偏見ってのはありふれて溢れてるよねって話
偏見を持つことが悪い。というのはよく聞く話だなあと思う。確かに。とも思う。
でも、偏見がない人なんているか?とも思う。偏見って、例えばオタクに対する偏見、パリピに対する偏見、特定の人種に対する偏見、などなど、対ヒトが多いイメージだけど、実際はそうでもない。
本当に些細なところに偏見はある。このnoteを見てくださってる人の中には、先入観ってことでしかないんだからそりゃそうだろ、って感じの人もいるかも知れないのだけど、意外と、偏見を特別視して、私は偏見ないんですよ〜、って言うとか、そういう人がいる事も否定できない。なんたって自分がちょっとそうだった。自分は偏見そんなないなあ、とか思っていた。
何をきっかけに、偏見って転がってんな〜って思ったのかを言いたくて、こんな長い前フリをしてしまった。
私が、自分の偏見を発見したのは、スケジュール帳を見ていた時だった。
今の時期、色んな所で売っているから、結構じっくり見たりするんだけれど、全然いいなと思うのが見つからない。何件もお店を見て回って、やっと、おっ!と思うものがあったけど、残念なことに多機能すぎた。私には扱いきれない。月間だけ見れればそれでいい。持て余してしまう。
時間ごとに区切られたスケジュールページや、一日分の記入スペースがめちゃめちゃ多いページ。私はそんなに細かく書かないから要らない。
と、思っていた。
それが偏見だったのだ。
私は今まで他の人がどんな風に手帳を書いているのか知らなかった。ひょんな事から、Twitterで手帳を公開している人たちの画像を見た。
もう、ほんと、衝撃。
あきまくったスペースに可愛いマステやシール貼ってた。
時間割、って書いてあるらしいとこに上からマステ貼って、枠とか無視して超かわいくデコりつつも機能的に活用していた。
嘘でしょ!?と思った。誇張表現でも冗談でもなく、ホントにそう思った。私はフォーマットに沿って活用することしか頭になかったのに、そんな、え?そんな自由に?いいの?ってくらい自由に使われていた。自由。
私には自由のハードルが高かった。というか、知らなかった。そんな風に使ってもいいんだ、と思った。今まで何だったんだ私の人生。そのくらい思った。
これが偏見かあ。
私は無知だったんだなと思った。その広い世界を、のぞき穴からしか見れてなかった。扉を開けてなかったのか。偏見って、広い外を扉のちっさいのぞき穴から見た曖昧な印象なんだな。
そういう訳で、私の場合だけど、無知だから偏見って生まれるんだと学んだ。
きっと、私みたいに、外の世界の断片を知って自分のイメージと違った!となる遠回り型の人もいるだろうし、逆に、初めから外の存在に気づく人がいると思う。
こんな些細なところに偏見があるんだから、もう偏見だらけじゃん、と思ったら恐ろしくなった。視野を広げるしか、その恐ろしさと戦う方法はないんだろう。
視野ってどうやって広げるんだ。本か。本しか思いつかない所から視野の狭さが伺える。
急募:視野を広げる方法
このnoteを最後まで読んでくれた、心優しい誰かへ。もしあなたが視野を広げる方法を何かご存知だったら是非教えてください。よろしくお願いします。