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原風景を見てきました
ついに11月ですね。
そろそろイルミネーションが用意され始めるころでしょう。早すぎるって?油断してはなりません、奴らは一瞬でやってきます。
理屈はわからないが、こみ上げる安心がある
先日故郷の群馬へ帰ってきていました。そこであちこちの風景を見てきて、何とも言えない安心感を覚えました。ちなみにトプ画はそのときの写真です。
僕のつまらない身の上を少々語らせていただきます。
僕は、中学高校は寮制の一貫校を出て、これまた寮制の予備校へ通算5年通ったのち、そのまま首都圏の大学に首都圏内から通っています。
年数まさしく12年。短い人生の約半分を故郷の外で過ごしています。
にもかかわらず、故郷に帰り、実家の近くの風景を眺めていると、僕の心は一気に安らぐのです。
まあ確かに、比較として一番見ている風景だから慣れているというだけの話かもしれない。とはいえ、人生の後半(といってもまだ二十数年しか生きていないのですけれど)の12年はずっと他所です。この数値は今後増えていく一方でしょう。実際に暮らしていた記憶ははるか向こうに遠ざかってゆきます。
にもかかわらず、僕の精神が、身体が、地元の風景を見ると落ち着きを覚えるのです。
モノ・コトを覚えるのは海馬のみにあらず?
三木成夫著『胎児の世界』(中公新書)では、その冒頭において「人々の身体は熱帯を感じたときに懐かしさを覚える」という話をしております。すなわち、僕たちは遺伝子レベルで熱帯環境を懐かしんでいるのです。
そして、僕が故郷・群馬の風景を見た時に感じたものもまた同じく、遺伝子とは言わないまでも身体全てが覚えていた記憶からの懐かしさかもしれません。
それを非科学的だと断ずることは軽率でしょう。そもそも身体とはその細胞を絶えず破壊と再生を繰り返しており、だから脳内の細胞は死滅しないことによって記憶を保つのだというメカニズムも聞きます。であるならば一体身体のどこが記憶を保っているのだという感覚もある。
しかし、人々は身体が物事を覚えるということもまた、感覚として感じてはいるでしょう。スポーツや楽器の演奏などにおいて、そこで絶えず行われる瞬時の動きは、脳を介したものではなく、もはや反射の域です。
いずれにせよ、故郷において懐かしさを知り、身体のみならず精神までリフレッシュをすることができたのは幸いでした。
参考文献
三木成夫『胎児の世界』
遺伝子の記憶が身体に影響を与えるという一聴オカルトめいた話から始まりながら、生物学と文化人類学の入り混じった分野横断的な議論が展開されていきます。
まことにユニーク、しかし一笑に付すことは難しい、非常に興味深い著作と言えるでしょう。
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