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亡き父親に対して、今思うこと。

日付が3月10日になるタイミングで、このnoteを書き始めた。

もし父親が生きていれば、今日で74歳の誕生日を迎える。

そして、父親と母親の結婚記念日でもある。

せっかくなので、今感じる思いを眠る前に綴りたくなった。

昨年の10月に父親が亡くなったので、もう少しで半年が経過しようとしている。

人間というものは残念な生き物で、あの時に感じたとてつもない悲しみは、時間とともに薄まってる。

普段は楽しく明るく過ごしているつもりですが、ふとしたときに父親のことを思い出す。

それは、子どもとお風呂に入っているとき、子どもと出かけたとき、子どもと話をしているときなど、父親として対応しているときに何故か思い出す。

父親は、私と違って寡黙で頑固者。

晩年、薬の副作用もあってか、親子で言い合いをするなんてこともよくあった。

正直なところ、父親と何かの話をして盛り上がった記憶もなく、覚えているのは中学校の部活(サッカー)で首を痛めて、少し離れた街にある腕利きの整形外科まで、毎日のように送り迎えしてくれたときに、ジュース(デカビタ)をいつも買ってくれたことぐらいだ。

別に仲が悪いとか、嫌いだとかいうわけではなく、単純に父親は口下手で、わかりやすく言うと「何もかも背中で覚えろ系」の人間だったということは間違いない。

父親から手を挙げられたのは、私が小学生のときに万引きをして見つかり、その日の夜に思いっきりぶん殴られたのが、最初で最後となりました。

実家から比較的近い位置に住んでいるので、会おうと思えばいつで会いに行けたのに、私は日々の仕事に追われて積極的に会いに行けたのは、父親が入退院を繰り返すようになってからだった。

普段から父親に会いたいとか1mmも思ったことがなかったのに、いざ父親がこの世から去るかもしれないと悟ってからは、今までの時間を埋めるかのように会いたくなり、毎日のように病院へお見舞いに行っていた。

その頃には、父親も自分から話をすることができる状態ではなく、簡単なジェスチャーや返事をすることぐらいになっていた。

父親と最期に話をしたのは、亡くなる日の前日の夜。

その日に限って母親と兄、妹と入れ違いになってしまい、どうやら父親と最期に話をしたのは私のようで、帰り際に私が「オトン、がんばんねんぞ!」と言った返事に、右腕を挙げていた姿を今でも鮮明に覚えています。

私の身長が比較的高めで、ガタイが良いのは(最近はメタボですがw)、父親のおかげだったりもします。

今でも我が子とお風呂に入ると、父親がしてくれていたルーティンをこなしている日々だ。

タオルにたっぷりの泡をつけ、頭から順番にゴシゴシと強めに体を洗う。

湯船に入ってタオルを浮かべ、風船を作って子どもたちを楽しませようとしているのも、背中を洗ってくれと息子にせがむのも、どうやら無意識に父親をトレースしているようだ。

元気なうちに、子どもや孫たちと一緒に旅行へ行こうと思っていたのですが、コロナのタイミングということもあり、家族みんなで行けなかったのが、何より心残りである。

先日、ふと実家の住所をGoogleマップに入れてみると、元気なころの父親の背中が映っていました。

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子どものころに見ていた背中より、少し小さくなってしまっているけど、私はこれからもこの背中をずっと追いかけていくでしょう。

もう少し長生きしてほしかったし、一度は腹をわって親子の会話をしてみたかったな。

そんなことを思いながら、亡き父の誕生日に思いをはせてみました。

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