昭和の名残、我が家の様々なしきたりと、ゲ謎の水木への懐かしさ

ゲ謎観ました?
私は観た。そんで観た人の感想を見るに、水木の育ちの良さを感じるという話もチラホラ見られたので、ちょっと待って、と思ったからこの記事を書いています。

育ちがいいかどうかは正直断定出来ないけど、あの頃の人たちは礼儀作法に非常に厳しく育つ。
加えて、第一線のバリバリの営業マンで野心家の水木(初期描写段階)が、物凄く丁寧なのは当然の事かと思われる。


ここで私の家の話をする。
水木の立ち振る舞いに関して、少し関係があるなと思うからする。


親戚の家に行く時、そして行った時、皆はどうしているだろうか?
父の実家も母の実家もそうなのだが、まず、服装からチェックが入る。
絶対にジーパンはダメ。裸足もダメ。小綺麗な格好をすること。
行く時は相手方に電話をかけ、何時頃に到着予定です、と伝える。
それで、次。実際に訪問する時。
家族で家の前に行ったら、父が先頭に立つ。この時必ず外套を脱ぐ。まあこれは当然である。
ピンポンする。ピンポン付いてなかった時は(インターホンが付いてない時代があるのだ)、ごめんください、と失礼にならない程度の声で呼ぶ。
前もって時間を知らせてある為、相手方もスタンバイしている。聞こえたら出てくる。
鍵が開いていようとなかろうと、こちらから開けることは絶対ない。
相手が扉を開けてくれ、どうぞ、と入室を促し、父が、お邪魔します。と入る。子供たちと母も、お邪魔します、と続く。
最後の人が、静かに扉を閉める。場合によっては出迎えてくれた人が閉める。

で、ここからの話を人にすると、そんな事しなくない?って言われる。ていうかそこまでしなくない?って言われるんだが、
靴を脱ぐ、揃える、玄関先にて相手へ向かって正座し、お邪魔します、と手をついて頭を下げる。
相手も、座って頭を下げ、ようこそおいでくださいました、と頭を下げ、その後部屋へ入室。
仏壇に挨拶。
仏壇への挨拶を父がしている間に、邪魔にならない場所に荷物を置き外套を置き、私たち子供と母は、改めまして、こんにちは、お久しぶりです、など、今度は先程よりもしっかりした感じで座って手をついて、深々と頭を下げる。
この後すぐ寛ぐわけではもちろん無いが、さておき。

と、まあこんな様子。
これはあくまで来訪した際の礼儀作法であって、その後はつどつど、例えば足音荒く歩かない、畳のヘリや部屋の境は絶対に(絶対にである)踏まない、扉は静かに閉める、物音を喧しく立てない、寝転がらない(まあ当然といえばそうだ)、というのがある。


なので大学生および社会人になってめちゃくちゃびっくりしたよ!
音うるせえの!!なんでそんなデカい音立てて生活出来るんだよ!ってびっくりしたんだ、実は。本当にすまない。

ともかく、それで、水木の動きを振り返ってみよう。
見たらわかるんだけどマジで音静かに動く。
共感した。というか昭和の、うちの両親たちの実家の空気を、水木の佇まいからずっと感じていて、なんか凄く良かった。
用意された座布団に座らないのも、そういえば私もそうだったなと思った。
まず用意された段階では座らない。
用意された後に、どうぞ、と勧められるまでは座らない。
懐かしいな、って思いました。
水木は勧められてないので座れなかったんだろうし、ていうか書いてて思い出したが、頭を上げてくださいって言われてないから上げられなかったはず。
幼少期の記憶によれば、お久しぶりです、って深々頭下げてる間に、どうぞ頭を上げてくださいって言われるから上げてた。上げてくださいって言われると思ってるから言われた直後すぐ上げてし、段々なくなって勝手に上げるようになっちゃったけども。
で、あの時代だし何せ格上の他所の家、オマケに歓迎されてないとなったら頭なんて簡単に上げられないだろうな……。

他にも、自分の幼少期などを振り返ってて気づくことが幾つかあったのだが、
水木、マジで歓迎されてないんだなということ。
実感したのは長田家での、布団を持ってこさせますの後の話。
まああの狭さだし、いや色々仕方ないといえばそうなんだが、客人に布団を敷かせるってなかなかアレですよ、客人じゃなくなってるよ。
ご飯はくれてたけど。
あと、物音に関してなのだが、布団敷く時の動作をぜひ見て欲しい。
とても静かだと思う。
ドサドサ置かない。
凄く良かった。

育ちが良い悪いって、多分そういう些細な所から来ると思うのだが、昭和だと本当に徹底的に躾られるはずなので、あのくらい出来ないと多分、普通の人にすら、お前常識ねえぜってなる可能性がある、気をつけろ。


もしこれからゲ謎観に行くって人いたら、水木の立てる音にも注目して欲しいのと、育ちが良い悪い以前の、当時の人たちがどれだけ厳格に育つかというのを感じて欲しい。
平成初期生まれの私ですらそうやって育ってるので、昭和初期の東京育ちの水木が適当な躾で育ってるわけないんだよ。


ところで。
仕草で育ちの良さとかを感じてるのを見ると思う。
もう私が受けた躾は今は昔で、廃れてしまったんだなと。
私の育ちなんて別に良いわけじゃないけど、あれが日常の中にあった日々はもうないんだなあと。

うちの場合は育ちが云々じゃなくて単純に古臭かったんだと思う。
帰ってきたら必ず仏壇があれば仏壇へ、神棚があれば神棚へ挨拶しなきゃいけなかったし、何か貰い物したらまず仏壇や神棚にご報告してからじゃないと開けなかったし。
多分水木もそうなんじゃなかろうか。
仏壇はあるはずなので、仏壇まではなくとも、いや仏壇はありそうだな。あると思う。から、帰ってきたらご先祖さまに挨拶するはず。
昭和の男だし絶対と言っていい。
うちの父は分家だったから仏壇なくて神棚だったけど、水木はそもそも父側の描写は見た事ないから、多分父親の仏壇がある筈だ。
ん?そもそも分家とか本家とかの話、今どきするんだろうか?
うちの両親の実家に関しては割と分家と本家の話が出てくるのだが。
母方の祖父母に関してはめちゃくちゃ分家と本家の話がされるんだが。母方の家は本家筋の家系を継ぐはずだったにも関わらず色々なお家の問題があって分家になったので、その関係もあって本家とか分家の話が出てくる。

何の話してるんだ。

でもまだうちのお堅い部分の話はあって私はそれを愛しているのだが、
例えば新年の挨拶。家族間での話。
朝起きておはよう、の後、正座して手をついて、あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします、と言って頭を下げ合う。
まだそういう事してるんだよね、我が家。
煩わしいと思う人も居るかもだけど、私はそれがとても好きだった。
ハレの日なんだなと思う。ケジメというか、節目なんだなというか。

とまあ、
そういう家で育った私は水木がすっごく懐かしい。
今は形も姿も無くなってしまったものを感じられて凄く凄く好きだ。
もちろんオタク的な意味でも好きなんだけど、それ以外の意味合いで、郷愁のようなものにかられて、なんだかとっても良い。
本当に水木の至る所から、昭和を感じられる。でもそれだけじゃなくて、昭和の男にしては優し過ぎるんだろうなというのがまた感じられる。
令和の映画だから、そこら辺配慮されているというのも分かるのだけど、昭和の空気を感じれば感じるほど、水木の、相反する優しさが感じられて好きになる。

あんな優しい男、モテないわけないだろうと思ったのだけど、仕事人間だし、業種の関係上出会いが無さそうだ。

いやそんな事はどうでもいいか。
そういう訳で、水木って何だか懐かしいなと思う平成初期生まれの私は思う。
全然世代違うのにね。


ところで、これは本題とはまた別に気になってた事。
早食いに関して。
兵隊経験者の人みんな早食いになるって話あるけど、食べる時間本当にないからだもんね。攻撃受けるかも知れないっていうのはもちろんだけど、なにせ過酷な重労働や訓練もあるので、本当に食べる時間が無いんだそうで、早く食べないと食いっぱぐれるのが常だったらしい、というのは何かで読んだか聞いたかした事がある。
戦争の名残りが至る所にある。水木……。


さてこんな所か。
気づいたら3000字。これ映画しか見てないのにこんだけ書いてて大丈夫なのだろうか。
アニメも見ようと思っているので、大丈夫じゃなさそう。

今回は水木の事を書いたけれど、次はゲゲ郎の事を書きたい。
なにせ本当に対象的な存在だなと思うから、深堀りして行きたい。


ここまで読んでくれてありがとうございます!

以上です!



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