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尾崎豊さんの命日の記事を拝見して思うこと

学生時代によく聞き、歌ったりもしました

しかし、その歌詞のままのようなガラスのない学校で過ごして

ほとんどいい思い出はなく、知ってるからとか、歌ってとか言われるまま今でも歌うことはありますが

とってもびみょうな感情をいだいてしまいます💦💦

そのころのことはおいておいて・・・


今考えると、確かに何のために生きてるのかわからないっていうことについては最近までそうでした

何のためにこんな面白くもなんともない本を読んでるんだとか、

この計算出来たらどうなの?とか

もちろんできれば面白いかもしれないし、いいところに入れるのかもしれないけど

だから何?クイズやパズルの本の方が景品あるから面白いくらい笑笑

遊んでれば楽しいし、ただただ時間を浪費していましたが、その次は

そこからだんだんと現代的な今だけ金だけ自分だけになっていきました

ところがところが、そう簡単にそんな思いがうまくいくことはなく

そうならない そうでない状況に正直うんざりしてました

わからない間にもういいやと思ってしまえばそこで終わっていたかもしれません


他国が7割以上なのに、日本人が半分以下な質問

「自分自身に満足している」「私は価値のある人間だと思う」

こうなってしまったのは恐らく戦後の教育のたまものなのかなと

ただ戻せばいいわけではなく、必要な学びもあったはずで

上手くいくとすぐに調子に乗る私が学ぶべきだったことが正にここに

自分自分のやりたいこととかやりがいとか楽しみとかって

それこそが、今だけ金だけ自分だけの価値観じゃないかなと

成長するたびに調子に乗るまさにその意味で学べということかもしれません。


そして戻るところは、まず先人への感謝なのかなと思います。

何万年も生きてきた我々のご先祖様からの生き方と

齟齬が起こってしまったわけで

それまではそうやって自分自分という生き方はほとんどなかったわけで

それで平和で幸せで神代の時代から何万年もずっと続いてきた

真逆を取り入れてそれはないよねと言って戻っていくのかな

感謝すれば恩返しもしくは恩送り、なんのためにという自分向きでなはい方向へ

今上手くいっていることと生きることは違う

尾崎豊さんの歌詞のとがったところはなくなってしまったり人生が変わってしまったかもしれませんが

命をかける仕事をしてくださったお父様に感謝し誇りに思い、先人に感謝すれば何のためになんて思いませんし、思えません。

その質問がおかしくない?

与えられた命に感謝して今を生きるだけ

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