友人に「共感力ないよね」と言われた話
友人と呼べる人はそんなに多くない。
特に社会人になってから出会った人の大半は、仕事仲間か、先輩後輩という関係が多い。
ちょっと話は逸れるが、先日娘に「ママって同僚っているの?」と聞かれたけど、同僚がいるような大きい会社で働いたことがないので、同僚という存在もいない。
社会人になってからできた友人といえば、好きなアーティストのファンクラブイベントで出会った人達と、ライフオーガナイザーという資格をとってから出会った人達の一部。
相手が私のことを友人と思ってるかは定かではない。だって聞いたことないから。でも、勝手に私は友人だと思ってるので、タイトルに友人としてみた。
その友人と、こないだサシトークをした。
彼女は自分独自の世界を持っていて、私とは全く違うところで生きている感じがする。でも、お互いの違いを批判したりしないので、喋っていて心地よいし楽しい。
その彼女が私に言った。
「わだっちってさ、共感力ないよね」
!!!!!!!!!!!!
「その代わり、理解力はあるけど」
今までぼんやりと感じていたことを言語化されて、本当にビックした。
共感力を求められるコミュニティに馴染めないのは、そのせいなのかと。例えば、ママ友コミュニティとかは本当に馴染めなくて、いつも浮いてしまう。結果的に、一歩引いて遠目に眺めるのが、お互いにとって平和なのだと気づいた。
私は住宅の設計を生業とする建築士なので、クライアントのライフスタイルを汲み取ってカタチにするのが仕事。
住宅には正解がないから、あらゆる妄想力を総動員して、オーダーメイドの設計をしている。間取りを考えるときは、そこでどんな生活が展開されるか脳内シミュレーションをするので、提案プランが仕上がるのにものすごく時間がかかる。
「よく、それだけバリエーションたくさんの間取りが思いつきますね」と、クライアントに言われたことがある。たぶん設計士なら、みんなできることで、私が特別なわけではない。住宅の設計は、敷地が変われば答えも変わるし、敷地が同じでもクライアントが変われば答えが変わる。
私は「共感力を磨いて設計士として成長していく」のだと思っていたけど、どうやら「理解力を磨き続けきた」らしい。
「共感力」じゃなくていいなら、今まで苦手意識を持っていた、自分と違う世代のクライアントの家の設計も怖くないな。
自分より一回り以上若い人達の生活スタイル。
シニアの人達が大切にしていること。
「共感力」は磨かなくても、仕事ができるのだと気づかせてもらった。
やっぱり、彼女との会話は面白い。
和田さや子
一級建築士×ライフオーガナイザー
web : 理想の家を見つける旅