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1,鏡よ鏡よ鏡さん世界で一番美しいのは・・・

2,私をこの鏡だと思って自らの振る舞いを映して・・・




どちらをご存知でしょうか?

私は小さい頃からず~っと1でした

2は数年前に初めて聞いてなるほど~

1は私きれいでしょ? 2は人の鏡となって素晴らしい行いをしてください

かつての私は鏡は自分がいけてるかどうかをただ見るもの 以上終了でした

ところがところがお天道様がみてるよな~んて話を聞いたことがあって

なにそれ~意味わかんないって、だれかに見られなきゃ別になにやっても思っていました

そして人を見てはどうしてこんなにできないんだ こんなこともできないんだ ダメダメだねって 全てを人のせいにして思って言って扱って生きてきました

ところがところが数年前、戦争に行って帰ってきた祖父がラッキーももちろんあるかもですが、実は助けられたんじゃないかということに気付き、

どうして人のために命がつかえるんだろう?ありがたいけどどういうことだろうと考えているときに、

実は神代の時代からずー~っとされていたことに衝撃を受け、この言葉こそが日本人がず~っとやってきたことなんだと気が付きました。

つまり

この鏡を私だと思っていつも見て自分の振る舞いを正してください。そしてかがみに映った自分のなかのわがまま(我=が)を払って、つまり「かがみ」から「が」を取り払って「かみ」の振る舞いをするというお話

表面的なことはもちろんですが、むしろ内面的なお話 生き方あり方のお話

そんなご先祖様のお話をずー~っとずー~っと何千年もしかすると何万年も人に言うのではなく自らが率先してくださっているのが126代の歴代天皇陛下で

そのお話の主語は天照大御神、聴いているのがニニギノミコト そして今も見えないところで人の世のために祈り、動き、生きてくださっている

それをありがたいありがたいとずー~っと見習ってやってきたのがご先祖様であり日本人であったということ

つまりお天道様が見ているよは   人を見て鏡だと思って自分の振る舞いを正すということ

誰が見ていなくても、場に対して感謝する、そこにゴミがあれば綺麗にする、あるものすべてに感謝する

そんな日本人の振る舞いを、スポーツ選手がやって感動されたりと実は今でも密かに残っている

人を見てダメ出ししている場合ではなくて、
自分がそもそもやってないか?
単なる自分のダメダメさを見てイラついているだけじゃないか?
思い込みで見てないか?
いい効果もあるんじゃないか?
自分がさせてるんじゃないか?
そして自らを正す。

そんな振る舞いが自らできることこそが、私の目指すパワースポット

見た人が自分の振る舞いを見直して、素晴らしい行いをしてくださるようになる

これこそが日本人が古来大切してきたことじゃないかなと思います。


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