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リボーンアート

9月、山形と宮城お互いの状況が落ち着いたすきを狙って石巻のリボーンアートフェスティバルへ行ってきた。本当は泊りがけでも良いくらいだけど、自重して日帰りを2回。往復たぶん12時間くらいクルマを走らせたんじゃないかな。フェスは前回2年前よりも少しだけこじんまりとしていた。
そんなリボーンで感じたことをちょっとだけ書き出してみる。

実は展示作品じゃないけど、女川で見た横倒しになった交番がけっこう印象に残っていて、「これもしかして地層に埋もれていく瞬間を見ているんじゃないか」と。2年前のリボーンから感じていた海沿いの防潮堤も街も、時間の流れが地層みたいに積み重なっているんじゃないかと。千人風呂に作られた水浸しの部屋から覗く時間の止まった瓦礫や薄汚れた救援物資のダンボール、その奥に見える時間の動き出した街の対比。手つかずの自然とは名ばかりに、時代の流れを写す浜辺とそこに立つ鹿。

土砂やガレキで嵩上げされた新しい街も、数億年とは言わないけど、もしかしたら数百年もしたら掘り返されたりするのかな?
その時なにが出てくるのだろうか。

流動性とはそのとおりで流れの激しい場所もあれば、時間の淀んでいる場所もあってうっかり過去に戻される場所もあったり。そんな複雑な時間の流れを感じた2日間でした。

ちなみに後から知ったけど女川駅前の一等地にいる怪しいアイツは「おにぎり仮面」とかいうらしい(作品名は「考えない人」)。
彼の台座になっているブツはみなさんご想像の通り彼自身の排便だそうで、しかもそこから植物まで生えているという。時間がたてばそうか草木も生えるのか。実は旧交番の周りにも草木が生えている。時間の経過とともにこの二人(二つ)はどんな運命をたどるのか、街と一緒に見守っていきたいななんて考えたりもした。まあ当のおにぎり仮面はそんなことも何も考えていないのだろうけど。

サウナ石巻の男湯と女湯を隔てる壁は言われると本当に防潮堤に見えてくるし、何だったら足場まで防潮堤に作り付けの階段や機械類に見えてくる。震災を乗り越え復活した大衆魚ギンザケの養殖の物語と、争いを超えてギンザケを象徴として残す道を選んだマトール川の物語。2年前と同様にカメラに収められなかった白い道と、なぜか段々と居心地が増している詩人の部屋。キワマリ荘の展示はなかったけど、2階の窓から鹿さんが顔をのぞかせていたのはラッキー。4年ぶりに訪問したアメダス。
来年、2年後までどんな時間が流れるのだろうか。

春会期の詳細はもちろんまだだけど、いろいろ忙しいだろうから行けるかどうかはよくわからない。雪もあるし。ただ、春には鮎川浜や島でも展示ができると良いなぁなんて。

脈略も無く書き連ねたけど、最後に携わったすべての関係者に感謝します。
ありがとうございました。