【夜の舞台裏 #004】「幸せの訪れとは」
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どうもオーストラリアにワーホリ中のナツオです。先日ナイトアウルに恋愛相談をしました。いろいろ吹っ切れました(笑)
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〈第4回〉 【夜の舞台裏】
「幸せの訪れとは」
~「幸せの答え合わせ」と「女心」を題材に~
子供達があんな風に"トー横"に集まるのは、社会で生きづらさを抱えていてそこから抜け出そうと願うからなんだと思う。結果としてあそこで行われていることはどうあれ、
そういう苦しみを感じることや救いを求めることは何も間違っていない。
今回扱うのは「幸せの答え合わせ」と「女心」の2作品です。どちらも電車(汽車)の中での出会いが人生に大きな影響を与える話であるという共通点から選びました。
▶︎「幸せの答え合わせ」
ナツオ(以下ナ):まずは「幸せの答え合わせ」から聞いていきたい。
女子高生である主人公は、幸せというものがわからない。友達はいるんだけど彼女たちと深く関わろうとも思えない、なんとなく生きていて漠然と物足りなさだけがある。そんな主人公が電車の中で耳に入ってきたOLの会話に幸せの答えがあるような気がして、オフィス街のビル群へと向かう。
最終的には主人公は自分が物足りないと思っていた生活そのものに幸せがあるのだと気づく。
幸せというものは探していく・追いかけるものじゃなくて身近にあるんだよという話だと僕は解釈した。
ナイトアウル(以下夜):まさしく、そういう話を書いた。作品のきっかけになった友達がいて、彼女はずっと幸せを追い求めていて不思議でおもしろい人なんだけど、それで自分も幸せってなんなんだろうなって思い始めて笑
その影響もあって今回、女子高生をモデルに作中の人物の幸せを想像して見たんだよね。
ナ:彼女が幸せを感じられないのは、周りの友達と比べて自分が青春っぽいことをしていないという焦り、劣等感があるから。現代的な理由だよね。例えばSNSで楽しそうな生活を送っている友達の投稿を見て、自分が当たり前の幸せを得られていないって思わされてしまう。そういう投稿は物事の良い側面を切り取ったものだから、相手が実際よりも華やかな生活を送っているように見えちゃうし、それが毎日流れてしまうから自分が人よりも劣った生活をしているように感じてしまう。
新宿歌舞伎町 TOHOシネマズ横の子供達へ
夜:そうだよね。今作には僕にとっての現代の若者感がかなり反映されているのかも。主人公を通して"トー横キッズ"みたいな子供の姿を描こうと考えたんだ。
【日テレNEWS】
「"トー横"に広がる「青い舌」 薬のオーバードーズ… 命の危険も」
子供達があんな風に"トー横"に集まるのは、社会で生きづらさを抱えていてそこから抜け出そうと願うからなんだと思う。結果としてあそこで行われていることはどうあれ、
そういう苦しみを感じることや救いを求めることは何も間違っていない。彼らには自己肯定感が低いメンヘラみたいなイメージが先行している。だけど、自己肯定感が低くて飢えていること自体が悪いこととは思えない。
ナ:うん。トー横キッズのような存在を生んでしまっている背景にある社会的な問題や、彼らの心の苦しみがしっかりと語られず、ただの愚かな若者としてのイメージが拡散され受容されているような気がする。
君は彼らにある種のひたむきさを感じているわけだ。彼らの非行や彼らを生んだ社会背景の問題といった視点とはまた別に、何かを追い求めることの美しさに目を向けている。
以前扱った作品でもそうだったけど何かを強く求めていく主人公像が君の作品には多いよね。
▶︎「女心」
夜:これね、書きながらウルっときてしまったんだよね。
まず戦争で別れるというのが悲劇的で切ない。彼女が出会った時のことについて説明するんだけど。
多分ここでも彼女は嘘をついてるんだよ。本当は主人公の思っている通りなんだけど、隠している。
ナ:え、気づかなかったそれは!
夜:女心わかってないんじゃない?笑
ナ:いつかわかりたいな...マジで
文学で登場する電車(汽車)
ナ:二つの作品に共通するポイントとして電車(汽車)という舞台装置があるよね。そしてどちらも、そこで起きた偶然的な出会いが人生に大きな影響を及ぼす。電車について何か思うところがあれば教えてほしい。
夜:最近、仕事がリモートワーク化して出社する機会が週一程度になったんだよね。そしたら電車の中に知らない人たち同士が大勢その場に居合わせるということに、かなり敏感になってしまった。他人の会話とかが気になってしまう。
ナ:ナイトアウルの小説の主人公って、コミュニケーションに飢えていて、他人の行動や会話に妄執的に取り憑かれていく人が多いよね。
夜:孤独な人ほど周りに敏感なんじゃないかなって思う。周りに我関せずって感じで自分の殻に閉じこもっているように見えるけど、本当は、外の社会を強く求めている。
ナ:「幸せの答え合わせ」の女子高生も冷めた人物に見せかけて社会を強く求めているキャラクターだったように感じる。
「電車(汽車)」は文学のなかでたびたび人生を象徴するものとして登場するよね。
始点と終点を一方方向に動く物体という特徴が、生まれてから死ぬまでを進む人の人生と重ねて考えることを可能にしている。
「ペパーミント・キャンディー」知ってる?イチャンドン監督の映画。自殺しようと列車のレール上に立った主人公の半生を描いた映画なんだけど、年代がかわるタイミングで汽車の前面から見た線路のカットが入るんだよね。人の人生を電車に例えている好例だと思う。
夜:それでいうなら濱口竜介の「親密さ」。共同で舞台の演出を手がける男と女のすれ違いを描いた映画なんだけど、その言葉の通り、すれ違う電車だったり、一緒に乗る電車だったり、去ってしまう電車だったりと映画の中で二人の関係をどことなく電車が象徴していてグッとくるんだよね。
あと「阪堺電車177号の追憶」って小説もすごくいい。戦前から戦後にかけて大阪の街を走ってきた阪堺電車177号がそれまでに乗せた様々な乗客の物語(フィクション)を電車視点で語る内容になっていて、ミステリーとか恋愛とかコメディもあってすごくオススメ。
ナ:映画も本も面白そうだな。公共の交通機関といえばバスなんかも、
J-POPに非常に印象的なフレーズがたびたびでてくるんだよね。
"バスの揺れ方で人生の意味がわかった日曜日"
"最終バス乗り過ごしてもう君に会えない"
これらの場合でも何か人の人生の意味だとか、生きることの物哀しさみたいなものが、バスという装置を通して表現されているよね
夜:ナツオ好きそうだな
ナ:ぜひバス回もやらせて!
夜:わかった、頑張って書くわ笑
〜結び〜
今回は、人生と幸せという観点からそれぞれの作品の持つ現代性に焦点を当ててインタビューしていきました。次回は、「拘束」というモチーフの2作品「本の虫」と「監獄」について話していこうと思います。ではまた!
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