」
「どうだろう?パープラは本当に順番を決められなかったかもしれない」
「だから、その、てきとうに・・・」
「別に同率一位はルール違反じゃない遊びの話なんだろう?つまり、それはパープラの言う通り、みんながいちばんで、君の言う通り、みんなにとってもパープラは特別じゃなかったんだよ」
ニゲルはサッと青ざめた。パープラの愚痴を言いに来たはずが、いつの間にか彼女を庇うためのことばを、必死に考えていた。姉もそうだが、ウィリデは決して嘘をつかなかった。つまり彼女は本気で、パープラを可哀想だと思っているのだ。そのことがニゲルに本人も予想だにしないショックを与えた。
「愛とはそういうものだよ」
ウィリデは言った。
「なにが?」
「愛は残酷なものだ。パープラは、特別な相手を作らないと、自分の意思で決めたわけじゃないだろう。この人を愛すると決心しても、意思に裏切られることがある。時間に裏切られることがある。誰かを愛せば、その分いつも不安に付きまとわれる」
「じゃあウィリデは、誰も愛さないのが正しいというの?」
「さあ?」
「姉さんにだって、いつかは良い人ができるかも知れないよ」
「私の考えでは、愛は花のようなもので、正義は剣だ。正義であり愛でもある感情というのを、私は知らない」
「姉さんの花は、誰にも受け取ってもらえないから、可哀想だというの?」
「誰にも受け取ってもらえないなんて、ありはしないよ。眼の前で打ち捨てるのだって、一度受け取らなければ出来ないのだから」
「受け取ってもらっていないのと、同じことじゃないか」
「愛は、渡すか渡さないか、このどちらかしかない。「返礼」を求めるのは、かくあるべきという正義か、もしくは気乗りせぬ相手に、連理の枝や比翼の鳥といった共同芸術を強いるようなものだ」
「ウィリデの中にある愛は、なんだかとても悲しいものみたいだ。誰かを愛したことはないの?」
「もちろんあるよ。私は君を愛している。我が子のように」
そう言われて、ニゲルはさほど嬉しくもなかったのだが、悪い気はしなかった。きっと、彼女が愛する者も、パープラと同じように、ニゲルだけでは無いからだろう。
「ところで、君はどうもパープラの愛の在り方に不満があるようだけれど、それはなぜ?弟の自分が特別でないことが、気に入らないのかい?」
「まさか、そんなことないよ」
ウィリデにからかわれ、ニゲルは唇を尖らしたが、そういえば何を不満に思ったのか、ハッキリとしたことばに出来ない。
「何も持っていないように見えても、無辺際の空間にいても、そこに花があり、望楼から月が臨めれば幸せだ」
「・・・姉さんは頑固で意地っ張りだ。寂しいのに寂しいって言わない。そういうのがちょっと嫌なんだ」
ウィリデが躊躇いもせず哄笑するので、ニゲルはカッとなってウィリデを小突いた。
「君とパープラはよく似ている。やっぱり姉弟だね」
そう言って、ウィリデは一陣の風が拭く間に樺の木肌に覆われ、眠りに就いた。