体の中に耀る月-17
三連休はいかがお過ごしですか?
私は、ミドサーらしく、優雅に北浜五感のサロンでケーキをいただいてきましたのよ。
もちろん、家では、息子のお世話係を主人に移管するべく、マダム流説得がありましてよ。
優雅にみえる白鳥も、水面下では必死に足を漕いでいるものですの。
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「確かに反響定位に近い何かだとは思う。けど、アツシのそれは異常だよ。普通盲の人だって、訓練しなくちゃ反響定位は使えない。それに、何よりアツシは反響を拾うために必要な吸着音を出していない。イルカは、メロンという器官で音を出し、顎で反響を関知しているらしいけど、アツシはどうなってるんだろうね・・・?いろいろ考えちゃうんだよね。私が思うに、学者垂涎のレアな被検体だと思う。悪用する事もできそうだし、アツシに興味を抱く人は、学会に留まらない。無理矢理誘拐して、調べたくなる人もいると思う。あっちこっちで危ない目にあって、ようやく保護という名目で、合法的に拉致される。各国で平等に研究するために、有識者が議論する。『取り扱い方法』が決まるので、アツシは軟禁状態。ふふふ。ネットって便利だから、私がリークしたら、あっという間に広められるよ。面白そうだね。アツシは嫌だろうけど」
睦の顔がみるみる蒼白になった。
「騙したな」
「うん」
「脅したってダメだ」
「どうかな?ただの脅しで済めば良いけどね」
睦は、救いを求めるように、傍らの南戸を見た。南戸は、顔をひきつらせているだけで、何も言わない。分かった。これはやはり、みだりに知られてはいけない特殊能力なのだ。睦は悟った。
「言うことを聞いてくれたら、黙っててあげる。それに、アツシの秘密を守るのに、協力してあげる。そこのおデブさんより、私は役に立つよ。家宅侵入なんて言っても、本来私のものを取り返すだけだよ。人生がしっちゃかめっちゃかになるより、ずっとマシじゃない?」
畳み掛ける。
「お願いじゃなくて、脅迫だ」
「どちらでも。イエス以外の選択肢がないことだけ、理解してもらえれば」
コードにノーはあり得ない。
「わかった、わかったよ。交換条件だ」
「なに」
「南戸のこと、あんまりバカにするなよ」
「良いよ」
春はほくそ笑んだ。俊之は勿体ない事をした。こんなに素直で扱いやすい「探査機」を、自分から手離してしまった。
春が目的を達して去ろうとすると、南戸が口を開いた。
「僕だって、僕だって、お前の秘密を知ってる‥‥」
春の心臓が飛び上がった。なんだって?戦闘モード。南戸を睨む。落ち着いて、単なるハッタリかも知れない。
「ヒミツって何を?」
「お前が、ここで暴露されたら、嫌なことだよ」
南戸が知っている筈がない。しかしどうだろうか。春の援助交際を、俊之は「たまたま」見ていた。それなら南戸も「たまたま」見ていたとしても、何らおかしな事はない。しかし虚勢かも知れない。あるいは「授業中寝ているところを見た」とか、どうでも良い事をかくも大きな秘密を知り得たりと勘違いしているだけかも知れない。南戸が本当に春の秘密を知っているか、問い詰めたかったが、それは手前で墓穴を掘ることのように思えた。
とりあえず相槌を打つ。
「・・・それで私に何をして欲しいの」
春は言った。
「僕も一緒に行く」
「どこに」
「俊之君の家」
「‥‥」
こいつの睦に対する忠誠心はなんだろう。まるで下僕だ。まあ、良いだろうと、春は頷いた。いかにも鈍そうだが、勘は鋭いし居ないよりマシかも。
俊之は自暴自棄になっていた。彼が引っ越すことになって、春が安堵したのも束の間、俊之は連日のように、春に電話をかけてきた。「俺はもうダメだ」とか「どうして俺ばっかり」とか、聞くに耐えない、愚痴や戯れ言。職員室の一件では、「春だけ難を逃れた」「裏切り者」だと罵られた。春は、巻き込まれるのはごめんだ、と言ったが、あまりぞんざいな物言いをすると、「バラすぞ」と脅される。援助交際の写真である。禿頭の親爺とホテルに入っていくところ。春は、母親を亡くす直前の、疲弊しやつれた姿だが、彼女だとハッキリ分かる。一枚あればいくらでも複製できる。プリントアウトされたものと、デジタルデータ、全てを根絶しなければならない。俊之がどれだけバックアップを取っているか分からないので、春は恐怖していた。
とうとう俊之は、写真を盾に「処女じゃないなら良いだろう」と要求してきた。 春が黙ると、一度は「冗談だ」とことばを濁したが、徐々に「冗談」では無くなってきた。春は、俊之を殺そうかと真剣に計画を練ったが、やはり殺人となると、躊躇がある。足が付かないようにするのも難しい。
俊之の部屋を荒らすだけなら、バレても軽犯罪で済む。ついでに、俊之の秘密でも探して持ち帰れば、それをカードに、二度と彼の言うことを聞かずに済む。
春が見たところでは、睦の能力は未知数で過信は禁物である。だが、スケープゴートにしかり、頭数にしかり、一人よりは良い。
春は、人間の「身辺調査」などやったことがない。ネットを利用すれば、ある程度は容易く情報が集められるが、問題はその確度である。ただでさえ各々が嘘吐きの坩堝である人間が、増長して膨張してネットは嘘の大海になる。
かと言って、足で情報を集めようとすると、目立つ。ネットでなら姿を消していられても、現実に素行の怪しい異分子がいれば、物言わずとも、人間の警戒心は高まる。春は、自身にITの非凡な才能を見出だしてはいたが、訓練もなく探偵や泥棒じみた事が上手にできるとは思っていなかった。
その点で睦は有能だった。春は、まず、睦に「俊之のスマホと自宅の鍵」の場所を聞いた。春に強制されて、しぶしぶではあったものの、ただ俊之を遠くから見つめるだけで、「スマホは、鞄の第二ポケット、鍵はスラックスの左のポケットだ」と、言い当てた。ここ数日ずっと確かめていたから、間違いないと言う。無論、春に真偽は分からない。
自白したとは言え、未だに睦が反響定位を使っているか、疑わしい。大いなるまぐれかも知れない。何か別のトリックかも知れない。もっと観察する必要があった。やはり睦は、反響を拾うために必要な「音」を出していない。試しに春の鞄の中の物や、握った拳に入れた物が何か、当てさせてみた。睦は、これもやはり「実験動物のようだ」と嫌気したが、言い当てた。
ただし、形は分かっても、色は分からないようだ。超能力も疑ってみたが、超能力は、つまり「説明の付かない何か」だ。睦のように、分かる事と分からない事の線引きがハッキリしている能力は、観察を続けていればその原理が分かるような気がした。見方を変えて、春は、「今私が何を考えているか分かる?」と聞いてみたが、返事は「知るか」だった。