ベトナムで結婚式をしてやったこと全部だらだら解説する
おつかれさまです。motaです。
2019年のコロナ直前にベトナムに渡航してから付き合いはじめ、2年後に私がホーチミンで働きはじめてから同棲をしていた彼女と、この度結婚をしました。
というわけで、プランナーを用意せずに、夫婦で結婚式まで漕ぎ着けた怒涛だった半年間の様子を簡単に紹介します。
基本的にこの記事を参考にしましたので、詳細を知りたい方はこちら見てください。
婚姻届 ( ベトナム )
まず、ベトナム側で婚姻届を出す必要があります。ベトナム人側の実家(住民票) がある地域のUBND ( 市役所みたいなところ ) に行く必要があります。
ベトナムは住民票を移動させる文化がないみたいなので、これがかなり大変でした。
日本人側
戸籍謄本
パスポートのコピーと翻訳
婚姻要件具備証明書
独身証明書
健康診断書(精神科を含む)
ベトナム人側
出生証明書
健康診断書(精神科を含む)
これらをどうにかかき集めて、日本側の書類はベトナムの外務省で公証してもらいに行き、相手側の実家 (Quang Nam省 ) に提出しに行きました。
外国人との結婚の場合は、3週間後の決められた日に再度訪問する必要があり、これのために、普段はホーチミンで2人で住んでいるので、2往復もしました。お金が吹き飛びました笑
婚姻届 ( 日本側 )
そんで次は、日本側です。
日本側は、ベトナムにあるホーチミン領事館に提出しに行きます。
日本人側
戸籍謄本 ( 提出した2024年5月から提出の必要なくなりました )
婚姻届
ベトナム人側
出生届の原本かパスポートのコピーと翻訳
ベトナム側に提出した結婚証明書の原本とコピーと翻訳
ここで、ベトナム人側は 出生届の謄本でいいかと思って ( そもそも原本はそう持ち運べるものではないのもあり ) 謄本を持っていったんですが、日本大使館でダメと言われてしまいました。
原本はなくすと変えが効かないものなので、実家からホーチミンに親に送ってもらうなどして、移動させるのは怖いので、これを機に奥さんのパスポートを発行し、それを出生届の代わりとして提出しました。
これで、一旦法律上は婚姻関係になりました。
しかし、大変なのはここからです。
親への報告
Tetに日本に帰ったときに、親に結婚しますと報告をして、びっくりされて得な反応をされないまま、ベトナムに帰ってきて、上記の手続きをしていました。婚姻手続きが落ち着いたので次は、挙式です。なので、挙式の日を親に伝えるということをしました。
今年は辰年で、ベトナムでは辰年に子供を産むと縁起がいいというのがあるらしく、奥さんの実家周辺のすべての挙式場は、毎週土曜日が埋まっていて、たまたま7月14日 ( 海の日の連休の日曜日 ) の夜だけ空いていたので、うちの親に連絡をする前にとりあえずデポジットを払ってしまいました。
まぁー、事後的に報告したので慌ててました。
式の前撮り写真
奥さんと出会ったホイアンの街で、朝から前撮りをしたんですが、これがまぁ〜大変でした。
まず奥さんのメイクのために 朝4時に撮影スタジオに行く必要があったので、その前に起きて、急いでコンタクトをして、( 奥さんはそのとき人生初のコンタクトレンズだったので手こずりました ) 、そのままホイアンの撮影スタジオに行きました。ベトナムは撮影や結婚式はメガネはダメという文化らしいです。
結構よく頑張ってくれる撮影スタジオで、旦那さんがカメラマン、奥さんがメイクアップとカメラのアシスタントをする夫婦でやっている撮影屋さんでした。
結婚式の前撮りや、旅行客に帯同していい感じの写真を撮るのが専門のようです。ベトナムあるあるですが、勝手に宣伝素材にされたので、気になる方はFacebookに見にいってみてください笑
朝4時からメイクをして、朝6時から撮影を開始して、途中の衣装替えもあり、なんやかんや11時くらいまでやってました。汗だくでやばかったです。
招待状のデザイン
招待状は、封筒のデザインから、中に入れる招待カードのデザインまでオーダーメイドで行います。普通にホーチミンにあるそういうデザインをしてくれるお店でデザインし、発注しました。
新郎と新婦の実家と式場の地図をデザインで含めるのが慣例らしいんですが、そのデザインをすると追加費用がかかると言われたので、そのところだけ、Canvaを使って 私が自作しました 笑
疲れたのでダラット旅行
一旦落ち着いて疲れたので、ダラットへ新婚旅行をしたら、夏服しか持っていなかったので、寒すぎて風邪をひきました。
ダラット駅
いちご狩り ( 日本の品種がダラットでありまして、結構美味しかった )
ダラット焼肉を食べました
滝に行った
帰ってきたら、あとは引き出物を作ってやることをやるだけです。
( と思っていたら、全然まだまだやることがあって大変でした )
引き出物
ベトナムには引き出物という文化がないんですが、奥さんと今後キャンドルブンランドを作ろうということになっていろいろ進めているので、来場者の170人向けに170個のキャンドルを作って、テストマーケ的に配りました。
役所関係の届出をしたら一般販売する予定なので、ベトナム在住の方はよろしければインスタグラムのフォローをよろしくお願いします!
また、日本から来る友人にはベトナムのお土産を詰め込んだお土産boxも作って配りました。
ホイアンのお土産のココナッツクッキーと、ARCH CAFEというベトナムのインスタントコーヒーブランドを大量に箱買いして、中身を分けて、お土産Boxを作りましたね。
友人への声かけと手配
珍しく、というかなんというか、今回は相手の実家の近くで1度だけ挙式をやり、日本でもホーチミンでもやらないことにしました(お金がないのでね )
それもあり、日本からわざわざQuang Nam省のちょい田舎へ、地元の友人と共通の友人と職場の人を呼ばなければなりません。
ありがたいことに、会社の日本人はほぼ全員ホーチミンから来ていただき、退職した先輩も日本から来ていただき、地元の友人や、大学の友人、ホイアンでインターンをしたいた頃の同僚も集まっていただき、総勢35名ほどが来ていただけることになりました。
こうなってからがありがたいことに大変でした。
日本語が話せて、当日運営側的な動きができる日本人は私しかいませんから、新郎なんですが、いろいろ動き回りました笑
全員のホテルのリコメンドと、送迎バスの手配と、フライトのリコメンドを行って、、、
こんな図を作ったり、
ベトナムのお金の解説画像を作ったり、
こんな感じで、東京からダナンへのトランジットパターンをなるべく網羅した表を作成したり、
親には、両家顔合わせ会と挙式がどんな感じかという予習動画を送ったり
ご飯屋さんリストを作ったり
普段はベトナムの日系IT企業で働いている経験を活かし、奥さんと認識齟齬がないように送迎バスの手配を図にしたりもしました 笑
友人への手配関係での大きな反省点は、ベトジェットの遅延を舐めていた、ということが一番大きいです。
日本→ホーチミン→ダナン という乗り換えで、遅延しまくりで有名なベトジェットを友人におすすめしたこともあり、ホーチミンの入国審査がとんでもなく時間がかかることも忘れて、乗り換え時間を2-3時間でおすすめしたいせいで、友人たちはとんでもない目にあってしまいました。
帰りも、ダナン→ホーチミン→東京の便で、案の定のベトジェットの遅延と、出国審査の長蛇の列で、父親は超ギリギリで帰って行きました。
また、会社の先輩は度重なる遅延のせいで、なんと6時間以上遅延して、、ダナンに来たけど、式にいかずにホーチミンに戻る羽目になってしまったりもしました。
ここは反省ですね。ベトジェットは遅延前提で使わないと、、、
プロフィールムービーの編集
ある日、会社の同僚の方に「プロフィールムービーって作るの?」と聞かれまして、ベトナムにはあまりそういう文化がないので考えてもいなかったんですが、せっかくだし作ってみよう。ということで自作しました。
しかし仕事や他の準備で忙しく、結婚式の1週間前に、「明日から着手しよう〜」と思って寝たら、胃腸炎になり、なんやかんや式の3日前にプロフィールムービーを全力で仕上げました笑
式の直前に親に「小さい頃の写真てきとーに送って!!!」と連絡をしました笑 親もびっくりですよね。 え?今更?みたいな
学生の時に、動画編集の仕事をやっていたのでなんとかその頃を思い出して編集は間に合ったんですが、頑張って曲も選んで、タイミングも合わせていい感じに仕上げたのに、当日は ただの背景動画として永遠ループの動画素材として使われてしまい、音源も一切使われないという悲しいことが起きました 笑笑
仕方がないです。ちゃんと指示しなかった ( そんな時間がなかった ) のがミスですね。いい感じにやってくれるはずはないのに。
式の前日
親が前入りでホイアンに早めに来ていましたが、私は胃腸炎で寝込みながら動画制作をしていたもあり、ホイアン入りが遅れたので、先に実家に帰っていた奥さんに、親のホイアン観光の手伝いをしてもらいました。あと、式当日に通訳をしてくれることになったベトナム人の方にも同行してもらい、なんとかしてもらいました。
私は、ホーチミンの家から応援していました。リアルでは初対面なのによくやってくれました。感謝ですね
高校生の妹はスーツをオーダーメイドで作れたみたいだし、靴もオーダーメイドで作れたみたいだし、母親も雑貨が買えたみたいで、父親は自由にいろいろフラフラしていて、みんなベトナムを楽しめたようでよかったです。
母親は式の当日にアオザイを着たいというので、私と奥さんで私の母親のアオザイレンタルを手伝ったりして、てんやわんやバタバタでした。
当日 ( 両家顔合わせの儀式 )
両家顔合わせの儀式というのがあり、奥さんの実家のリビングをこのようにデコレーションするんですが、そういう業者にやってもらいました。
また当日の朝は、こういうなんか引き出物を持って奥さんの家に歩いて向かうんですが、この日のためにわざわざ会社の日本人の同僚の方 ( & 上司も ) がアオザイを仕立てて、この役をやってくれました。
( ありがとうございました )
当日 ( 挙式 )
朝の両家顔合わせの儀式をしたら、一旦ホテルに戻って、夕方に備えます。
友人や会社の方の送迎手配をなんとか間に合わせて、受付をして、、、、
受付は、奥さんのお姉さんと、自分の妹に手伝ってもらいました。
それから、式はこんな感じで、まずダンスする人がダンスをして、
ウェルカムムービーみたいな感じでスライドショーが流れて、
親戚のMC歴15年くらいのおじさんがいい感じにMCをしてくれて、
まぁいい感じに終わることができました。
事後処理
大勢の人を巻き込んだ結婚式はまだ終わりません。
来てくれた日本の友達と2次会をしたり、個々にダナンやホイアンの観光案内でバイクで連れ回したり、美味い店に連れていったり、翌日 ( 月曜日 ,海の日 ) はほとんどの友人と親が帰るので、ダナン空港で見送りをしたり、最後の飯にいったり、、、、土砂降りに降られながらもなんとか全員見届けて、、、みたいなことをやっていました。
そんで、まだ終わっちゃいません。
その後は、フエの母方の本家に行き、挨拶回りをしてました。数世代前に、フエの王朝の中で働いていたらしいので、土地がもらえたらしく、本家は内堀と外堀の間にありました。
というわけで、フエ空港からホーチミンへ帰ることが、、、できませんでした。夜10時発のフエ→SGNのベトジェットは、夜3時半まで遅延をして、結局ホーチミンの家に帰ったのは、次の日の朝6時。なんてことでしょう。。。
最後の最後までベトジェットに振り回された友人と私でした。
まとめ
ここまで怒涛の半年が終わり、とんでもなく疲れたので、時系列の図を作って疲れた気持ちを供養してこのnoteを締めたいと思います。
言語や、文化の違いもあり、引き出物やお土産Box , 送迎バスの手配などは奥さん側の文化ではやる必要はなく、無駄なコストという認識だったため、まぁまぁそれなりに何度もぶつかりましたが、その分価値観や認識のすり合わせを行なって、なんとか結婚式を無事に終えることができました。
結婚式はもう大変すぎてもうやりたくないですが、この経験を元に夫婦として結束を強めれたのかなぁと思いますし、これを読んでくださっている方がもしベトナムで結婚式をやるとなると、こういうことが起こるんだなぁと、参考にしていただければ幸いです。
今回の件で、プロジェクトマネジメント力も上がった気がするので、本業でも活かして行きたいと思っています笑
というわけで、今後もベトナムで楽しく生きていくので、気になる方はnoteのフォロー・いいねをよろしくお願いします。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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