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【短編】『僕が入る墓』(最終章 三)

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僕が入る墓(最終章 三)


「ううううああああ」

 途端に女看護師は喚き始めた。その声がまるで悪魔が看護師に取り憑いているかのようだった。外科医は彼女の上に馬乗りになって体の自由を奪った。

 車が病院に到着すると、巫女は駆け足で病院の中へと入った。僕も義父も義母もその後に続いた。受付に明美のいる手術室の場所を聞くと、三階と返答があった。エレベーターに乗り込むと、三階に近づくにつれて電灯が点滅し始めた。

「います」

 巫女が扉の方を見つめながらぼそりと呟くと義父が聞き返した。

「どこですか?」

「誰かの体の中です。急ぎましょう」

 扉が開くと、目の前に長い廊下が現れた。壁に貼られた地図には手術室は一番奥の部屋と書かれていた。巫女は足を床に擦るように足早に前進した。手術室の扉の前には中の騒ぎを聞きつけたスタッフたちが扉を開けようと必死になっていた。

「そこをどいてください!」

 巫女の大きな声が廊下に響いた。巫女は扉の前に座り込み何かを唱え始めた。すると突然目を見開いて声を荒げた。

「開けてください!」

 スタッフたちが思い切り取っ手を引くと扉はあまりにも簡単に開いてしまった。僕は咄嗟に扉にも霊による呪いがかけられていたのだろうと察した。部屋の中には手術台に眠る明美の姿があった。

「明美!」

 義父と義母は明美を見て思わず体に抱きついた。

「明美。遅くなってすまなかった。怖かったろう」

 明美はなんの反応も見せなかった。数メートル離れた場所には女看護師を取り押さえている外科医の姿があった。

「明美さんの手術は終わりました。無事です」

 義母は再び明美の胸に顔を埋めると、しくしくと泣き始めた。

「こいつ急に気が狂ってしまったみたいないです」

 そう言って外科医が女看護師から目を離した瞬間、女看護師は体を気味悪くくねらせ外科医を横に弾き飛ばした。

「気が狂ったも同然でしょう。中にいるのは霊ですよ」

「霊?」

「霊が取り憑いているのです」

「まさか――」

 女看護師は床を這いつくばりながら手術台の方を目指していた。巫女は平気で手術台と女看護師の間に座り込み、再び何かを唱え始めた。

「祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え」

 霊はその巫女の声を嫌がるように、突然体を激しく振るわせた。すると、女看護師は気を失ったかのように、その場に倒れ込んだ。背後から女性の叫び声がした。扉の方を振り返ると、先ほど扉を必死に開けようとしていた女性スタッフがまるでゾンビのように手術台に向かって歩いているのだ。巫女は体の向きを変えて再び唱え始めた。

「祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え」

 女性スタッフは手術台に手を伸ばそうとしながら、力を失ったようにその場に倒れ込み意識を失った。今度は、部屋の隅で足を曲げて耳を塞いでいたはずの麻酔科医がゆっくりと立ち上がった。

「今度はこっちか」

 外科医は目の前で起こる超自然現象をいまだに受け入れられずにいるように目を丸くしていた。巫女は次々と別の体に乗り移る霊をめがけてひたすら唱え続けた。霊が明美の眠る手術台にあと一歩のところまで来ると、義父がその誰とも知らぬ者の体を押さえ込んで羽交締めにした。しかし、その力は遠く及ばずたちまち入口の壁に突き飛ばされた。

「なぜたかが一家族の血筋を狙うんだ! たかが、一家族だろう――」

 義父は壁にもたれながら霊に叫んだ。霊は義父の話に聞く耳を持つことなく、明美の方へと一歩一歩を歩き始めた。巫女は危険を悟ったのか、唱えることをやめて、大きく手を合わせて何かの準備をしているようだった。僕は、明美のそばを離れずにこちらに向かってくる霊の取り憑いた者を正面から迎えた。

パチンッ

という大きく手を叩く音が部屋中に響き渡ると、突然霊はその体から抜け出し、体の持ち主は床に勢いよく倒れ込んだ。僕はその異様な光景を見ながら自分の意識が朦朧とし始めたのを感じた。視界が段々と歪み始め、僕の理性を蝕んでいった。

 気づくと僕は夢の中にいた。目の前に見窄らしい格好をした男が立っていた。どこかの村のようだった。

「今日も手伝うてくれて、ほんま助かるで」

 男は大きな鍬を持ち僕に永遠と話し続けた。家へ来いというので僕は仕方なく男についていった。家には男の家族が待っており、炊事の用意ができていた。円卓に料理が運ばれ、僕は満足げにそれを頬張った。家の中は和気藹々としていた。すると急に目の前がぼやけてくると、視界の淵から炎が上り、まるでフィルム写真が熱で溶けてくように目の前の賑やかな光景が燃えていった。全てが焼き尽くされ目の前の景色が闇に覆われると、そこから何者かの息づく音が聞こえてくるような気がした。

 目の前の何者かは泣いていた。女性のようだった。その泣く声の調子からはどこか寂しげでもありながら、怒りに満ちているような感情さえ読み取れた。一瞬にして様々な光景が過ぎ去っていった。男の人生。そして女の人生。二人の人生が絡みあったり、遠く離れたり、その運命を辿った。男の人生が終わり、女の人生も終わった。夢ではなく、誰かの記憶だった。

 霊は別の体に乗り移っていた。

「もうおやめなさい! あなたが殺そうとしている女性は間違いなく地主の子孫ですが、あなた自身の子孫でもあるんです。あなたの恨みが消えぬことは確かでしょうが、彼らは無関係です。どうか怒りを鎮めなされ」

 そう巫女が語気を強めて問いかけると、霊はその言葉が気に障ったかのように激しく唸った。突然、霊は静まり返り、何もかも呆れめてしまったかのように持ち主の体からいなくなった。体が床に落ちる音が近くにいた医療スタッフたちを驚かせた。

 巫女はだいぶ力を使い果たした様子で息を荒げていた。その息遣いは今にも死んでしまうのではないかと心配させるほどだった。何より巫女はすでに高齢なのだ。ぜえぜえと狭まった気管支を酸素が抜けていく音が聞こえる。その古い板が軋むような音は、徐々に高くなっていき徐々に金切り声へと変化した。巫女は突然白目をむいて手術台の方へと首を捻った。

「あめえたちはああ、おらの娘を奪った。決してええ、許すめえええ。その血途絶えるまで、決して、許すめえええ」

 それを言い終わると、巫女はゆっくりと立ち上がり床に落ちている剪刀を拾った。病院中の電気が消灯した瞬間、大きな叫び声とともに、大きく振り翳される剪刀の側面に満月の光が反射した。

「すまなかった!」

 壁に倒れていた義父が暗闇に向かって叫んだ。

「地主の先祖に代わって俺が謝る。この通りだ。我々は過去の悲惨な出来事も知らずにその家系を守り、受け継いできた。もう、しまいにする。財産も伝統も何もかも手放す。だから許してくれ!」

 霊は義父の渾身の謝罪に一度腕を止めたが、それを拒むかのようにもう一度大きく腕を上に振り上げた。その手の中にはまだ剪刀が握られていた。

 目を覚ますと周りは真っ暗だった。何が起きたのか分からず、しかしそれを把握できる情報も乏しかった。何も見えないのだ。僕は無意識に右手をズボンのポケットの中に入れた。そこには先ほど屋敷の地下の部屋で見つけた赤い簪が入っていた。見えずとも触り心地でそうとわかった。自分には何か不思議な力が働いていた。それは直感力と呼ぶべきか、予知能力と呼ぶべきか分からなかった。

 僕は瞬時に起き上がり、目の前にいる巫女めがけてその簪を投げつけた。すると唸り声とともに巫女の体は一番奥の壁へと跳ね返された。

 病院中の電力が戻ると、目の前には何人もの白衣や青い服を纏った者たちがすやすやと眠っていた。向こうの壁には巫女の姿もあった。巫女は僕の方を向いて一言呟いた。

「清乃――」

 その一言を最後に巫女はゆっくりと目を閉じた。手術室には異様な静けさが漂っていた。義父も義母も疲れ切って床に尻をついて僕の方を眺めていた。

「終わったのか?」

「――わかりません」

「行ってしまったみたいね」

 義母は吐息を漏らすようにそう言うと、立ち上がって明美のぐっすりと眠った顔を見つめた。

「ごめんね。こんなことになってしまって――」

 明美は麻酔でまだ目覚めていないはずだが、一瞬にこりと笑ったように母の目に映った。


最後まで読んでいただきありがとうございます!

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