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〇〇〇どころの騒ぎじゃない、という嘆かわしい日本語を意図的に誤用する下品な広告が多すぎる。

ここ数年にはじまった話ではないと思いますが、本来と逆の意味で言葉を使うことで「違和感から注目させる、インパクトを与える意図」を感じる言葉が巷に溢れかえっていますね。

古いところでもう「言葉は変わるものだから」と耳慣れしてしまった、
「とてもいい」「とても美味しい」を「ヤバい」という風潮あたりからでしょうか。
「全然大丈夫だよ」(全然は否定にしか本来つかない)とかね。

これらの言葉を多用する大人を私はあまり信用できないのです。
「ちょっとオモシロイ言葉遣いの俺、私ってイケてるでしょ?」という
ドヤりを感じた瞬間、「ああそういう系統のヒトか」と個人的な話をするような付き合いはしないかな、と思ってしまう。

子供はもう、仕方ないです。親が「ヤバい(ポジティブ)」が正しい言葉として使っている世代なので「こうして言葉は意味が変わっていく」と気持ち悪いけれども諦めています。

他人にイラついても仕方ないという理解はしているので、もう個人が「流行り言葉連発」するのはチベスナ顔で眺めているだけなのですが

YouTube、ウェブ広告に溢れる
「痩せるどころの騒ぎじゃない」「若返るどころの騒ぎじゃない」
という、意図的に間違った日本語で「キャッチー」なつもり
おそろしくあたまの悪そうなフレーズが異常な数溢れ

「〇〇人は(国の名前、だいたい韓国)絶対しない風呂上りのアレ
「台所のアレで〇〇するだけ」というアレ連発広告になんて下品なのだろうとげんなりし

「〇〇な人ゼッタイこれやって!」と お客様に対する宣伝とは到底思えないタメ口宣伝(これ巧妙で、架空の、「実際に使ってるユーザ」が広告見てるひとに友達にオススメするようなスタイルをとってる、そこが更にイラっとするのであった。

CMや、雑誌に広告だった時代は、見たくない聞きたくなければ
TVつけなければいいし雑誌を買わなければよかったが
いまや、友人にLINEしようとしたり、大真面目な調べものをしようとするだけで、18禁のいかがわしく動く漫画が大画面で出現してしまう時代である。

まぁ、見たい番組をタダで見せてやるからCM見なさいよ、というTVと
見たいウェブページ読ませてやるから広告見なよ、というのと
根本は同じなのか・・・・。まだTVCMのほうがゾーニングできてましたけどね・・・・。

色々な状況で「話し言葉を使って」仕事をしてきたし
キャリコンの資格も、とにかく「言葉を選ぶ」勉強だったりします。

コールセンターとかロープレは、相当不快なしゃべり方、言葉遣いの人に当たってしまっても、比較的一期一会(クレーマーは同じ人が月に何回も電話してきますが(笑) 

むしろ「このひと好き。いいひとっぽいしなんとかしてあげたいなぁ」
となってしまうほうが、学校での仲間のロープレ見ていても
やたら早急に解決方向の提案をはじめてしまったり、共感でなく
「同情」「わかる~」が前面に出てしまったり、て傾向を感じます。

肯定的関心は必要ですが、「あなたはそういうひとなんですね」くらいの心の距離をもって、本人そのものでなく、その人の今と先々の困りごと、にフォーカスしたほうがいいのかもしれないな~、と思ったのでした。

そしてLINE経由で商品を申し込ませる健康食品や化粧品の販売サイトのつくりの詐欺まがいの構造、本当にひどい。
いったん注文が終わったあと、「さらにお得なご案内」などと称し
3個おまとめでこんなにお安く!と広告。
試したいだけなので、「注文を終える」ボタンを押すと
3個おまとめを申し込んだことになっているメールがくる、みたいなのや
広告と全然値段が違う(広告は1日、1か月分、の値段、購買は3か月分以上からの申し込み、とかザラですね)とか。

ドラゴン桜でしたっけ・・・・?
「なぜ勉強するか?」➠「騙されないため」
会社に、国に、搾取してくる存在に騙されないためには
知識、知識にたどり着くリーチ能力、データをどう考えるかの賢さ。

50代半ば。まわりを見ると
最近は、60代でも若いひとに「イマドキのこと知ってんじゃん」と
思われたくて流行り言葉を連発するおじさまおばさまも目立ちますが
「使うなら、あえてここぞというタイミング」で使いたいものです。

もはやいっそ、「ナウなヤングは違うねぇ」と昭和の死語のほうを連発して
冬将軍をエアコンで暑すぎる職場に連れてきたいです。





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