セッション
『セッション』という映画を観ました。
先に結論を言うと、『凄い映画』。
あとでWikipediaを見て、あっそういうこと!?ってなったりもしたけど解釈が間違ってたとかでは無かったので感想を述べます。
ネタバレがあるので、前情報なしで観たい方は以下を読まないように!
個人的にはネタバレ無しで観た方が面白いと思います。
なお時系列順とかじゃなく私の所感が綴られているだけです!
あとこの記事には、あらすじとかは書いてないので、具体的に内容を知りたい場合は、それこそWikipediaを観ると分かりやすいと思います。
以下感想。
とんでもねえ。
とんでもねえよ、この映画。
なんて凄いんだ、という感想が先に出てくる。
そして私の語彙をかき集めた上で一言でいうと、
『音楽の化物を産む為に全てを費やすマッドサイエンティストの映画』です。
最強の化物を産むために試薬と実験を繰り返し遂に自身すら喰らわんとする最強の化物を前に、「遂に成った……」と歓喜するマッドサイエンティストです。
この映画観た人なら比喩の意味が伝わると思う。
未視聴の方に誤解なきように言うと、これはSFでもなんでもなくて、音楽が主題のドラマ映画です。
特撮とかCGが出る事はありません。あくまで比喩です。でも化物という言葉を取り下げるつもりは無いです。
あれを化物育成するマッドサイエンティストと言わずしてなんと言うのか。
主人公の青年アンドリューの描写の度に、対比するように教師のフレッチャーにスポットが当たるような心地で見ていたんですけど、
フレッチャー、音楽の悪魔に魂を売っているに違いない。知れば知るほど音楽の悪魔に魂を売ったとしか思えない。
偉大なる音楽家を生み出すことへの愛と執着が尋常ではない。
フレッチャーは、偉大なる音楽家を生み出すことだけが真であり願い。見る限り、他はどうでもいいとすら言える。偉大なる音楽家を生み出す為なら何だってする。ただし自分が信じた方法で、という感じ。
自分がもしされたら嫌だし絶対近づきたくないけど、彼自身が偉大なる音楽家の一人であることは間違いないと思う。
話の中盤くらい?に、フレッチャーが、元教え子のプロトランペッターの死を涙ながらに語る、というシーンがあり、その後大会にて、プロトランペッターの死因の交通事故と同じように、主人公のアンドリューが事故にあう。
あれの凄い所は、対比になっているというか、それすら乗り越えようとするアンドリューの執念。
プロトランペッターの話を彷彿とさせることで、彼の狂気と執念と飛躍(音楽への化物へ順調に変わっていっていること)、プロトランペッターすら超えるだろう事を予感させてる所だと思うんですよ。
まず事故で死ななかった事、大怪我してるのに大会の会場へ向かう事、だいぶ凄い。何故彼がそこまでしたのかは本編をご覧ください。
一気に話の終盤の話をするのですが、フレッチャーがアンドリューと二人で語り合うシーンでのセリフで「偉大な音楽家を生み出す為に並々ならぬ努力をしてきた」というような事を言うんですよね。
フレッチャーの言葉は狂気と熱を帯びていて、視聴者の私としては、常にどういう真意がそこにあるか探るように聞いていました。
その中で、そのシーンのそのセリフは、紛うことなきフレッチャーの本音だろうと感じました。
学校を首になった彼の真意をはかりかねるというか、妖しいというか、フレッチャーが本当はどこまで考えてわざとやっているのか?って中で、そこだけは本当なんだろうな、と。
所で。
教師を首になったの、フレッチャーはめちゃくちゃ腹立ってただろうなと思うんですよね。
アンドリューのせいみたいな所あるじゃないですか。事実、後々分かることですがフレッチャーはそれを知ってたわけなので、めちゃくちゃ怒ってそう。
というのも、職を失った事よりも、最高の土壌を失った事を怒っていそうじゃないですか?
こんな言い方したらあれですけど学校って場としては最高の実験場でしたよね。
音楽学校なので、ある一定のレベルまでは出来ている生徒たちが10や20じゃきかないくらいいる。更にその中から篩いをかけて精鋭を集める事ができる。
更に更に、毎年新しい人材(この場合フレッチャーにとっては正しく人『材』だと思われる)が補充される。
いい環境でしたね。
これでアンドリューが失敗に終わっていたとしたら、フレッチャーめちゃくちゃキレたままだろうな、とか思ったりしました。
でも。
アンドリューは『成った』ので。
最後のあのフレッチャーの笑みは歓喜だったでしょうし、あの笑みを見たら分かると思いますが、多分あれ、ぜーんぶどうでも良くなってますよ。
この為に全てがあった、って顔ですよ。
「教師職をクビ?HAHAHA大したことは無い、何せ私は成し遂げた、彼は成った、偉大なる音楽家に!」
くらい言うと思いますね。
偉大なる音楽家を産むために並々ならぬ努力を重ねて執念を燃やし続けた男、教師職を失うくらい鼻で笑っていそう。
アンドリューも音楽の化物と成った男なので、
なんなら数年後とかに活躍するアンドリューとフレッチャーが仲良くお茶でもする機会があったとしたら、
「君には色々とやられたよ、ははは」
「そうですね、でも先生だって酷かったじゃないですか、ははは」
「確かに。いや、必要だったし君は私の要求以上を出来るようになったじゃないか、ははは」
「またまた〜、ははは」
みたいなやり取りしててもおかしくない。
音楽の悪魔に魂売ってるからね、二人とも。
思えば、アンドリューは化け物になる過程が描かれていたので思考が分かるんですが、フレッチャーは始めからぶっちぎってるので、考えが読みにくかったんですが、「並々ならぬ努力をしてきた」の一言で理解出来ちゃうんですよね。
そう、彼が既に音楽の悪魔に魂売っぱらってることが。
本当に凄い映画でした。
化物に『成った』瞬間を見届けたフレッチャーは本当に幸せだった事でしょう。
アンドリューも、常人には見えない景色をあの時見られるようになって笑ったのでしょう。
セッションにおける音楽の『楽』って、
わーい楽しい!の『楽』じゃなくて、
( ゚∀ ゚)アハハハハハハハハハハハノ ヽノ ヽノ ヽ/ \/ \/ \
の『楽』ですよね。
狂気を越えた所にしかない場所に行ったもの達だけの『楽』です。
この、セッションという映画を評す時に誰もが狂気と口にする理由がよく分かりました。
狂気を描くってこういう事かと思いました。
始めから狂ってる男と、狂っていく男、みたいな話でしょうか。
まとめると一気にチープになりますね。もっといい表現が欲しいところ。
音楽をやる理由がある!と叫ばされるシーンありましたけど、憧れと才能だけじゃ辿り着けないんだなと思いました。
執着執念、鉛より重い感情引っ提げて走る、そういう話なんですよね。鉛より重い感情があるから、どんなに鉛より重い物が身体に負荷をかけようと走り続けるんだなと。
さて。
ここからは私が号泣しちゃったシーン話します。
唐突だね!
めちゃくちゃだと思うので読み飛ばして大丈夫です!
まず、大怪我しながらもアンドリューが会場入りした時私は目が潤みました。
そんでもって、意地でドラム叩き始める所で耐えられなくて嗚咽漏らしながら見てて、怪我のせいでバチ取り落として、でもなんとか拾って叩こうとするもダメで、フレッチャーに、お前は終わりだ、って言われた所なんかもうずっと泣きながら観てました。
なんかもうダメだった。堪えられなくて。
悲しくてとか共感してとか感動してとかじゃなくて、なんかもうよく分かんないけどめちゃくちゃ泣いて観てました。
それから最後のとこの、アンドリューが知らない曲をやらされ、一度舞台袖にはけて父と抱き締めあった後、彼は再び舞台上へ戻るじゃないですか。
その背中を見たら涙が溢れて来ました。
フレッチャーを無視してドラムを叩き始めるアンドリューが、隣のコントラバス奏者に鋭く、「合図する!」って言うところで私の涙腺が決壊。
コントラバス奏者が合図と共に入り、
畳み掛けるようにピアノが、トロンボーンやトランペットが、って所でもうおいおい泣きながら観てました。
なんであんなに泣いてたのか言語化が難しいんですけど、でも子供みたいにわんわん泣き出したい気持ちを抑えながら見届けました、音楽の化物の変成を。
この感情に相応しい名前がつけられるまでは保留にしますが、とにかく泣きました。
もうとにかくすんげえ映画でしたね、セッション。
是非見て欲しいです。
これを映画館で観に行けなかったの悔しいですね。
調べたら2014年公開で、9年も前だったんですね、この映画。
ずっと観たいなと思ってたら9年経ってた事実にも驚きを隠せない。
こんないい映画9年も寝かせてるんじゃないわよ私。
というわけで映画レビューでした。
今後も映画観たら、自分用の記録も兼ねて投稿していきたいと思います。
長い長い記事でしたが、
ここまで読んでくださりありがとうございました!
またね!