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神道・神事・神話における考察の姿勢と着眼点(2)

神道の行動原理は「神拝詞」の祝詞に示されています。
 天照大神より続く先人より伝え受け継いだ神聖な尊い教えの通りに、「神様」「天皇陛下」を仰ぎ尊び、「直き正しき真心を持って」情報の送受や行動を起こすことで、「誠の道」を知り間違えることがなく、生活が営むことができ、繁栄し、世のため人のために尽くすことができるよう心掛けます。という内容を神前で祈り、宣言します。

 そして神様の恵みとは「祓給い浄め給え」「幸魂奇魂(神ながら) 守り給え幸え給え」です。 

過ちとは意図せず災禍の原因となることです。犯すとは悪意を持って災禍の原因を作ることです。 神道においては過ちは起きることが自然です。 なので過ちによって身に取り憑いた災禍の原因を取り除くことを「祓い」と言い、身に取り憑いた禍や、生じた災禍を取り除くことを「浄め」と言い、逐次普段の生活や神儀として行います。この行為によって心も体も清浄を保てるのです。 つまり「祓給い浄め給え」という祈りであり思念であり行動です。それらは神様の作用でもあるのです。 

「幸魂奇魂(神ながら) 守り給ひ幸へ給へ」は「幸魂(さきみたま)」「奇魂(くしみたま)」の解釈にはいろいろな説があります。 「幸魂奇魂」に関して出雲大社のコラムより抜粋しますと、

 『この幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)とは何なのでしょうか。サキミタマの〝サキ〟は花が咲く、先へ行く、伸び広がることに通じます。クシミタマの〝クシ〟は、櫛梳り束ねる、整えることに通じます。伸び繁茂し枝分かれして行こうとする力と整えようとする力。現代語で表せば私たちの心の働きの対義語、つまり感情と理性、自由と秩序、権利と義務、などと言うことが出来るでしょう。』 

つまり調和の御魂というのが一般的な解釈です。 あと、「幸魂・奇魂」≒「和魂(にぎみたま)」で和やかな心を保つ御魂、「神拝詞」で目標とする精神性や「饒速日命(にぎはやひのみこと)」など大和地方しいては日本全体を象徴する暗示も考えられます。 そして、「守り給ひ幸へ給へ」と自分や皆が大切にしているものをお守りください、そして幸せに栄えますように。と祈るのです。 また、「鎮魂詞」という名称で紹介されている祝詞でもあります。それが示す通り「荒魂」を鎮める祈りでもあります。

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