概念としての夏
「【速報】関東甲信が梅雨明け
史上最も早く最短で 九州南部と東海も」
ぼーっと眺めていたスマホに1件の通知が届いた。
どうやら梅雨が終わったらしい。
今年は全然雨降ってないような気もするな、雨だと出社するのも億劫だし嬉しいけどもう夏がくるのか、今年はどうやって乗り切ろう、高温休暇とかできないかな。
そんなことくだらない事を考えながらふと車窓に目をやった。
青々と茂る木々、雑然と立ち並ぶビル。
まるでアスファルトからジリジリと音がするほどに降り注ぐ日差し。
いつも通りのなんてことないただの風景が今日は何故かキラキラして見えた。
僕は夏が嫌いだ。
汗っかきだし、虫は苦手だし、日焼けはしたくないし。
ゴールデンウィークが終わり、"五月病"という謎の病を患ったと思えば、瞬く間に訪れる梅雨。
降り止まない雨と嫌気が刺すほどの湿度を乗り越えた先に堂々と陽気な顔でやってくる、そんな空気の読めないところも嫌いだ。
もし悪魔が目の前に現れて、お前の10年を貰う代わりに夏を無くしてやるがどうする?と囁いてきたら僕は迷わず首を縦に降る。
それ程までに、嫌いだ。
そんな夏が目の前で繰り広げられているにも関わらず、何故かキラキラして見えた。
不思議だなと思いつつもひとまず、「夏」についてもう少し考えてみることにした。
夏祭りに花火大会、海の家にBBQ。
頭の中の「夏」はどれも楽しそうに思えた。
茹だるような暑さとコンクリートの蜃気楼、頭の中に鳴り響く蝉の声。
そんな情景さえも美しく思えた。
僕はきっと、「概念としての夏」が好きなんだと思う。
「夏」という時間でこの世界を切り取って、額縁に入れたものを眺めているような。
ただその額縁に入ることは望んでいなくて、あくまで傍観者として存在していたい。
そんな世界に入ることへの憧れがあるかどうかは置いといて。
ふとそんなことを冷房の効いた電車内で思いながら、すっかり結露してぬるくなった麦茶を飲んだ。
ああ、やっぱり僕は夏が嫌いだ。